41.憧れの海③
バスを降りて。
目の前に広がるのは白い砂浜と青い海、彼女は待ちきれないとばかりに走り出した。
太陽はずいぶん西に傾いているが、南国特有のこの季節にしては暖かな風が、心地よい潮の香りを運んでくる。日没まではまだ時間がありそうだ。
「やっぱちょっと早く来すぎたんじゃね?」
「海で遊んでればあっという間ですよ!」
「お前ビキニ着るの?」
「だから着ませんって! でも足だけなら海入れますかね!?」
「シーズンでもねえのに海入る奴なんて観光客くらいだって」
「観光客だからいいんです!!」
そんな観光客も2人以外誰もいない。
彼女は砂浜で靴を脱ぎ鞄を置き、ボトムスを膝までたくし上げると、波打ち際まで走っていく。
「死神さんは来ないんですかぁー!?!?」
「俺はいいよ、遠慮しとく」
彼女はきゃあきゃあと歓声を上げながら、パシャリと海水に足をつけた。
「冷たっ!?」
「そりゃもう海入るような時期じゃねえからなぁ」
しばらく呆然と足元を見ていた彼女だが、気を取り直してパシャパシャとわざと水飛沫を上げるように歩く。嬉しそうに死神のほうを振り向くと満面の笑みで。
「慣れました!!」
「子供かよ⋯⋯って、脳ミソは13歳なんだっけ?」
「だから違いますよ〜!?」
死神は苦笑しながら彼女が脱いだ靴の隣に腰を下ろし、舞い踊るかのように水と戯れる彼女の姿を目で追う。
本当に楽しそう───輝く太陽と、美しい海がよく似合う。
「それにしてもよく飽きねえな」
ボソリと呟きスマホで時刻を確認すれば、結構な時間、彼女は1人海で遊んでいる。
ふと思いついて、スマホのカメラを起動させると、動画撮影モードにして彼女に向けた。スマホの中、生き生きとした笑顔の彼女が映って。
───キレイ、だな。
きっと、自分はこの動画を何千回何万回と見るのだろうなと。〝死神〟としての役目を終えるその日まで、スノードームのオルゴールを聴きながら、彼女と過ごした日々を何度も何度も思い出すのだろう。
たった半年しか一緒にいないのに、ずいぶんと絆されてしまったものだ。
「死神さーん!!」
膝上まで海に浸かった彼女が手を振っている。
死神もスマホから顔を上げて手を振り返す。
「バーカ、服濡れてんじゃねえか!」
「あとから死神さんが乾かしてくれますよ!!」
他人の能力頼りかよと呆れるが、それよりも。
「気ぃ抜くと波に攫われっぞ〜!」
「なに──────ぅわあ!?」
「あっ、バカ!!」
言ったそばから引いていく波に足を掬われた彼女。バシャっと背中から倒れた勢いで、両足が水面に浮き上がった。
「犬神家かよ!!」
とにかく危ない倒れ方だ。彼女は海水よりも比重が重いと言っていた、1人では起き上がれないかもしれない。
死神はリュックとスマホを放り出し、海に入って沈んでいる彼女の元へ急ぐ。グイッと彼女の腕を掴み一気に引き上げた。
「ぷはぁっ!!」
「おいっ、大丈夫か!?」
一瞬何が起きたか理解出来なくて、びしょ濡れの彼女は呆気にとられた顔をして───
「びっくりしたぁ!!」
照れた様子でヘラリと笑ったが、今はその笑顔が死神をイラッとさせる。
「バカヤロウ! 俺がいなきゃお前溺れて死ぬとこだったぞ!?」
死神の怒鳴り声に彼女はビクッとして、小声でごめんなさいと呟いた。
「まだ、死にたくない、です」
「だろ!? はぁ、もうホントに。こっちがビックリだわ⋯⋯焦らせんなよ、バーカ」
はぁああぁと深くため息をついて、死神はシュンとしている彼女の頭に両手で海水を掬ってタラタラタラっと垂らした。
「あっ、ちょっと!?」
「もうびしょ濡れなんだから気にする必要ねぇだろ⋯⋯いつまでもしょげてんなって。つーかお前のせいで俺まで濡れたし」
靴を脱ぐことも裾をめくる暇もなかった、おかげでベッタベタで脚にまとわりついて気持ち悪い。
死神はくるりと踵を返し、やれやれと砂浜に向かって歩き出した。
その後ろ姿を彼女は見つめ───両手で海水を掬うと、彼の背中にバシャッと掛ける。
死神の歩みがピタリと止まった。
「⋯⋯⋯⋯あ゙?」
「助けてくれたお礼です。もう濡れてるから気にする必要ない、ですよね?」
「お前。やりやがったなぁ!?」
「きゃあぁああぁ───!?」
「俺を怒らせてタダで済むと思うなよ!!」
「あはははははっ!!」
「オラオラオラオラァ!!」
「あっ、ちょっと死神さんズルいですよ!?」
お互いバシャバシャと海水を掛け、押したり引いたり取っ組み合い。2人全身びしょ濡れで大笑いしながら海の中じゃれ合う。
死神の背後に回った彼女が彼の腰に両手を回し、勝ち誇ったように笑った。
「隙ありぃ!!」
「ちょっ、おまっ、まさかのバックドロップ!?」
「護身術は令嬢の嗜みですよ!?」
「バックドロップは護身術じゃねえよ!!」
意外と怪力な彼女。一瞬、死神の両足が底から離れ、ふわりとした変な浮遊感が彼を襲う。
「わぁー! 待て待てっ!! お前っ、夕日見たかったんじゃねえの!?」
「え!? あ、見たいです!!」
「ぐぇ!!」
ポイッと死神を放り投げ、彼女は太陽が沈む方向に身体を向けた。
バッシャーン!!
