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39.憧れの海①

「あの、連れてってもらう分際なのにこんなこと言いたくないのですが⋯⋯」

「ぁん?」


 ソファーでゆっくりコーヒーを飲んでいる死神に、彼女は非常に言いにくそうに声を掛けた。

 手持ち無沙汰な彼女は、ローテーブルに置いてあるミニミニ骨格標本クジラをツンツンとつつく。カタカタカタとそれは彼女をバカにしたようにそれは鳴った。


「まだ行かないですか? その⋯⋯海にいる時間が短くなっちゃう」


 焼肉を食べた翌日の朝。

 海のレジャーが楽しめるようなところまで行くには、2人が住んでいるアパートからだと少し時間が掛かる。これ以上遅くなると、楽しむ時間がなくなってしまう。それとも死神は海なら近場のところで充分と思っているのだろうか。

 がっかりしながらも文句は言ってはいけないと思っていたが⋯⋯さすがに焦れてきた。


「あのなぁ、そんな早く行ってもやることないって」

「でも⋯⋯」

「あ〜もうわかったよ。コレ飲み終わったら行くから。出掛ける準備してな」

「もう準備終わってます」

「相変わらず早えな」


 小学生かよと死神は苦笑しながらコーヒーを飲み干すと、キッチンの流しでカップを洗い、玄関に向かった。

 彼女もいってきますとミニミニ骨格標本クジラに声を掛け、玄関に向かい靴を履こうとしたが、死神が横からヒョイとそれを取り上げる。


「あっ、ちょっと───」

玄関(そっち)じゃねえよ」


 死神は自分の靴も持つと、回れ右をしてもう一度部屋へ戻っていく。


「転移陣から跳ぶ」

「⋯⋯え?」


 死神が自室のドアを開けると、転移の魔法陣の前、敷いてある玄関マットの横にいつものリュックが置いてあった。それをよっこいせと背負うと、彼女を手招きする。

 その場で靴を履き、陣に指先を触れ魔力を流す───ふわりと光が灯ったところで、隣で戸惑っている彼女の腰に腕を回した。


「うひゃあっ!?」

「転移先が大丈夫なのは確認したけど、足場悪いから気ぃつけろよ」

「えっ、ちょっと先にどこ行くか教えて───」

「ナイショ。もっとくっついとけ」


 グイッと死神が彼女を抱く腕に力を入れると、彼女も恐る恐る死神の首に腕を回した。

 2人の顔が近くなる。

 彼女は死神の赤くなった瞳を、死神は自分が映る彼女の瞳を互いに見つめあう。


「⋯⋯ホントに赤くなってるんだな」

「神秘的でしょ?」

「ただ不気味なだけじゃね?」


 彼女が首を横に振ったところで、死神は陣へと目を移し、転移先へ意識を巡らせる。

 空間がグニャリと曲がり。


「いくぞ」

「はい───」




「───いぃいぃぃぃい!?」

「あ、やべ」


 次の瞬間。

 ザッパ───ンと2人は頭から波を被った。

 積み上げられた消波ブロックの上。

 2人はボタボタと海水を滴らせた。




「うわ〜〜〜〜っ!」

「あんま調子乗るなよ、せっかく乾かしてやったのに次は海落ちるぞ」


 消波ブロックから防波堤に登り、海を一望する。

 見渡すかぎりの青。

 一言で青といっても、エメラルドグリーン、ブルーから群青、濃紺と絵の具が混ざり合うように広がっている。

 太陽が眩しい。波がキラキラとその光を反射して、この世界の全部が輝いているかのよう。

 ここはどこかと聞けば、国内だが飛行機でしか行けないような、海が有名な観光地。


「仕事でずいぶん昔に来たんだけど⋯⋯俺セキュリティ関係で飛行機乗れないから、船に乗って何時間もかけて。んで仕事終わって帰ろうってときになってさ、初めて海がキレイだって気付いて。それまでずっと見てたはずなのにな。いつかまた仕事じゃなくて来たいと思って、そのとき座ってた消波ブロックに転移陣描いたんだよ」

