48.迫り来る死のとき③
「ごはん作りはじめるまで。それまでにわからなければ諦めるから」
彼女は誰に言うわけでなく呟くと、カードを入れた封筒をローテーブルに、隣にミニミニ骨格標本クジラとスノードームのオルゴールを置く。そして改めてパソコンの前に座った。
心臓がドッドッドッとうるさく脈を打ちはじめ、微かに震える指で死神に繋がるかもしれない単語を打ちこむ。
百合子と同い年で、25歳のときの身体で止まっているというということはおそらく事件は40年前。
被害者は容疑者の両親、容疑者は逮捕されていない。
いくつか思いつく単語を打ち込み検索をかけるが、さすがにかなり昔の事件だからなのか、ヒットする情報はなかった。
「ダメかぁ⋯⋯」
何度か繰り返したところで諦めて画面をスクロールしていく。
気の滅入るような似たような殺人事件の記事ばかり出てくる中、1つ目に止まったのは。
「あ、この人───」
再生医療の特集でときどきコメンテーターとしてテレビに出たりもしている。いつだったかの学会に百合子の父親に連れ出されたとき、挨拶を交わした人。きっと若い頃はモテたであろう還暦を過ぎたくらいの紳士、柔和な笑顔の写真が貼られた記事の題名と筆者は。
《殺人事件の被害者、加害者家族として生きる───四乃森拓也》
「しのもり、たくや⋯⋯?」
水族館のとき、死神はどうして〝タクヤ〟と名乗ったのか。
『じゃあなんて呼べばいいですか?』
『⋯⋯タクヤ』
『それって本名ですか?』
『イケメンはタクヤって決まってんだよ』
偶然、なのだろうか───彼女の鼓動が再び早くなる。先ほどの比じゃないくらいに震える指でその記事を開けば。
自分が事故に遭い意識不明の間に、両親が殺害され、容疑者である双子の弟が行方不明になったこと。
自分は弟が犯人ではないこと、今もどこかで生きていると魂が知っていること。
残された者、生かされた者として、自分のような悲しい存在が少しでも少なくなるよう、日々研究を続けていること───などなど書かれていた。
そしてその記事の最後に載っていた写真。
〝小学校の入学式───弟とツーショット〟
入学式と書かれた立看板の横。満面の笑みでポーズをとる四乃森拓也少年とその隣、姿形は拓也少年と瓜二つなのに、恥ずかしそうに控えめにピースをする少年。
───この子、知ってる。
実際毎日会っていたときは、もっと幼い顔をしていた。
年中さんの終わりの頃に会えなくなって1年ちょっと、あの頃よりは少し成長しているけど、恥ずかしそうな笑顔はあの頃のまま。
君の名は。
「──────さっちゃん!!」
そう叫んだ彼女の頭の中に、ぶわりと記憶が甦る。
幼稚園のとき、隣りに座っていた男の子。明るくみんなのリーダー的存在の双子の兄とは対照的に、友達の輪に入ることができず、いつも教室で1人絵を描いたりしているような内気な双子の弟。
その日も彼は1人折り紙をしていた。
『なにおってるの?』
『⋯⋯おはな』
『わぁっ、すごいねぇ!』
『⋯⋯じゃあユリちゃんにあげる』
『いいの? ありがと!』
丁寧に折られてはいるが、まだまだ歪なユリの花。
それでも百合子が笑顔でお礼を言うと、少年は照れ臭そうに俯いてしまったが、その日を境に2人は徐々に仲良くなり、やがて幼稚園にいる間はずっと一緒に行動するようになった。
優しい男の子───泣いてるときや困っているときはそっと手を差し伸べてくれて、楽しいときは一緒に笑ってくれる、百合子の大切な初恋の子。
『ねぇねぇ、さっちゃん!』
『〝さっちゃん〟? ボクおとこのこだよ?』
『イヤだった?』
『べつにイヤ、じゃない、けど』
『じゃあ〝さっちゃん〟ね!!』
自分しか呼ばない彼の呼び方が嬉しくて。
彼に会える毎日が楽しくて楽しくて。
幼稚園がお休みの日は彼に会えないくて寂しいとさえ思っていたくらい。