彼女の後ろでカエルが潰れたような声と水飛沫が上がった。
先ほどまで頭上で黄金に輝いていた太陽が、いつの間にか水平線近くまで下がって橙色に変わっている。
徐々に赤みが強くなり、水平線に端を着けた瞬間、海面に反射して1本の光の筋を生み出した。
それは最後の力を振り絞って輝きを増す、生命そのもののよう───
「わぁ⋯⋯⋯⋯───」
そして、死神が魔力を使うときの瞳の色と同じ、一際赤く輝くと、静かにその姿を海の向こうへと隠した。
言葉にならない美しさというのは、こういうことなのか。
たった数分の出来事なのに、こんなにも心揺さぶられるなんて。
「すごい、きれい──────でした」
「そりゃよかった」
うっとりと余韻に浸っている彼女の横で、一緒に日没を鑑賞していた死神が伸びをする。
「夕日が沈む海もキレイだけど、俺は朝日が昇ってくる海のほうが好きだなぁ───ここは海から昇る朝日と海に沈む夕日が同じ場所で見られることで有名なんだって」
「えっ、そうなんですか!? じゃあ朝日見るまでここにいましょうよ!」
「はぁ? ヤダよ帰る」
「いま朝日のほうが好きって言ったじゃないですか!!」
「それとこれは別」
「でも───」
反論しようとしたところで、彼女の口から出たのは小さなくしゃみが3連発。
「ほら、身体冷えてるんだろ。いいかげん海から上がるぞ」
そう言って死神は今度こそ砂浜へ向かう。彼女も海から上がったところで、2人の身体と服を一気に乾かした。
「さすがにちょっとベトつくな───家帰って風呂入ろうぜ」
「じゃあ明日の夜明けにまたここ来れますか!?」
やけに食いつく彼女には悪いが、死神はため息をついた。
「確かに〝ここに来放題〟って言ったけど⋯⋯俺の魔力だと転移陣使ってもこの距離を跳ぶのは結構しんどいんだよ。休まないと身体が持たない」
転移は時空歪めるから魔力が大量にいる、期待させたのに悪かったと、死神は彼女の頭をくしゃりと撫でた。
彼女の脳裏に蘇るのは、血だらけで倒れていた死神の姿───さすがにそんな無理をさせるわけにはいかない。コクリと頷く。
「ワガママ言ってごめんなさい」
見るからに落ち込む彼女を見て、死神は頭を掻いた。
「あー、じゃあその辺に食堂があったからそこでメシでも食って、もうちょい遊んでから帰るか。明日は無理だけど、なるべく早く朝日見に来ようぜ」
それでもやっぱり死神は彼女に甘い。
彼女はクスリと笑って。死神が差し出してくれた手をキュッと握った。
「ありがとうございます───死神さん」
今日何度目になるのか、お礼を言いつつ。
この恩はどうやって返せばいいのだろうかと、死神の手の感触を確かめながら彼女は考えた。
「観光かい? こんな地味な食堂に珍しいねぇ」
「行き当たりばったりな旅してるもんでね───ブリの塩焼き定食とミックスフライ定食、1つごはん大盛りで」
「ブリ塩焼きとミックスフライね───お水とおしぼりはカウンターにあるから自分で取ってってね〜」
「はーい」
夫婦なのだろうか、厨房に還暦くらいの料理人と、注文から給仕やら何やらをする威勢の良い女将、そこそこ賑わう店を切り盛りしている。
死神の言った通り、海岸沿いにこぢんまりとした昔ながらの食堂があった。観光客向けというよりは地元民向けの定食屋、客もみんな顔見知りといった感じで、2人はどことなく浮いた感じだ。
「前来たときも俺ここの店でメシ食った───そのときはたぶん先代だったんだろうな。今厨房にいるオヤジ顔そっくり。あと美人なお姉さんもいたけど、もうさすがにいないわなぁ」
「へぇ〜」
そんなことを話しているうちに、女将がお盆に乗せた料理を運んできた。大盛りごはんのミックスフライ定食は死神の前、ブリの塩焼き定食は彼女の前に置く。
「どうぞごゆっくり〜」
女将が下がり他の客とおしゃべりに花を咲かせているあいだに、2人はお盆ごと料理を取り替えた。
「お前がその見た目で大盛りごはんとがっつり揚げもん食うの想像できねえよな」
「死神さんこそ若いんだったら大盛りごはんとがっつり揚げもんいってくださいよ」
「昨日の夜も今日の昼もがっつり肉食ってるからそろそろあっさり魚食いたいんだよ」
「そういうもんですかね?」
「そういうもんだって。でもアジフライうまそうだな、ひと口ちょうだい」
「あ、じゃあ私もブリの塩焼き半分ください」
「⋯⋯半分?」