「じゃあここには何回も来てるんですか?」

「いや、結局なんだかんだ忙しくしてるうちに行くタイミングがわからなくなって、そのうち行く気力もなくなって───昨日お前に海に行きたいって言われるまでここのこと忘れてたくらい」

「なんだかブラック企業で働く社畜みたいですね」

「ま、そのおかげで1回しか使えない転移陣が残ってたんだ。俺を社畜みたいにしてくれた人使いの荒い神サマたちに感謝だな」


 全く感謝していないどころかすごく嫌そうな顔で死神が言うものだから、彼女は思わず笑ってしまった。


「そうですね⋯⋯勤勉に死神業をしていてくれた死神さんに感謝です」


 だからあの日、死神と出会えた。


「ありがとうございます、死神さん」

「ん」


 彼女の言いたいことが伝わったのか。

 死神の頬が赤く染まった気がしたが、彼は軽く舌打ちするとフイっとそっぽを向いてしまった。

 彼女は照れてるんですかと追い打ちをかけようとしたが、彼が手を差し出してくれたから。嬉しくなってその手をキュッと握って。


「ところでその時はどんなお仕事だったんですか?」

「発生した赤潮の除去」

「え? どうやって?」

「小舟で沖に出てひたすらタモ網で掬った」

「死神業ってタモ網が大活躍なんですね」


 2人並んで海岸へと続く防波堤をゆっくり歩く。

 心地良い太陽の光と海風にのった潮の香りが、ふわりと2人を包んだ。




 海岸近くのレジャーショップに行くと、目当ての水中観光船は30分後から乗船が始まるらしい。

 ちょうど良かったと、待合室で今日の予定を立てる。


「午前中は水中観光船乗って、お昼ごはん食べに街のほう行ってそのまま観光───んでまた夕日を見に海来るってかんじ?」

「そうですっ、海に沈む夕日はマストです!」

「ちょっと行程に無駄があるけど⋯⋯日帰りでやりたいこと優先するとそうなるわな」


 まぁ無理じゃねえしそれでいくかと、死神はスマホでルートを確認する。

 彼女はそれを横から覗き込みながら、ここのアイスクリーム美味しいです、お土産買うならこっちのお店がオススメ、お肉を食べるならここかここどっちかがいいですよと付け加える。


「よく知ってんなぁ」


 死神は彼女の知識に驚く、事前に調べたわけでもないのにと。

 しかし彼女はピクリと止まると、大きなため息をついた。


「ごめんなさい⋯⋯これも全部百合子(オリジナル)の記憶ですね───大学の友達との卒業旅行、最初は海外の予定だったんですけど、百合子の容態が不安定だからってここになったんです。だからせめて友達を喜ばせようと色々調べたけど、結局直前になって悪化して来れなかったんです」


 しかも40年くらい前の情報だから今は違ってると思いますし忘れてくださいと、彼女は寂しそうに笑った。


「お前の頭ん中にある知識はお前のモンだし、40年前の情報が今でも通用するか試してみるのも楽しいんじゃね? せっかくだし行けばいい」


 死神が頭をわしゃわしゃと撫でてやると、彼女は気持ち良さそうに目を細めて。


「髪の毛ぐしゃぐしゃになるからやめてください、せっかく可愛くしてるんですから」

「言ってることと顔が合ってないぞ」


 そうこうしているうちに乗船時間となった。

 1番に受付していた彼女は、はしゃぎながら誰よりも先に船に乗り込んでいく。


「子どもみたいな奴だな」

「だって〝身体は大人、頭脳は子ども〟ですから!」

「え、やっぱそうなの?」

「ちょっと、そこ信じないでくださいよ!!」


 船は定員60人の2階建て、船底がガラス張りになっている。桟橋から魚を観るスポットまでは15分ほどかかるらしい。

 観光シーズンから外れているせいか、客は定員の半分にも満たない。おかげで他の客に気を使うことなく、気に入った場所を陣取ることができた。


「わぁ⋯⋯⋯⋯お魚、全然いないですねぇ」

「いねぇな」


 ガラスにべったりと張り付きながら目を凝らす。

 もっと色とりどりの魚たちが游いでいるものだと思っていた。しかしガラス越しに見えるのは、ちらほらと小魚が数匹。

 船のガイドが撒き餌をしているようだが、効果はイマイチらしい。

 

