49.迫り来る死のとき④
「おいっ、いるか!?」
転移の魔法陣でアパートの自室に帰ってきた死神は、土足のままバンッとリビングに繋がるドアを開けた。
いつもなら彼女はこの時間は夕飯の準備をしている頃。キッチンに立ちながら、おかえりなさいと満面の笑みで死神を迎えていた。
しかし一昨日はソファーでぐっすりと寝ていた───まるで死んでしまったかのように。
そのときの恐怖を思い出し、背中にゾクリと寒気が走った。
慌ててソファーを覗くが彼女の姿はない。キッチンには料理の下準備が残されたまま、もうすぐ作り始めようとしていたところか。
彼女の部屋のドアも壊しそうな勢いで開けるが、そこにもいない、ベッドはキレイに整えられていた。
次いで浴室、トイレ、収納庫の中まで確認するがどこにもいない。
「おいっ、どこにいる!?」
兄の治療を受けるにしろ受けないにしろ、早く彼女に会いたいのに。
つい先ほどまで彼女がいたという痕跡はあるのに、このアパートの空間から彼女だけがすっぽりといなくなってしまったかのよう。
「返事しろっ、ユ───」
カタカタカタ───
風もないのにローテーブルの上に置いてある小さなクジラの骨格標本が鳴り、その隣りの封筒に目が止まった。
Dearの欄は無記名だが気にせず中身を引っ張り出し、カードを開けば。
「───!!」
綺麗な青い小鳥が、華やかに装飾された鳥籠から飛び立った。
そして何よりも整った美しい文字で。
死神さんへ
毎日が楽しくて幸せな半年間でした
本当にありがとうございました
ユリ
たったこれだけで、この半年間を終わらせてしまうのか。
メッセージカードを持つ手が震える。
「冗談じゃねぇよ──────ユリ!!」
そう、彼女の名前を叫んだ瞬間。
『───バイバイ、さっちゃん! やくそく、わすれないでね!!』
『ユリちゃんも! バイバイ!!』
幼い子どもの声が響いた。
「⋯⋯今の、何だ?」
部屋を見渡すが当たり前だが子どもの姿はなく。やけにはっきりと聞こえたその声は、死神の頭の中だけで聞こえたようだ。
何か思い出しそうなのに、何も思い出せない。今はそんな場合じゃないのにと、その煩わしさに頭を掻く。
すると再び、小さなクジラの骨格標本がカタカタカタと音を鳴らし始めた。
〝テ、テ、テンシ⋯⋯キタ。オンナ、ツ⋯⋯ツレテッタ。オ、オンナ、キケン。オ、オマエ、タ、タスケ⋯⋯ル〟
天使が来た。女を連れて行った。女が危険。お前が助けろ。
そう言っているのか。
「付喪神! 何を見た!?」
ローテーブルをバンっと叩けば、小さなクジラの骨格標本はカタカタカタと音を鳴らし───そのまま砂になって崩れ落ちた。
死神が気付かなかったくらいの小さな神様だ、生まれたばかりだったのだろう、言葉を伝えただけで神としての力を全部使い果たし〝無〟に還っていった。
しかし今はそれを気にしている暇はない。
リュックの中にメッセージカードとスノードームのオルゴールを押し込み、死神はそのまま外に飛び出した。
「あの⋯⋯まだ歩きますか?」
「あと少しよ、疲れた?」
「いえ、大丈夫です」
嘘だ、かなり長いこと歩かされている。死期の近い彼女の身体には負荷が重かった。緊張で浅い呼吸しかできないことがさらに彼女を苦しくさせる。
交通量の多い大通り沿いの歩道は、帰宅ラッシュが続いているのか人の量も多い。人の流れを縫うように進む天使の後ろをついて歩きながら、彼女は1つ深呼吸した。
とうに夕飯の時間は過ぎていた。
死神はもうアパートに戻っているはず⋯⋯自分の姿がなくて心配しているだろうか。
それとも青い小鳥のカードを見て、もう死んだものと思っているだろうか。
───少しは悲しんでくれるかな。ホントは最後にオムライス食べてもらいたかった。
オムライスは前回死神に振る舞った失敗のあと、彼がいない昼食のときに何度も1人練習で作って食べた。ふわとろオムライス、もう動画もレシピも見ないでも上手に作れる自信があるのに。
2度と作ることはない、それを食べてもらいたい人に会うこともない。
彼女がボロボロ涙を流しながら歩けば、すれ違う人たちがギョッとしたような顔をした。
「ちょっと、泣きながら歩くのやめなさい。変な人に思われるわよ?」
「スミマセン⋯⋯でも止まらなくて」
