44.夢と現実①
波の音が聴こえる。
彼女の目の前には夜の海が広がっていた。
そうか、また海に来たんだっけ。
しかしキレイとは思えず、やたらと恐ろしく感じて───ゾクリと身震いしてしまった彼女に、隣にいた死神が手を差し出してくれた。
彼女は彼の手に手を重ねようと、一歩踏み出そうとしたところで。
「あべし!?」
足が動かなくて、そのまま砂に突っ伏してしまった。
嫌な予感がして恐る恐る足元を見てみると、人の手のような形をした黒いモヤが、足首をガシッと掴んでいる。
「ひぃ!?」
そのモヤはどんどん大きくなり、やがて人の形になった。ニヤリと笑ったその顔は───
「うそ⋯⋯私?」
自分と同じ顔が、醜悪な顔をさらに歪ませて。
〝あなたと一緒にしないでくれる?〟
「───百合子!?」
百合子の形をした黒いモヤが彼女に襲いかかってくる。
彼女は立ち上がると一目散に走り出した。
「死神さん!」
死神に助けを求めるが、つい先ほどまでそこにいたはずの彼の姿が見えない。
背後に迫る百合子の気配を感じながら、広い砂浜をひたすら走る。
〝私の身体、返しなさいよ!!〟
「嫌ぁっ!」
怖い───けど大丈夫。百合子が地縛霊なら、この砂浜から逃げればいいだけ。
しかし一向に砂浜の終わりが見えない。
それでも走り続けていると、向こうのほう、死神が大鎌を構えているのが見えた。
「死神さんっ、死神さん!!」
〝逃さないっ!!〟
ぐわっとモヤが彼女を覆う。その中で藻掻きながら死神に助けを求めると。
死神は無表情に大鎌で彼女の胴を薙ぎ払った。
「⋯⋯え?」
ぶしゃっと自分の腹から血が噴き出しているのを見ながら、膝から崩れ落ちる。
冷たく硬い感触───砂浜じゃない。この床、見覚えがある。西園寺研究所だ。
「しに、がみ⋯⋯さん?」
どうして───脂汗をかきながら死神を見上げれば、彼はとても冷ややかな目で見下ろしていた。
〝これからは私が死神さんと一緒にいるわ⋯⋯人造人間のあなたはここで終わり〟
するりと百合子が死神に抱きつく───モヤではなく、普通の人間の身体で。
死神もそんな百合子を優しい眼差しで見つめる。
待って⋯⋯ついさっきまで、死神さんの隣は私のものだったのに。
悔しくて恐ろしく思いながらも、彼女は必死になって死神に手を伸ばす。
しかしその手は人間のものではなく、黒いモヤだった。
「───ひぃ!!」
見ればすでに彼女に身体はなく。
ばっと顔を上げれば、そこにいたのは。
「お、お父様⋯⋯」
彼女の前ではいつも顰めた顔をしていた白衣の老人。しかし百合子にはいつも優しい笑顔の若々しい父だったということを百合子の記憶で知っている。
その老人が合図をすると、彼女の首に金属の輪が嵌められた───それは、クローンの実験体を廃棄処分するときのもの。
「いやっ、私───こんなところで死にたくない!」
渾身の力を振り絞って暴れるが、モヤでしかない身体はいとも簡単に診察台に縛り付けられてしまった。
いやいやと叫ぶ彼女の顔を、百合子が笑顔で覗き込む。
〝あなたの《ゴール》は私に命を繋ぐこと───ありがとう、感謝してるわ〟
そんな感謝いらない!
死神さん助けて!!
しかし死神は穏やかな笑顔で百合子の頭をわしゃわしゃと撫でている。百合子も嬉しそうに目を細めて───
いやだいやだいやだいやだっ!!
