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46.迫り来る死のとき①

 まだ朝日の昇る前の薄暗い時刻。

 1晩中腕に抱いていた彼女をそろりと下ろし、死神は静かにベッドを出た。

 ぐっすりと寝ている彼女を起こさないようにと気をつけていたが、失敗したらしい。彼が立てた小さな物音に気付いた彼女が、モゾモゾとベッドの中で動きだした。


「ぅ、ん⋯⋯しにがみ、さん?」

「悪い、起こしたか?」


 死神は服を着て出掛ける準備をしていたが、ベッドの脇にしゃがみこむと彼女の顔にかかっている髪を耳に掛けてやり、その頬を撫でた。

 寝惚けまなこの彼女は、何度もまばたきをして目を覚まそうをしているようだ。


「まだ身体しんどいだろ、もうちょっと寝てな」

「うん」

「無理させて悪かった」


 彼女はくすりと笑うと首を横に振る。死神の手に手を重ね、気持ち良さそうにするりと頬擦りをしているが、どことなくその顔は疲れが残っている様子。その理由は自分にあると、死神には自覚があった。

 死神がしばらくその頬の感触を堪能していると、彼女が小さく欠伸をする。


「俺今から出掛けるけど⋯⋯晩メシまでには帰ってくるから」

「お仕事ですか?」

「いや、ちょっと───野暮用だ」

「そうなんですね⋯⋯夕ごはん、何がいいですか?」

「───オムライス」

「作って待ってますね」


 彼女がトロンとした眼差しを死神に向ける。何を要求しているか察して───死神は頬を掻いた。

 彼女のくちびるに自分のくちびるを寄せ、撫でるようにキスをして。

 2人、熱い吐息がくちびるから漏れる。


「───いってくる」

「いってらっしゃい」


 恥ずかしくて照れくさくて───最高に幸せな朝。

 彼女との生活を終わらせないために、死神は足掻くことにした。電車を乗り継ぎ数時間かけて、とある男に会いにいく。



 電車の窓から外を見ると、すでに太陽が地平線から昇りあたりを照らし始めていた。

 死神は時間を確認しようとポケットからスマホを取り出す。画面に浮かぶ時計の後ろに、青い舌をペロッと出した彼女の無防備な顔が見えた。


「⋯⋯飼ってるペットの写真を待受にするのと同じ気持ち、じゃねえのかよ」


 朝日を浴びながら目を伏せると、昨晩の彼女の乱れた姿、色っぽい喘ぎ声が脳裏に蘇って。

 慌てて目を開け、顔に集まる熱を誤魔化そうと手で鼻と口周りを押さえる。あろうことか身体の中心より少し下にある()()()()()()まで熱が集まりそうで、居心地悪くモゾリとする。

 

 ───10代の子供(ガキ)じゃあるまいし。


 何考えてんだと、自分で戒めて。

 だけど行為自体が約40年ぶりで、そして相手が彼女だったから。

 ちょっと、多少、いや()()()? 激しくめちゃくちゃに抱いてしまった感がしないでもないような。

 というか、自分に性欲があったことに驚きだ。掃除人(スイーパー)になってからそんな衝動なかったから、てっきりないものだ、掃除人として不要だから()()()()()()()()ものだと思っていたのに。


