38.疲れたときは肉を食う
「あ゙ぁ〜、しんどいわぁ⋯⋯」
ぐにゃりと空間が歪み、死神はアパートの自室に戻ってきた。ふぅーっと息を吐き出して、リュックを投げ下ろし、彼女の助言で敷いたマットの上で靴を脱ぐ。
予想していた通り、増え過ぎた毒キノコの除去で体力気力はごっそり削られた。
外来種のキノコが増える原因は温暖化による気候変動の影響で───まぁ色々だが、そんなことは死神には関係ない、そこの土地神様から来た依頼をこなすだけ。
今日1日森の中を動きまくった身体は疲労感でいっぱいだ。
キンキンに冷えたビールをグイッとあおりたい、メシはビールに合うやつだったらいいな。そんなことを思いながら、リビングに繋がるドアを開ける。
「ただい⋯⋯ま?」
いつもなら死神が言い終わる前に〝おかえりなさい〟と嬉しそうに言う彼女なのに。
今日はそれがない。
電気を点けていない部屋は薄暗いのに、わざとらしい笑い声のするバラエティー番組を映すテレビだけがやけに明るい。
電気を点ける。
テレビの前に置かれたソファーには、俯いて微動だにしない彼女。
ぞわり、死神の背中に悪寒が走った。
前にもこんなことがあった。
だけど。
最近、彼女が体調悪いのを一生懸命隠しているのに気付いていた。
一緒に暮らし始めて早半年、もういつ彼女が死んでも───
「嘘、だろ⋯⋯?」
頭から血の気が引き、震えそうになる足を叱咤して彼女にかけ寄り、その肩を掴む。
「おいっ、ユ───」
「アッチョンブリケ!?」
彼女がビクッとなり頭を上げる。
まだ焦点の定まらない彼女の瞳に死神の姿が映り、しばらく寝惚け眼をパチパチしていた彼女がようやく覚醒した。
お互いの顔が近い。
「アッチョンブリケ!!」
「おぁ!?」
ゴンッ───
「痛ってぇ〜〜〜っ!!」
「うわぁ〜〜〜!? ごめんなさい〜〜〜!!」
驚いた彼女に肩を押され、よろけた死神がローテーブルの角で頭を打って床をのたうち回っている。
上に置いてあったミニミニ骨格標本クジラが、何やってんだとでも言うようにカタカタカタと激しく鳴った。
しばらくして。
痛みが落ち着いた死神がむくりと起き上がった。
「お前、ビックリさせんなよ⋯⋯心臓止まるかと思ったし横隔膜矯正帯どころじゃねえって」
「すみません⋯⋯お昼寝しちゃってて。でもその説は間違いっていうのは割と有名な話だと思いますけど」
「いや知ってるけど普通に〝アッチョンブリケ〟なんて口から出てこねえだろ」
「そうですか? 割と普通に出ましたけど⋯⋯今日は仕事早く終わったんですね、死神さん帰ってくる前には起きる予定だったんですけど」
「はぁ? いつもと同じくらいじゃね?」
「え?」
壁に掛けてある時計を見て───一瞬何が何だかわからなかったが。彼女は自分が朝に休憩してから今まで8時間以上、ぐっすり寝てしまっていたことを知った。
血の気がサァーっと引いていく。
「わぁ〜!? ごめんなさいっ、夕飯の準備何も出来てないです!!」
慌ててキッチンに行き、冷蔵庫やパントリーを開けてみるが、こういうときに限ってパスタなどのストックもない。
「すみませんっ、今からお惣菜買ってきてもいいですか!?」
「え? いや、俺は別に───」
このアパートに越してきた日に食べたお惣菜の唐揚げ、あれを買いに行こう。あの唐揚げとサラダと、お米も炊いてないからパックごはんと、あとは明日の朝の分と───
彼女がバタバタと買い物に行く支度をしているのを見て、死神は1つため息をついて頭を掻いた。
「いや、いいって。お前、最近疲れてるんだろ?」
「でも───」
「いいか? こういうときはな、肉食いに行くんだよ、肉」
「肉、ですか」
「そうそう」
ニヤリ、死神は笑って、戸惑う彼女の手を引いた。
ジュ〜っと目の前の網で肉が香ばしい匂いを上げながら焼かれるのを、彼女は目をキラキラさせながら見ていた。
「おい、ボーッとしてると焦げるぞ。コレとコレとコレ食っとけ」
「え? あっ、はい! いただきまーす!!」