「死神さぁぁあぁぁあんっ!!」
風呂から出たあと、死神はいつも通り寝る準備をしてベッドに入ったが、魔力は枯渇に近く身体も疲れているのに頭だけは冴えてしまい。結局何度目かの寝返りをしたところで寝るのを諦めた。
この身体は睡眠を必要としない、寝なくても活動できるようになっている。便利だと思う反面、自分が普通の人間じゃないことをまざまざと思い知らされ、思わずため息が出た。
ベッドから起き上がり、ローテーブルに紙と羽根ペン、インクを用意し魔法陣を描いていく。
彼女に魔法陣はコピーできることを教えてもらった日から、大半はプリンターにお世話になっているが、ときどき時間のあるときはこうやって手描きをしている。
忘れないためというのもあるが、黙々と何かを作業するのは嫌いじゃない。
1枚描いては魔力を込め、種類ごとファイルに分ける。
ひたすら描き続け、ストックも充分できたしそろそろ寝られそうかなと、凝り固まった肩と背中の伸びをしていると。
隣の部屋からドンっ、バタバタバタと音が聞こえてきた。
「なんだぁ?」
その音は死神の部屋に近づいてきて、バンっと勢いよくドアが開いた。そこから転がり込んできたのは、目を真っ赤に充血させ泣き腫らした顔の彼女。
「死神さん!!」
「どうした───おわぁ!?」
彼女は床に座っている死神を見ると、彼の胸に勢いよく飛び込んだ。その拍子にインクの瓶が倒れ、黒いインクが机と床に飛び散った。
「あっ、ちょっ、バカお前───」
死神は慌てて瓶を起こすが、こぼれてしまったインクはどうすることもできず。片付けようにも彼女が死神の着ているスウェットをがっちり掴んでいて離さない。
「ちょっ、どうしたんだよ⋯⋯」
彼女の肩に触れると、彼女はビクッと大きく肩を揺らし、ガタガタと震えだした。
その尋常じゃない怯えかたに、死神は彼女を引き離すのを諦めた。ポンポンと背中を擦ってやる。
「怖い夢でも見たか?」
コクコクと彼女が首を縦に振る。
無理もない、今日彼女は得体の知れない地縛霊に追い掛けられ襲われかけたのだから。
「大丈夫だって。地縛霊はここまで来れねえから。来たとしても俺がいるから、な?」
安心させるようにポンポンとくり返し背中を撫でるが、今度は彼女は横に首を振った。
「───百合子」
「百合子?」
「百合子、百合子が! 私は百合子のために死にたくないっ! 本当はまだ死にたくない!! 死にたくないの───!!」
彼女はそこまで言うと、ワァーっと泣き出した。こぼれ落ちた涙が、次々と死神の服にシミを作っていく。
その様子を死神は呆然と見ていた。
〝死にたくない〟
彼女と初めて会ったあの日も、彼女は〝死にたくない〟と言っていた。それはやりたいことがあるからと、肯定的に死を迎えるために。
でも今は、純粋に死を恐れている。
大丈夫とは言えない。
メンテナンスを受けていない彼女は、間違いなく近々死ぬ。自分が何とかしてやるよというような、無責任な安請負いはできない。
「そうだよな、死にたくないよな⋯⋯」
今の死神が彼女にできるのは、共感して少しでも不安を和らげてやること。
未だに涙を流しながら震えている彼女の背中をギュウッと抱きしめた。
───俺も、離したくねえよ。
口には出せない、その想いとともに。
死神の体温と匂いと、そしてトクトクと一定の間隔で聞こえてくる心音と。それが恐怖で冷えて固まってしまった彼女の心を少しずつ溶かしていくれる。
ずいぶんと長い時間泣いてしまったようだ。死神の着ているスウェットは彼女が握っていたところはぐしゃぐしゃによれ、顔があたっていたところはぐしょぐしょに濡れてしまっている。
「ごめんなさい⋯⋯服汚してしまいました」
彼女はズビズビと鼻をすすりながら、まだ顔を上げられずに死神の胸に目を擦り付けた。