釈然としない様子の死神だったが、結局2人でブリの塩焼きとミックスフライを分け合った。
でもやっぱり彼女のほうが食べてる量多いよな〜と死神は思ったが、それは言わないことにした。
「女将さ〜ん、お勘定!」
「はいは〜い! ブリ塩焼きとミックスフライね、ありがとうございました〜!!」
支払いを終え食堂を出ようとした2人に、女将が後ろから「ちょっとお兄さん」と声を掛ける。
「お兄さんってさ、お父さんとそっくりなんじゃない?」
「⋯⋯あ?」
いきなりな問いかけに死神が怪訝そうな顔をする。しかし女将は気にすることなく笑顔で話を続けた。
「あたしねぇ、お兄さんのお父さんに会ったことあると思うの! 30年以上前の話なんだけど。お兄さんそっくりな人が夜1人食堂に来てね、疲れた感じでごはん食べてたから、あたしが〝お兄さんどうしたの?〟って訊いたらね、その人〝赤潮掬ってたから疲れた〟って。何言ってるんだろって私笑っちゃったんだけどね」
彼女は思わず死神を見る。彼は何とも言えないというような表情をしていた。
「その年は大きな赤潮が発生しててね。漁業も観光も絶望的って言われてたのにその翌日ね、赤潮が消滅したってニュースが───」
厨房から「またお前そんなこと言ってるのか」と笑い声が聞こえた。女将は「あんたはちょっと黙ってな」と言い返す。
「あたしもね、偶然だとは思ってるんだよ───だけどもしかしたら、あの人ホントに赤潮掬ってたんじゃないかって」
「面白いね、それ」
死神はクククと笑い、そしてため息をついた。
「親父はもう死んでるけど⋯⋯まぁそんな慈善事業するような男じゃねえな、残念だけど」
「そうなの? 食堂に食べに来るのは常連さんばっかだからね、お兄さんたちみたいな他所から来た人は目立つんだよ───その人もかなり目立ってて、本当に今のお兄さんそっくりだったの、見た目も服もそのまんまだったからつい声かけちゃった!!」
女将は「そんな偶然あるわけないか〜ごめんなさいねぇ」と豪快に笑う。
死神も再びクククと笑って。
「じゃあそれやったの〝俺〟ってことにしといてよ」
「えぇ?」
女将は一瞬目をぱちくりさせたが、にっこり笑った。
「そっか〜あれやったのお兄さんだったのね───わかった。じゃあ次またここに食べに来てくれたら、そのときはお礼にブリ塩焼きとミックスフライごちそうするわ!」
店内から常連客がいいな〜とかズルい〜とか言う声を背中越しに聞きながら、2人はぺこりと頭を下げ食堂をあとにした。
海に向かう道を歩きながら彼女がチラリと死神を覗くと、彼は憮然とした表情をしていた。
「さっきの女将さんの話、死神さんのことでしたね」
「そうだな」
「女将さんと会話したことは覚えてました?」
「いや、美人なお姉さんがいたことは覚えてるけど───って、あのお姉さんの30年後があの女将か」
時の流れは残酷だな、クククと死神のバカにしたような笑いに、彼女はギロリと彼を睨む。
「いま死神さんは世の中の女性全員を敵に回しましたよ」
「マジで? そりゃ悪かったな」
全く悪いなんて思ってなさそうだ。
しかしこれ以上言っても無駄と、彼女は諦めた。そして女将の言葉を思い出してふふふと笑う。
「でも死神さんのお父さんって⋯⋯30年前だから仕方ないですけど───死神さんってお父さん似ですか? それともお母さん似?」
「どっち似でもねえよ、俺は木の股から産まれたからな」
「え〜なんですかそれ? ちなみに私は〝お父様とお母様を足して2で割った〟みたいってよく言われます!」
今度は死神がちらりと彼女を見る。上機嫌に話す彼女は、また記憶が混同しているようだ。
「死神さんのお母さんはまだご健在ですか? いつかお会いできれば───」
「もう死んでるって、親父もお袋も───俺が殺したからな」
「え?」
一瞬、死神の瞳が仄暗い赤に染まる。
「あの、それって───」
「そのまんまの意味だよ。はい、もうこの話はおしまい」
「あ、あの───」
思わず足が止まった彼女を置いて、死神は海に向かって歩き続けた。
お読みいただきありがとうございました。
今回の話、観光で人気な某県をモデルにしていますが。
〝海から昇る朝日も海に沈む夕日も見れる〟場所は本島にはないそうです。
ま、その辺はファンタジーなので。
さらっと流していただけるとありがたいです。
明日も投稿予定です。
よろしくお願いします。