ビールジョッキ片手にトングで肉を裏返していた死神は、焼けたものから彼女と自分の皿に上げていき。それを小皿に取り分けたレモン汁にチョンと付ける。
薄くスライスされたタンはシンプルな塩味。柔らかくジューシーな食感にレモンの酸味がたまらない。ひとくちで頬張って咀嚼し、ビールののどごしを楽しみながら一気に腹まで流す。
「くぅ〜っ、うんまっ!! やっぱ焼肉っつったらビールだな」
「いいですね〜、私は今日はジンジャエールにしましたけど⋯⋯酎ハイにすればよかったかなぁ」
彼女も形だけは死神の真似をして、肉をチョンとレモン汁に付け頬張った。噛めばじゅわっと肉汁が口中に広がり唾液腺を刺激する、耳の下がキュンっとなったところでそれを飲み下し、辛口のジンジャエールをゴクリと飲む。
「ぅんまーっ、ですね!!」
「だろ? 食え食え」
アパートから駅の方へ向かう道沿いにある焼肉屋。
夕飯時ではあるが、平日ということもあって待たされることもなくすぐ席に案内され、注文したら即メニューが提供された。
キムチ、サラダから腹ごなしをし、いざ肉へ。1品目はタン塩を賞味している。
「死神さんはお米食べないんですか?」
彼女はジンジャエールのジョッキを置き、肉と一緒に頼んだライス(大)に持ち替える。肉汁滴るタン塩を白米の上でワンバウンドさせて食べ、さらに肉汁の染みた白米を口に運ぶ、それだけで幸せ。
「シメにクッパ食いたいから今は要らねぇな」
「⋯⋯世界的有名なラスボスですか?」
「お前マジで言ってんの?」
「焼肉用語っていうことはわかるんですけど。私、焼肉来たの初めてなんで」
「かぁ〜っ、マジか。そりゃ人生損してるな。牛出汁とか魚介出汁の雑炊みたいなもんだよ、肉とか入ってて。焼肉屋の定番のシメだな」
「おいしそうですね」
「冷麺とかビビンバもいいけど、俺は断然クッパ派」
「シメか〜いいですね⋯⋯でもそこまで食べられないかも。コース料理だとメイン食べ終わったところでごはんと汁物出たりするじゃないですか、おかずと一緒にごはん食べたい派からすると、あれ嫌なんですよね。だから友達と旅館とかホテル泊まったときとか、マナーあんまり気にしなくてもいいときのコース料理は、メインと一緒にごはん持ってきてもらったりしてました」
「へぇ〜、お前も旅行とかしたことあるんだな」
ずっと研究所暮らしで、人間らしいことは無縁とばかり思っていたが、それなりに彼女にもそういう楽しそうな思い出があって良かった───死神がビールをあおりながらそんなことを思っていると。
コトっとごはん茶碗を持つ彼女の手が力なく机に落ちた。
「ごめんなさい───嘘つきました。コレ、百合子の記憶ですね。一瞬私の記憶と混同してしまいました」
目に見えてシュンと落ち込んでいる。
死神はカルビとロースを焼けたものから彼女の皿に上げてやる。
「そういうときはな、肉食え肉。元気出るぞ」
「⋯⋯そうですね、サンチュ頼んでいいですか? あともっとタン塩食べたいです、壺漬けハラミもおいしそう」
「お前、結構食うよな。いいよ、好きなだけ頼め───だけどホルモン系はあとからにしろよ、網汚れるし脂でくどくなるからな」
「はーい」
その後は2人特に会話もなく黙々と肉を焼いては口に運ぶを繰り返す。
その少し重くなってしまった空気に、死神はビールを飲み干しスマホを取り出すと、件のアプリで今後の仕事の予定を確認する。
先程アパートで見た光景、今回はただ彼女がソファーで眠っていただけだった。自分が一瞬思ったこととは違って安堵したが、いつあれが想像した通りになるか。
近い未来、1ヶ月後なのか1週間後なのか、それとも1日後なのか。
どうあれ彼女にはもう時間がない。
そんなことわかっていたことなのに。
「明日、どこか行くか?」
「え?」
「急だから日帰りだけど⋯⋯どこか行きたいところがあったら連れてってやるよ」
「えっと、じゃあ⋯⋯海がいいです」
一瞬にして彼女の顔がぱぁっと明るくなり、意外にも迷うことなくそう言った。
「海ねぇ⋯⋯ビキニ着るなら買ってやるぞ?」