 何度か深呼吸をしてやり過ごして。

 もう1度目を閉じれば。


『死神さん───私、幸せです』

『ありがと⋯⋯ありがとうございます、死神さん。私、生まれてきて良かった』


 死神の腕の中、上気した顔にトロンと瞳を潤ませた彼女が、何度も幸せだとお礼を口にしていた。


「バーカ。幸せってなぁ、こんなもんじゃねえんだよ」


 死神だって普通の人間として生きていたときには、そんな幸せだなんて思ったことないが。

 彼の呟きは誰にも聞かれることなく、まだ人の少ない早朝の電車の中、静かに溶けていった。



 この行動は()()()の意思に反している。きっと罰を受けることになるだろう。もう死神の魂が輪廻に戻ることはないかもしれない。

 それでも彼は、彼女と一緒にいる未来を選択した。




 太陽の光がカーテンの隙間から差し込み、それが徐々に場所を変えていくのを見て、いつも起きる時間をとっくに過ぎていることはなんとなくわかっているのだが。

 心地良い疲労感にウトウトと微睡み。

 もう死神のぬくもりはなくなってしまったが、彼の匂いが濃く残るベッドの中、彼女は幸せに包まれていた。


 初体験は、とにかくすごかった、の一言に尽きる。

 心臓がドキドキと痛くなるほど緊張して恥ずかしいのに、何度も気を失いそうになるくらいに気持ち良くて。

 そして何よりも死神がめちゃくちゃ色っぽかった。あの欲をはらんだ目で見つめられて、頭も身体もぐちゃぐちゃのドロドロにとかされて───


「はぁ───死神さん」


 思い出すだけでゾクリとする。

 もうコレは壊れる前に、脳が都合のいい夢を見てるだけなんじゃないかと疑いそうになってしまうが、脚の付け根の()()()()()()に残る強烈な違和感と、動くたびにそこからトロリとこぼれる死神の名残が、昨晩の出来事を事実だと証明してくれている。


「⋯⋯夢じゃ、ないんだ」


 エヘヘへへ、と無意識に頬が緩んでしまう。

 頬をつねって、さらに夢じゃないことを確認しようとして。


「───え?」


 強く摘んでいるのにもかかわらず。

 もう1度やってみる。


「痛く、ない⋯⋯?」


 頬に集まっていた血の気がサァーっと引いていく。

 ベッドからガバっと起きると、裸のままバタバタとキッチンに向かう。

 包丁を取り出し、ふぅーっと息を吐いて。指先に刃を当てて軽く引く。ぷくっと膨れ上がった血は、そのままポタリとシンクに垂れた。

 料理を始めて最初の頃、包丁でちょっと指を怪我しては痛い痛いと大騒ぎしてヒィヒィ言っていたのに。


「全然、痛くない──────そっか、自壊プログラム、もう最終段階、なんだ」


 手から離れた包丁がシンクの中にガシャンと落ちた。彼女も床に崩れ落ちる。


「あはは⋯⋯そうだよね。普通、処女が痛くないはずないよね。鼻からスイカとかって言うもんね───ってそれは出産だっけ」


 乾いた笑いが漏れ、ほろりと涙が頬を伝う。

 生死に直結する〝痛覚〟がないということは、もう本当に残された時間がないということだろう。今日の夜寝たら、明日の朝は来ないかもしれない。今日の夕飯までに帰ってくるという死神に〝おかえりなさい〟すら言えないかもしれない。


「しまったな⋯⋯私から死神さんに連絡する手段がないや」


 スマホなんて必要ないと思っていたけど、持たせてもらえばよかった。

 幸せな気分から一転、急激に心が冷えていく。

 ボロボロと涙をこぼしながら俯いていると、胸元に赤紫色の斑点がいくつも浮かんでいるのが見えた。

 