「ホントだよ⋯⋯涙と鼻水ですげぇことなってんじゃん」
「鼻水はついてないですよ───ちょっとしか」
「ついてんじゃねえか」
死神はきったねえなぁふざけんなよと口では言いながらも、嫌がる素振りなく抱きしめてくれる。
───優しいなぁ、ホントに。だから好きになっちゃうんだよ。
彼女は最後の1粒の涙を死神の服に移しながら、くすくすと笑った。
もっと死神にくっつきたくて、服から手を離し彼の背中にそっと腕を回す。
「あったかい⋯⋯死神さんの心臓の音って安心します。でも死神さんも心臓動いてるんですね。あたり前のことかもしれないんですけど⋯⋯なんだか不思議」
ふふっと彼女は笑うが、反対に死神は一瞬身体を硬直させた。
「死神さん?」
しばらく沈黙ののち、死神は深いため息をついた。
「あー、それなんだけど。さっき帰ってきたときに言った〝今度話す〟ってアレな⋯⋯⋯⋯お前に初めて会ったとき、死神なのかって聞かれて。それ否定しなかったから、お前ずっと俺のこと〝死神〟って呼んでるけど。一応俺、まだ人間なんだよ」
「⋯⋯え?」
彼女が顔を上げると、死神は気まずそうに目を逸らせた。小さな声で、騙してるつもりはなかったんだけどと続ける。
「生身の〝人間〟なんだよ。まぁ前も言ったけど普通の人間ではないけどな」
「えっと、それってどういう⋯⋯」
理解が追いつかなくて混乱した様子の彼女の頭を、死神はもう一度抱き寄せる。
「俺とか海で会ったアイツは何て言うかな、あの方の手足───眷属って言えばわかりやすいか。お前アイツのこと〝天使〟って言っただろ。〝天の使い〟で〝天使〟。まぁそれは当たってて、アイツはこの世に何等かの理由で留まってしまった魂をあの世に連れていく仕事してる。花火んときのばあさんとか、さっきの地縛霊とか。アイツが迷わないようにあの世に導くんだよ。頭の上の輪っかと翼はニセモノだけどな」
「だから天使さんのことコスプレって言ってたんですね⋯⋯じゃあ、えっと、死神、さんは?」
死神じゃないのに〝死神さん〟と呼んで良いのかとも思ったが、今さらそれ以外の呼び方も知らない。
言いにくそうな彼女とは逆に、死神は気にすることなく話を進めた。
「俺は神様たちにとって都合の悪いことを排除するための道具かな。神様ってのは直接この世の事象に手が出せないから、俺が依頼を受けて神様の代わりに建物ブッ壊したり害虫駆除したり───人間殺したりしてる」
「でもそれは神様からの依頼であって───」
「もう気にもしないけどな」
気にしてないはずがない。これでも衣食住をずっと一緒にしていたのだ、死神が人間の魂を刈る仕事の前後は落ち込んでいたりボーッとしていることを彼女は知っている。
しかしきっと死神は認めないだろう。
彼女は話を変えることにした。
「そういえば天使さんには肉体がないって言ってませんでした?」
「アイツは死んでるからな。予定の寿命より早く死んで、輪廻の輪に戻れなくなった奴がやってるのが〝天使〟」
「じゃあどうして死神さんは〝死神〟に───」
ほんの一瞬、死神の顔が苦しそうに歪む。
彼女は前にも同じことを聞いて、この表情をさせてしまったことを思い出したが、マズかったと思ったときには遅かった。
慌ててフォローを入れる。
「ごめんなさい。あの、別にどうしても知りたいわけではなくて」
「いや、いいよ。せっかくだから教えてやるよ。面白くも楽しくもねえ話だけどな」
はぁ───死神は深く息を吐いて。
これから彼が口にするのは、遠い過去、普通の人間として生きていたときの話。
お読みいただきありがとうございました。
明日の投稿で、ついに死神の過去が明かされます。
ありきたりというか想像通りかもしれませんが汗
よろしくお願いします。