しかしそんな日々はある日、急に終わりを告げることになる。
『四乃森さんの旦那さんの会社、2回目の不渡り出したって』
『幼稚園の保育費も滞納してるって⋯⋯それで退園するみたい』
『所詮〝田舎者の成り上がり〟って感じでしたものね』
子ども達にはわからないだろうと、無責任な保護者たちがコソコソと噂話しをする。
しかし子どもは大人の言っている内容まではわからなくても、雰囲気は察するもの。百合子は何となく嫌な気分になった。
しばらくすると、園長室からその豪奢な幼稚園に似つかわしくないやつれた格好をした女性が、双子の兄弟の手を引いて出てきた。他の保護者たちの好奇の眼差しを一身に浴びながら、早くここから離れたいというように早足に歩いている。
その後ろから百合子は声を掛け走り寄った。
『さっちゃん!』
大好きな名前を呼べば、3人はそれぞれ違う表情で振り返った。女性は疲れた顔、双子の兄は不安そうな顔、弟は百合子の顔を見てパァっと笑顔になった。
『ユリちゃん!!』
『さっちゃんどうしたの?』
彼が口を開く前に、兄弟の母親の女性が気まずそうに間に割って入った。
『ユリちゃん、いつも仲良くしてくれてありがとね───今日でお別れなの、ごめんね』
『え⋯⋯?』
兄はそれを聞くと全てを理解したかのように悲しそうな顔を見せ、みんなにお別れ言ってくるとその場を離れ、園児達の輪へ駆けていく。
その背中を見送って、百合子は兄弟の母親を見つめた。
『おわかれ⋯⋯? またすぐあえる?』
『あえるよね? ママ!』
『ちょっと遠くにいくから⋯⋯わからないの、ごめんね』
兄弟の母親が辛そうに目を伏せたのを見て、その願いは叶いそうにないということを幼い2人は察した。
そこで2人は約束したのだ、また必ず会うということを。
双子の弟は鞄の中をゴソゴソさぐると何かを取り出し、それを百合子に差し出した。
『ユリちゃん、これあげる』
『わぁ───ありがとう! だいじにするね!!』
青い小鳥を折った折り紙。最初のユリの花の折り紙のときより格段に上手になっている。
百合子が大切にしていたそれは、本のしおりとして死ぬ間際までずっと身近に置いていたもの。
兄が園児達の輪から戻ってきたのを合図に、兄弟の母親が2人の手を引き歩き出す。
『───バイバイ、さっちゃん! やくそく、わすれないでね!!』
『ユリちゃんも! バイバイ!!』
ずっとずっと、見えなくなるまで手を振った。
幼稚園年中さんのときの、百合子の切ない思い出。
次々と頭の中に甦る百合子の思い出やその時の感情を、彼女は呆然としながらやり過ごし。
時が止まったかのような静かな部屋の中、自分の心臓の音だけが耳にやたらと響く。
「待って───どうして私に百合子の幼稚園の頃の記録があるの?」
移植された百合子の記録は、病気が発覚した小学1年生から25歳で死ぬ1週間前まで、記録装置を装着していた間だけのはず。
それなのに死に際にあの折り紙のしおりを挟んだ本を一緒に火葬してくれと両親にお願いしたことも憶えている。
それは記録ではなく、確かな〝記憶〟。
───もしかして、私は。
「百合子、なの?」
クローンでサイボーグな人造人間。
しかし頭の中を埋め尽くす思い出と感情は、本人でしか知り得ない情報だ。
「私は百合子の生まれ変わり⋯⋯?」
いつだったか死神が言っていた「死んであの世に行ったら、次の新しい肉体をもらって、またこの世に戻ってくる」というのは本当だったのか。
頭を抱えて思考を整理しようとするが、この状況からするとそうとしか考えられない。
しかしそうだとすると、決定的に辻褄が合わないのは───
「じゃあどうして私には〝魂〟がないの⋯⋯?」
〝魂〟があるからこそ生まれ変わったのではないのか。クローンとして自然界にはない生まれ方をしたから〝魂〟がないのか。