少し前を滑るように浮遊しながら歩いていた天使は、戻って彼女の顔を覗き込むとその肩を擦った。
彼女はずっと握っていたハンカチで涙を拭う。
その様子を見て天使はため息をついた。
「ごめんなさいね、アタシは肉体があるアナタと一緒だと空飛んだり空間跳んだりできないのよ⋯⋯あと周りの人はアタシの姿見えないし声も聞こえないから。返事は小声でね、わかった?」
彼女はハンカチをしまうと頷いた。
それを見て天使はふぅーっと息を吐き出し、腕時計で時間を確認すると、前方にある交差点を指差した。
「もうすぐここで交通事故が起こるわ⋯⋯AI搭載の無人トラックに小学生の少年が轢かれるの。この事故で少年は頸髄損傷して首から下の麻痺、寝たきりになる」
「え⋯⋯?」
天使の口から語られるのは、まだ起きていない未来の話なはずなのに、口調はまるで決定事項かのよう。
「でも少年も横断歩道の信号無視してるのよ。道の向こう側に同じ塾に通ってる好きな女の子を見つけて───可愛らしい理由よね。だけどそれが少年の未来を辛いものにしてしまうの。もちろん好きな女の子と結ばれることもない。ネットに逃げても自業自得だって叩かれて、心も壊れて。やがて廃人になるわ」
子どもがそんな事故に遭うのは気の毒だと思う。
彼女も百合子の身体のとき、ベッドから一歩も動けない入院生活を何度もしたが、何度経験しても辛いものだ。今まで健康だった男の子が耐えられないのもわかる。
しかしこれが未来に起こることなら、まだ防ぐことができる。
「じゃあ、私がその男の子を止めればいいんですね?」
それなら今の彼女でもできることだ。
信号が赤の間、少年が道路に飛び出さないようにすれば良いだけなのだから。
「そんな単純な話でもないのよ。この事故をきっかけにAIの検証やら規制が一気に進むの⋯⋯この事故は人類にとって不可欠、ないことにしてしまうと、そう遠くない未来に人間とAIの全面戦争が起こるわ───世界が滅亡してしまう」
「滅亡って、そんな⋯⋯」
1人の男の子の人生と世界の滅亡を天秤にかけるのか。そもそも1件の事故が、世界の滅亡を左右するものなのだろうか。
途方もない話に彼女が呆然としていると、天使が何かに気付いた。
「来たわ⋯⋯あの子よ」
天使の視線の方向を見れば、あどけなさの残る少年が交差点に向かって歩いてくる。まだ好きな少女の影には気付いてないのだろう、どこか気怠げな感じだ。
「待って⋯⋯事故をなくさずに、どうやってあの子を助けろっていうんですか?」
「それがアナタにしかできないことなのよ」
天使は血の気が引いて青白い顔をした彼女に向き直る。
その表情は、何も読み取ることの出来ない、全くの〝無〟。
「アナタが代わりに轢かれなさい───ここで死んでちょうだい」
「ユリ! どこだ!? ユリぃ──────っ!!」
能力向上と身体強化の魔法陣の重ね掛けをした身体は超人的な身体能力と、嗅覚と視覚、聴覚は自分を中心に半径数百メートルの情報をもたらす。
死神はビルの屋上を次々と跳び移りながら、空気中に微かに残る彼女の匂いをたどっていた。
「がはぁっ!?」
屋上に着地した瞬間、猛烈な頭痛に襲われ手と膝を付けば、口と鼻からダラダラと血が流れた。無理な魔法陣の重ね掛けで、身体も脳も壊れるくらいに負荷が掛かっているらしい。
背中のリュックから何枚も治癒の魔法陣が消費されるのを感じながら、荒い息の死神は袖で口と鼻を拭った。
街の中心部に向かうにつれ、人が多くなり彼女の匂いが拡散されわからなくなってくる。
「くそっ!!」
それでも止まっている暇はない。
口に残っていた血を吐き出し、再び夜の街を跳んだ。
『アナタが代わりに轢かれなさい───ここで死んでちょうだい』
そう言った天使は、凪いだ目で彼女を見つめている。
「それってどういう⋯⋯」
頭では理解している、だけど心がそれを拒否して───彼女はもう抑えられないほど震える自身を抱きしめた。
「そのままの意味よ。あの少年より前にアナタが道路に飛び出してトラックに轢かれるの───簡単でしょ?」
「そんな⋯⋯」
ある程度、死ぬようなことは覚悟していたが、天使の口から出た言葉はあまりにも残酷だった。
彼女の目に再び涙が浮かぶ。
「嫌です⋯⋯そんなの嫌」