「死神さんのエッチ。今どき紫外線汚染でラッシュガードとレギンスは必須ですし、そうじゃなくても海入れる時期じゃないです」
彼女の正論に死神はクククと笑った。
彼女もつられて笑う、ポンポンとお腹をさすって。
「ビキニ着るならこんなにもごはんとお肉食べちゃダメですしね」
「それは残念だったな⋯⋯まぁこの季節でも遊覧船とかグラスボートとか、いろいろ海のレジャーはあるし。いいんじゃねえの、海」
死神はビールのおかわりとホルモンを注文し、アプリで仕事の予定を組み直す。とりあえず明日に入っていた仕事は急ぎではない、そこそこ気が知れてる神様相手だ、リスケしてもらおう。
「海、見たことはあるんです。だけどすごく遠くからちらっと見えただけで───あれが海なんだ〜って。ちょっと憧れだったんです」
「へぇ⋯⋯この前の水族館、海近かったから寄りゃよかったな」
気付かなくて悪かったと言う死神に、彼女は首を横に振る。
彼女も水族館から海が近かったのは知っていたのだ。さっさと伝えなかった自分が悪い。
「連れてってもらえるのは嬉しいんですけど⋯⋯でも仕事は大丈夫なんですか?」
「俺は優秀だからいいんだよ」
「ふふっ⋯⋯そうなんですね」
「なんだよその言い方、信じてねえな?」
「いえいえ、そんなことありませんよ」
ホルモンを焼けたものから彼女は口に運ぶ。
熱い脂がじゅわっと口に広がった。
「熱っ! でもうまっ!! でも飲み込むタイミングがわかりません!!」
「んなもんテキトーに噛んであとは炭酸で流し込むんだよ」
おかわりのビールをあおりながら、明日に残るとダメだし今日はビールこれで終わりだなと、死神はシメのクッパを注文する。
「お前シメどうする? デザートでもいいぞ」
「え〜、じゃあチョコレートサンデーとプリンアラモード食べてもいいですか?」
「おいおい、容赦ねぇな。まぁいいけどよ」
おずおずと、しかしガッツリ注文する彼女に死神はクククと笑った。
程なくしてクッパとチョコレートサンデー、プリンアラモードが運ばれてきた。
「んーっ、おいひい。幸せ〜」
「それくらいで幸せになれるんだったら安いもんだな」
サンデーのチョコアイスを頬張る彼女は紛れもなく幸せそうだ。
死神もクッパを口に運ぶ。1人でふらりと焼肉屋に入ることはあったが、誰かと焼き網を囲んで食べるのは何十年ぶりだろうか。シメまで美味しいと思えるなんて、確かにこれは幸せなことだ。
死神がクッパを次のひと口掬おうとしたところで、目の前にずいっとスプーンにのったプリンが差し出された。
「このプリン、結構濃厚で美味しいですよっ、ひと口どーぞ」
すでにチョコレートサンデーを完食し次のプリンアラモードを食べている彼女が、ニコニコとそのスプーンを死神の口に近づける。
死神はパクっとそれを頬張った。ゆっくり、スプーンに付いていた分も唇で全部拭い味わう。
「ね? 美味しいでしょ!」
「うーん、まぁうまいけど⋯⋯クッパ食いながらプリン食うもんじゃねえな」
せっかくの牛出汁の旨味がプリンの甘ったるさでかき消されてしまった。
死神が水で口直しをするのを見て、彼女はおっかしいなぁこんなに美味しいのにと、首を傾げながらプリンアラモードを食べ進めている。
「お前は気にしないんだな」
「何がです?」
「間接キス」
「ぶふっ!?」
げほごほと咽る彼女を見ると、いつだったかの仕返しは成功したようだと、死神はクククと笑う。
「死神さん⋯⋯何を中学生のような」
「お前だって実質13歳なんだろ?」
「肉体的にも精神的にも25歳ですっ!!」
「大丈夫だって、俺も虫歯ねえし」
「死神さん酔ってますよね!?」
「酔ってねえよ」
「大体酔ってる人は〝酔ってない〟って言うもんなんですよっ!」
クククと笑っていたのが耐えられなくなってアハハハと声を上げる死神を恨めしく睨んではみたが───彼女もつられて一緒に笑った。
そのスプーンで食べるプリンアラモードは、甘くて甘くて。
そして、とても切ない味がした。
お読みいただきありがとうございました。
明日も投稿予定です。
よろしくお願いします。