そういえば死神は「魂があっても生まれ変わったら前世なんて誰も憶えてない」とも言っていた。なのにこんなにもはっきりと百合子の記憶があるのはどうして。
もしかしたら生まれ変わりではなく、憑依というものなのかもしれない───それも魂がない説明にはならないが。
どちらにしても。
「やくそく、守ってくれたんだね、死神さん───さっちゃん」
ホロホロと涙を流しながら、パソコンの画面に映る幼い死神に手を伸ばす。
おそらく再会は偶然。
彼は〝西園寺百合子〟の名前を聞いても、特に何かを思い出した様子はなかった。もう半世紀以上前の子ども同士の約束だ、彼も忘れているのだろう。
それでも彼女は嬉しくて、画面の中の〝さっちゃん〟をするりと撫でた。
「他人の過去を勝手に調べるのは、ちょっといただけないんじゃない?」
「ぅひゃあ!?」
急に声を掛けられ振り向けば、そこには昨日会ったばかりの中性的な男性が微笑みながら立っていた。
「えぇ!? 天使さん!?」
「ごめんなさいねぇ、驚かせちゃったかしら?」
どこから入ってきたのですかと聞こうとしたが、死神だって空間を移動する。もうこの人たちはそういうものだと思うしかないだろう。
びっくりしすぎて涙も止まった。ワタワタと慌てながらパソコンの画面を消し、彼女は天使に向き直る。
今日は頭の上の天使の輪も背中の大きな翼もない。死神の言っていた通り、あれは本物ではないらしい。
しかし時折身体が透けているのを見れば、彼がこの世のものではないことを改めて思い知らされる。
彼女がじぃーっと見つめてしまったせいか、天使は肩をすくめると「やっぱりセーラー服着て来ればよかったかしら」とおどけてみせた。
「いえいえっ、そういう意味ではなく───ごめんなさい、死神さんはお出かけしてまして。もうすぐ帰ってくるとは思うんですけど」
外を見ればずいぶんと太陽が落ち薄暗くなっている。死神は夕飯までに帰ってくると言っていたからそろそろだろう。
オムライス用のチキンライスを炊き始めなきゃ、彼女がそう思っていると。
「いいのよ、今日はアナタに用があって来たんだから」
「私にですか⋯⋯?」
「そう、ちょっと───今からほんの少し付き合ってくれるかしら」
天使はにっこりと微笑んでいるはずなのに、ひどく恐ろしく見える。
───イヤっ、この人なんだか怖い!
本能的に感じる恐怖で彼女の顔が強張る。思わず後退ればパソコンを置いてあるラックがガタッと音を立てた。
しばらく沈黙が流れる。
天使の目がスッと細くなり、笑顔が消えたのを見て、彼女の肩がビクッと震えた。
天使が彼女に向かって指さす。
「ずいぶんとお楽しみだったようね?」
「!!」
何のことか理解して、彼女は顔を赤くして手で首を隠した。
「死神との思い出も充分できて、思い残すこともないでしょ?」
「それは───死神さんが帰ってきてからではダメなんですか?」
「そうね、あの子が帰ってきたら面倒だわ」
「じゃあなおさらダメです⋯⋯死神さんに迷惑かけられません」
彼女の顔色が今度は白くなっていく。自分の言うことを聞く気はないらしいと、天使は1つため息をついた。
「アタシだって無理矢理はしたくないのよ⋯⋯できればアナタから歩み寄ってくれないかしら」
「内容もわからないのに〝はい、わかりました〟とは言えません」
「アナタも強情ねぇ⋯⋯仕方ないわ」
天使が再びため息をつく。
それを見て、彼女は膝を折り頭を床につけた。
「ちょっと⋯⋯土下座って、何のつもり?」
「天使さんがここにいらっしゃった理由は、私を殺すため───ですよね?」
自分で言っても恐ろしい、自分の思い違いであってほしい。
しかし彼女の願い虚しく。
「そうね、否定はしないわ」
天使の口から出た言葉は残酷だった。
はぁ⋯⋯と彼女はため息をついて。昨日天使と会ったときから、何となくこうなると思っていたが。