「まぁこの前水族館行ったばっかだし、比べたらダメだと思うけど。あれは演出されたもんだしなぁ」

「えぇ〜」


 ガイドに訊けば、今の時期はたくさん魚が寄ってくる日も時々あるが、たいていは今日くらいなものらしい。あと半年後に来てもらうと確実だと思う、フロントに次回から使えるクーポンあるからもらってってね〜と言うとガイドは去っていった。


「じゃあまたその頃来ましょうよ、リベンジです」

「⋯⋯───」


 隣に座る死神にニコリと笑い、彼女はまたガラスの向こうに目を向ける。

 よく見ればあの小魚たちもキレイな色してますね、海底の岩も水族館とは違ってダイナミックで素敵です、次はシュノーケルかダイビングやってみたいかも!

 楽しそうに話す彼女の横顔を死神は見つめる。


 半年後、彼女はもう()()にはいない。

 研究所がなくなってメンテナンスを受けていない彼女は、いつ機能を停止してもおかしくない。

 彼女もそのことは知っているはずなのに。


「そうだな───また来よう」


 死神がそう言うと、彼女は嬉しそうに笑って。


「約束ですよ」

「あぁ」


 こっそり、目に魔力を集めて彼女を見る。

 もしかして、もしかしたらと期待をこめて───


〝Error〟


 ウィンドウにその文字だけが、以前と変わらず表示されていた。




 あっという間に時間は過ぎ、船は桟橋に戻りレジャーショップに帰ってきた。

 彼女は受付にあったチラシを1枚取ると、それをじぃーっと見つめている。

 ダイビングをしている人の手から色とりどりの魚がエサを啄んでいる写真が載った、先ほどのガイドが言っていた次回使えるクーポンだろう。


「こういうのを想像してたよな〜」


 横から死神が声を掛けると、彼女はそのチラシを受付に戻した。


「貰ってかねえの?」

「さっきは気分が盛り上がっちゃってあんなこと言ってしまいましたけど⋯⋯よく考えたら私に〝半年後〟なんてないなって」


 彼女は力ない笑いをすると、さぁ次行きましょうと出口に向かう。

 死神は彼女が戻したものを手に取ると、彼女の横に並ぶ。


「ま、俺ほどの稼ぎがあればクーポンなんて要らねえけど。別に半年後じゃなくてもまたすぐ来りゃいいじゃん。俺と一緒なら物理でここに来放題、交通費も時間もかからねえしな」


 俺ってスゲーじゃん感謝しろよ〜と死神がニヤリと笑うと、彼女もつられてくすりと笑った。


「はい───あ、でもちゃんと仕事はしたほうがいいですよ?」

「わかってるよ⋯⋯明日からな」

「やる気出ないときの定型文ですね」

「俺は真面目な社畜だぜ?」



 通りに出ると街までの乗合バスが走っている。

 それに乗り込み2人掛けの席に並んで座り、しばらく揺られる。

 平日のこの時間、バスの座席数の半分ほどの乗客はほとんど観光客のようだ。

 楽しそうに話に興じる学生グループや穏やかな空気を纏う老夫婦、仲睦まじげに寄り添うカップルは新婚さんだろうか。


 ───私たちはどういうふうに見えるのかな。


 彼女の隣で窓から外の景色を眺めている死神の手は、彼の膝に無造作に置かれている。

 彼女も外を眺めながら、そっと死神の手に自分の手を重ねた。目の端に一瞬驚いた顔をした死神が見えたが、彼はくすりと笑うと指を絡ませるように手を握り返してくれた。


 ───耳が、熱い。


 死んだらこの記憶は、この想いはどこへ行くのだろう。

 死んで身体から離れた魂は、あの世に行ったあと浄化されて再びこの世に戻ってくるという。

 だけど魂がないという私は───?


 それでも憶えていたいのだ。

 死ぬまでは、この記憶もこの想いも、手から伝わる彼の温もりも。


 全部全部、私のもの。


お読みいただきありがとうございました。

明日も投稿予定です。

よろしくお願いします。

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