「何コレ⋯⋯!?」


 これも症状の1つなのか───見ればその斑点は胸元から下腹部、太腿から足の甲まで全身に広がっていた。

 今度は慌てて洗面台に向かう。

 恐怖で色をなくした彼女の顔が鏡に映る───顔に斑点はないようだ。

 首筋に多く症状が出ているが、痒みや痛みはない。死斑のように見えて恐ろしかったが、よくよく見れば鬱血痕のようだ。


「あ⋯⋯これってもしかして」


 ───キスマーク。


 ぶわり、彼女の顔に熱が戻ってきた。

 そういえば行為中、死神に数えられないほど身体を吸われていたが、コレをつけられていたのか。自分では見えないが、たぶん背中にもたくさんあるだろう。

 理由がわかって、彼女は再びヘナヘナと床に座り込んだ。


「もう⋯⋯死神さん、跡残しすぎだよ」


 くすりと口から笑いが、ほろりと目から涙が漏れた。

 でもこの身体をたくさん愛してもらえたのだと、嬉しくて。

 脚の付け根にあった刻印はもうない。死神が、彼女の心を人造人間から人間にしてくれたのだ。だから最期は普通の人間らしく迎えようじゃないか。


「ううん───やっぱり〝可愛い女の子〟としてお別れしたい」


 死神の長い人生の中で時々でいい、こんな子もいたなと思い出してほしい。一緒に住んでよかったと懐かしんでほしい。


 涙を指で拭い、パンパンと頬を打つ。痛みはやはり感じないが、気合は入った。


「よしっ! ⋯⋯⋯⋯まずは服を着よう」


 部屋には1人しかいないとはいえ、すっぽんぽんで動き回るのはさすがに恥ずかしい───今さらな気もするが。


 服を着て指に絆創膏を巻いて。

 遅い朝食を食べ身支度をして。

 冷蔵庫を見れば夕飯のオムライスとサラダとスープの材料はありそうだ、お昼ごはんは近所のコンビニで何か買おう。

 今は少しの時間も惜しい。

 エプロンを着けて腕捲くり、キッチンから丁寧に掃除をしていく。


 普段からキレイに保つ努力はしていたので、大掃除といっても大変なことはない。

 ここで暮らし始めたころはお皿1枚洗うのにも苦労していたが、数ヶ月もやり続ければコツも掴んだ。もう掃除機で壁に穴をあけることもないし、洗濯で部屋中泡だらけにすることもない。

 この部屋でたくさんの経験をさせてもらった。その御礼にと、彼女は隅々までキレイに磨く。

 キッチン、お風呂、トイレ、リビング───新築のようとまではいかないが、入居時くらいまでにはピカピカになったのではないか。


 ふと気づけばお昼を大幅に過ぎ、おやつの時間と言ってもいいだろう。壊れる直前だというのに、ちゃんとお腹は空く不思議。

 彼女はエプロンを外し、軽く服を整えるとコンビニまで買い物に出掛けた。


 コンビニの棚でサンドイッチにするかお弁当にするかと目で追っていると、その隣はおにぎりのコーナー。


 ───そういえばジャンボタニシのときのお昼は昆布とあさりしぐれのおにぎりだったな。


 実は3年も前のものだと知って驚いたが。

 自分では絶対に選ばないような具だったが、あのときはあれが最高に美味しかった。死神は結構渋いチョイスをする。

 くすりと笑って、昆布とあさりしぐれ、でもこれだけでは足りないから鮭とたらことツナマヨもカゴに入れる。

 本当はデザートにプリンを選びたいところだが、人生最後になるかもしれないデザートがコンビニプリンなのは少し寂しいような気がして、前に作ったレシピで手作りすることにした。

 あとはもう栄養なんて考えなくてもいいとも思ったが、何となく野菜ジュースをカゴに入れレジに向かう、その手前で。


「あ───グリーティングカード?」


 コンビニでこんなものも売っているのか。

 シンプルな模様の絵はがきから、ポップアップ式の繊細な細工がしてあるものまで。

 1つ手にとってみると、2つ折りのそれは開くと鳥かごから青い小鳥が飛び立つ仕掛けになっていた。


「わぁ⋯⋯キレイ」


 何だか懐かしいような気がして。何度か開いたり閉じたり試してみる。

 カードにしては高い値段がついているし、メッセージ書く場所なんてほんの少ししかないけれど。


 ───これに死神さんへのお礼書いて渡したら迷惑かな。


 残るものは処分に困るから、なるべく私物は増やさないでおこうとは思っていたが、この1通くらいなら死神は持っててくれるだろうか。あのリュックに入れてもらえるだろうか。

 しばらく悩んだが、どうせ紙だ、邪魔になったら捨ててもらえばいいんだしと思い、結局彼女はそれも一緒に買うことにした。



 彼女はアパートまで帰ってくると、コンビニおにぎりで腹を満たし、プリンを手作りした。以前に作ったレシピを参考に、量を調節して3個分。1個は死神が帰ってくる前に味見用に食べて、あと2個は死神と一緒に夕飯後に食べよう、ちょうど良い。