「だったらもう少しだけ待ってもらえませんか? わざわざ殺さなくても、もう私に残された時間は少ないです───明日の朝を迎えられるかもわからないくらいなんです。だから最期を死神さんと迎えさせてはもらえませんか? お願い───お願いします」
微かに震えながら床に額を擦り付け懇願をする彼女の後頭部を見ながら。天使だって昔は人間だったのだ、情けをかけてやりたいとは思う。
だけど───
「ダメよ、それはできないわ」
「どうして!?」
ばっと顔を上げた彼女は泣いていた。
もうすぐ死ぬということだけでも悲しくて苦しいのに、死神に看取ってもらいたいという最期の願いも叶えてもらえないのか。死神に抱きしめてもらって、事切れるときに彼の体温を感じていられたらと───死の恐怖を自分の中で少しずつ消化していたというのに。
「お願いします⋯⋯せめて、死神さんに会いたい」
「アナタが今ここで契約を守らなければ、あの子は2度とここには戻ってこないわ⋯⋯」
「契約って」
『私には魂がないらしいですが、こんな私のでいいなら残りの寿命も差し上げますから』
血だらけの死神を前に言った彼女自身の言葉を思い出す。
願いを叶えてくれた神様は、金銭ではなく彼女の残り僅かな命をご所望らしい。
しかしだからといって「はいどうぞ約束通り命差し上げます」なんて言いたくないと、彼女は震える声で問いかける。
「死神さんが戻ってこないってどういうことですか?」
「あの子からどこまで聞いたか知らないけど⋯⋯あの子とかアタシはね、魂の輪廻から外れた存在なの。だから輪廻に戻るためにあの方の眷属として働いてる。そして任務で死にかけたあの子は、アナタとあの方の契約によって生かされた。だからアナタがその契約を破棄してしまえば、あの子の魂は輪廻に戻ることなく消滅しちゃうの───生まれ変わることもなく、永遠に。完全な〝無〟になるわ」
「そんな───」
酷い───と言いかけたが、本当に酷いことだろうかと、疑問が彼女の頭をよぎる。
自分だって、魂がないのだ。
死んだらそこで終わり、生まれ変わることはない。
魂のある死神はどうだろうか。もし自分が死ぬことによって死神が生き残り、彼が〝死神〟としての役目を終えて輪廻に戻ったら。
生まれ変わったら前世の記憶は消え、自分と過ごした半年のことは全部忘れてしまう。そしてどこかの誰かと出会って恋をして。
そうでなくても。
自分がいなくなったあと、普通の人間の女の人と、またこんなふうに一緒に暮らして。自分との思い出が上塗りされていって、いつしか自分のことなんて。
───そんなの、嫌だ。それならいっそ、私と一緒に。
「アタシがアナタの立場なら、好きな人には生きて幸せになってほしいと思うけど───アナタは違うの?」
「!!」
「所詮、人間のカタチをしたニセモノってところかしら⋯⋯それは愛じゃなくてただ自分本意な執着だわ」
「ちがう! そんなんじゃない!!」
天使の言葉はただ彼女を煽っているに過ぎない。
しかしわざとらしくため息をつかれると、無性に腹が立った。
「私は死神さんが好き。その気持ちはニセモノじゃない!」
彼女自身、自分が人造人間なことくらい充分承知しているが、死神を想う気持ちを他人から否定されるのは我慢ならなかった。
だから、そこを突かれた。
「じゃあ証明してみなさい───アナタの残り僅かな命で、あの子を救ってあげて」
ボロボロと涙を流す彼女の肩を天使はそっと撫で、ハンカチを手渡す。
その眼差しは優しいものへと変わっていた。
「アナタが命を掛けたと知ったら、あの子はずっとアナタのこと憶えてるわ⋯⋯アナタはあの子の心の中で生き続けていける」
どうせ死んでしまうなら。
「⋯⋯⋯⋯それも、悪くない、ですね」
少しでも死神の記憶に残りたい。
彼女はハンカチを受け取ると涙を拭き、そして天使の差し出した手を握った。