トラックなんかに轢かれたら。肉は引き裂かれ、血が飛び散り、顔も無傷では済まないだろう。もしかしたら原形をとどめないほどに損傷するかもしれない。
「死んだらこの身体を海に沈めてもらうって、死神さんに約束してもらったんです。せめて、傷のない顔を死神さんに───」
「出来ない理由を探すんじゃない!」
突然の天使の重く低い怒鳴り声に、ビクリとした彼女の目から、耐えられなくなった涙がボロボロと溢れた。
「でもっ、でも⋯⋯私にはできない。事故に遭うあの子は可哀想だと思いますが、それでも私があの子の代わりに轢かれなきゃならない理由なんて───」
「いつまでもグダグタ言ってんじゃないわよ! それとも何? アンタの好きな〝死神さん〟が消えてもいいっていうの!? アンタにはわからないかもしれないけどねぇ、アタシたちはあの方の眷属になって何十年も孤独に耐えながら魂が輪廻に戻って転生する日を待ちわびてるの!! 死神だってもう40年頑張ってきたのよ! それを無駄にする気!?」
天使の鬼気迫る表情に彼女は何も言えなくなる。
ただ俯いて流れる涙は彼女の足元にポタポタと落ちた。
天使はそれを見ると、嘲笑うようにため息をついた。
「あぁ⋯⋯アナタ、やっぱりクローンでサイボーグで人間のまがいものでしかないから。〝好きな人には幸せになってほしい〟って⋯⋯こういう人間らしい気持ち、わからないのかしらねぇ」
「ちがう!!」
天使の挑発に彼女が叫んで顔を上げれば、周りにいる人が怪訝そうに彼女をジロジロと見ていた。天使の存在が見えない人からすれば、号泣しながらワケのわからない独り言をしゃべる頭のおかしい女にしか見えないだろうが、彼女はもうそれを気にすることもない。
そして、今まで気怠そうに信号待ちをしていた件の少年が、道路の反対側に好きな女の子を見つけたらしい、一瞬にして彼の表情が輝いたのが天使越しに見えた。キョロキョロと左右を見渡し、車が来ないタイミングを見計らっているようだ。
「あ───」
もうすぐ、あの少年はトラックに轢かれる。
あの少年の前に飛び出すなんて無理だ───少し場所が離れているし、死期が近くて思い通りに動かない身体では間に合わない。
それに恐怖で膝がガクガクして───
「早く! 行って!! 行きなさい!!」
「嫌、嫌っ、嫌ぁ! いやぁあぁぁぁぁあ!!」
「アナタの好きな〝死神さん〟を助けてあげて! お願いだからぁ!!」
天使の悲鳴のような悲痛な叫び声。彼も泣いているよう───決して彼女を陥れるために言っているのではないのだ。
好きなんです、死神さん。
本当はずっとあなたと一緒にいたかった───だけどそれは叶わないと知っていて。
誰にもあなたの隣りを譲りたくなくて。
魂のない私が、あなたの魂の消滅を一瞬でも願ってしまったこと。今から命をかけてあなたの魂が輪廻に戻れるようがんばるから、許してくれますか?
「うわぁああぁぁぁぁあぁあ──────っ!!」
彼女は咆えた。
驚く周りの人々をかき分けながら走り、今にも飛び出しそうな少年の肩を掴み後ろに引き倒す。そしてその先の車道へ、脇目も振らずに一気に突き進む。
耳障りなトラックのクラクションが鳴り響き、眩しいライトに照らされる。
想像よりも大きい車影に彼女は───
───あぁ、これは、跡形も残らないかも。
せっかく、身体中に死神さんの跡を残してもらったのに。バラバラになった肉片を拾ってもらうのも大変そうだな。
ごめんね、死神さん⋯⋯最期までお世話になります。
頭の中で死神が「お前なぁ、最期まで面倒かけんなよ」と言いつつも、いつものクククと苦笑をしている顔が浮かんだ。
───〝お前〟じゃなくて〝ユリ〟って呼んでよ。幼稚園のときみたいに〝ユリちゃん〟でもいいなぁ。
そうお願いしていたら、彼は面倒臭いと言いつつもきっとそう呼んでくれただろうな、惜しいことをしたと彼女はくすりと笑った。
こんな状況で笑えるなんて。想像を絶する恐怖から逃れるための、脳内麻薬が多量に放出されているらしい。
トラックが彼女の身体を撥ねる、その瞬間。
「ユリっ!!」
大好きな人が自分の名前を呼ぶ声と、世界一心地良くて幸せになれる腕に抱きしめられたのはきっと。
壊れた脳が見せた、最期の幸せな幻───