 オムライス用のチキンライスの下ごしらえも終えて、実際に作り始めるのはもう少しあとでも良いだろう。それまで少し時間がある。


 彼女はコンビニで買ったグリーティングカードを手に取った。2つ折りのカードを開くと、立体的になった美しい装飾の鳥かごから青い小鳥が飛び立つ。


「何回見てもキレイ⋯⋯」


 そして何となく懐かしいような気持ちにさせてくれるのは何故だろう。ローテーブルの前に座り、それを何度も開いたり閉じたりしてみる。


「どうしてお前は鳥かごから外に出たの?」


 紙でできた小鳥に問いかける。

 美しい鳥かごは居心地良かっただろうに。飼い主からおいしいごはんだってもらえてただろうに。

 小鳥は答えない、そのかわりローテーブル上のミニミニ骨格標本クジラがカタカタカタと鳴った。


 ───きっと素敵な死神さんが迎えに来てくれたのね。


 それで自分らしく自由に生きることを教えてもらったのだ。

 それが命ながらえるすべを失うことになっても。

 後悔はしてない──────でも。


「死神さんを好きになっちゃうのは想定外だったなぁ」


 彼女は1つため息をつくとペンを持ち、本当に1筆しか書けないようなメッセージ欄に、死神に感謝の気持ちを書く。

 一発勝負、だけど大丈夫。字には自信がある、高校のとき書道で入選したことがある。


 ───それは百合子(わたし)でしょ?


 そうだった。でも自分だって百合子(オリジナル)に近づけるために書道は習わされていた。

 彼女は静かにペン先をカードにおろす。

 本当は〝好き〟という気持ちを伝えたい。〝私〟という存在と暮らした日々を忘れないでほしい。

 だけど書くのは、その想いだけを一文字一文字に込めた、死神への感謝の言葉。

〝死神さんへ〟から始まる1文は、久しぶりに書いた文字でも上手く書けたと、彼女は自画自賛しながら安堵した。

 署名は何と書こうか───結局彼女は死神に〝お前〟としか呼ばれていない。西園寺の研究所では〝E5〟。百合子の父親からはときどき〝百合子(ゆりこ)〟と呼ばれていたが、やはりそれは自身の名前ではないと思う。


「でも1回でいいから、死神さんに名前で呼んでほしかったな⋯⋯その、こ、恋人、みたいに?」


 自分で言って照れてしまった。バツが悪そうにしながら書いたのは、死神に呼んでほしかった名前───《ユリ》。


 その、書いた瞬間。


『───バイバイ、さっちゃん! やくそく、わすれないでね!!』

『ユリちゃんも! バイバイ!!』


 幼い子どもの声が響いた。


「⋯⋯今の何?」


 部屋を見渡すが当たり前だが子どもの姿はなく。やけにはっきりと聞こえたその声は、彼女の頭の中だけで聞こえたようだ。


「〝さっちゃん〟⋯⋯誰だろ?〝さちこ〟ちゃんかな、それとも〝さつき〟ちゃん?」


 しかし人造人間の彼女に〝さっちゃん〟〝ユリちゃん〟と呼ぶ相手はいない。〝ユリちゃん〟は百合子だとは思うが、彼女に移植された百合子が小学生上がった頃からの記憶には〝さっちゃん〟に該当する人物はいない。

 きっとどこかで聞いたことあるドラマのセリフか何かかなと、適当に流すことにした。



「小鳥さん、死神さんによろしくね」


 カードを2つ折りにし、一緒に入っていた封筒に入れようとして、それに印刷してある〝Dear〟に目が止まった。

 カードには〝死神さんへ〟と書いたが、本当は彼女だって死神の本名が知りたかった───名前で呼んでみたかった。

 死神自身が憶えてないなら仕方ないことなのだが。


「水族館に行ったときは〝タクヤ〟───〝たっちゃん〟って呼んだなぁ」


 結局それも違うのだろう。

 デートだったというのに、ずいぶんとしょっぱい思い出となってしまったが、今となってはそれも良い思い出だ。

 くすりと笑って顔を上げれば、半年間暮らしたアパートの部屋、先程まで掃除をしてキレイになったその一角。いつもレシピなど調べているパソコンが目に入った。


 ───調べたら、わかるかもしれない。


 死神は調べようとしても行動に移せないと言っていた、では彼女が調べたらどうなのか。

 それはほんの好奇心、好きな人のことを知りたいという乙女心か、それとも悪魔の囁きか。

 ちらりと時計を見れば、夕飯の準備をするまでもう少し。

 彼女は吸い寄せられるように立ち上がると、パソコンの電源ボタンに手を伸ばした。


お読みいただきありがとうございました。

あと残り10話くらいの予定です。

最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

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