36.デートのあと
「次お風呂どうぞ───って、あれ?」
彼女がお風呂上がりの髪をタオルで拭きながら、死神の部屋のドアをノックする。しかし返事はなく、そろりと開けてみると中はもぬけの殻だった。
リビングを見渡してもいない。今日買ったばかりのミニミニ骨格標本クジラが、ローテーブルの上でカタカタと鳴っている。見ればベランダに続く掃き出し窓のカーテンもふわりふわり揺れていた。
ひょいと覗けば、死神がベランダの柵に体を預け、缶ビール片手に煙草を煙らせていた。ぼーっとしているようで、彼女が隣に立っても気付かない。
しばらくして急に風向きが変わったのか、死神が吐き出した煙をしっかり浴びてしまった彼女がゲホゴホッと咽た。
「おわっ!? びっくりした⋯⋯悪い悪い、いつからいた?」
「ちょっと前からですけど。何か考え事してましたか?」
「あ〜⋯⋯まぁ、そうだな」
そう言った死神が何か続きを言うのかと待っていたが、そのまま会話が途切れた。
時折、公園の木々の葉擦れの音が聞こえるくらい。それを彼女も一緒になって聞く。
「そんでなんか用だった?」
空になった缶に短くなった煙草を捨て、新しい煙草に火を着ける。その煙の行方を見ながら、死神は彼女に声を掛けた。
「あ、はい⋯⋯お風呂空きましたよって呼びに来ただけなんですけど」
「───先言えよ、煙草火着けちゃったじゃん」
死神としてはただ事実を言っただけだし、彼女を責めたつもりはなかったのだが。
彼女はビクッと肩を震わせると、ごめんなさいと小声で言った。昼間の件を引きずっているのはお互い様のようだ。
気まずい空気が流れる。死神は頭をガシガシと掻いて、彼女のほうを向いた。彼女の頬に伝う水滴を見て一瞬焦ったが、それが髪から落ちてきたものと気付いてホッと胸を撫でおろす。
「髪くらい乾かしてから出てこいよ⋯⋯しゃあねえなぁ、こっち向け」
「え?」
死神はまだ長い煙草を缶に置き、彼女の髪を梳くように両耳に手を当てる。彼の目に昼間水族館で見たときのように仄暗い赤色が灯り、やがてそれが真っ赤に染まった。
「ふぁ───んっ!」
彼女の背中がゾクリと再び脈を打つ。圧倒的な畏怖に魅了さてれ。直視したせいか、昼の何倍も激しく───
「はい、おわり」
「⋯⋯え?」
いつもの黒い目に戻った死神は、何事もなかったかのように煙草を取り燻らせる。
「髪、乾かしてやった」
「え? あ、ホントだ! どうやって!?」
彼女が髪に手櫛を通すと、サラリと毛束が流れた。しかもいつもよりイイ感じに仕上がっているような気がする。
「水を分解して水素と酸素にしたんだよ」
「いきなり化学!?」
「熱を加えないから髪にも優しい」
「どうりでサラサラです!」
「そういやお前、たまに俺のシャンプー内緒で使ってんだろ」
「バレてました!?」
たま〜にあのスーッとする感じが欲しくなるんですよと、彼女がゴニョゴニョと言い訳して。
驚いたり感動したり気まずそうな顔をしたり、彼女の顔を見てるとホント飽きないな、死神がそう思っていると。
「ごめんなさい」
ショボンとした彼女が再び謝罪を口にする。
「別に使ってもいいんだけど。あれ男モンだから、頭の脂ごっそり持ってかれるぞ───ほどほどにな」
「はぁーい」
ポンポンと死神が彼女の頭を撫でて。
2人の視線が交わる。
「今日は悪かった」
「今日はごめんなさい」
2人の声も重なった。
2人して少し驚いて、そしてくすりと笑った。
「死神さんが鏡あんなにも嫌がると思ってなかったんです。でも知らないかといって、不快な思いをさせてしまったことにかわりないですから。すみませんでした」
「それな⋯⋯⋯⋯見せたほうが早いか」
「え? わぁ!?」
死神は短くなった煙草を缶に捨てると、頭を下げていた彼女の肩を抱き寄せた。スマホを取り出すとカメラを起動し自撮りモードにする。
「え!? いま写真撮ります!?」
ツーショットは嬉しいですけどお風呂出たあとのスッピンだしなどと慌てる彼女をよそに、死神はスマホを持つ手を伸ばし、角度を調節して2人が写るようにする───しかしそれは叶わない。
わかっていたことだが、ため息が出た。
「画面、見てみろ」
「ひゃ〜っ、はいぃいぃぃ───」
死神との近さにドキドキしながら、彼女はスマホの画面を見て───そのまま硬直した。
羞恥でほんのりと頬を赤く染め、しかし驚きで目を見開いた彼女と。
その背景に道を挟んだ向かいにある公園が写っている。
それ以外は写っていない。
それ以外は写っていない───?
隣にいる死神が、彼女の肩を抱く死神が、スマホの画面の中、どこにもいない。
彼女はそろそろと死神のほうへ顔を向ける。その顔は先ほどまでの血色の良さがごっそり抜け、見開いた瞳は恐怖に揺れている。
「どうして───?」
「どうしてだろうな。俺も知らねえけど⋯⋯仕事するのに便利だからかな。カメラとか、鏡とか。そういうのに俺はうつらない。あの場で騒ぎになるのは避けたかったんだよ、不特定多数に俺の存在がバレるのはマズいからな。今だとみんなすぐネットに書き込んだりするだろ⋯⋯写真に撮られないとはいえ、こんなのがいるってなったら───まぁ、わかるだろ」
怖がらせて悪かったなと死神はスマホをしまった。再びベランダの柵に身体を預け、ポツリと言う。
「なぁ、俺いくつに見える?」
「え───?」
「前に〝俺はもう何十年もこの姿のまま〟みたいなこと言っただろ? 正直言うとあれは半分出任せだ」
「でまかせ?」
「俺自身も自分の顔見えないから。鏡に映らねえし。だから目で直接見える範囲だとか手で触った感触とか、あとは周りの人たちの反応だな、そういうのでたぶん、俺の姿はあの時と変わってねえんだろうなって思ってるだけ」
死神は寂しそうに笑う。この笑顔、昼間にも見たなと彼女は思い出す。確か、どうして死神は〝死神〟になったのかと尋ねたとき───
「なぁ、俺ってもしかして⋯⋯自分が思っている以上にオッサンだったりする?」
死神が急に焦ったようにガシッと彼女の両肩を掴む。目が真剣過ぎて怖い。
「え? え!?」
「今日もデートだっつって出掛けたけど、周りから見たら援助交際だとかパパ活とかにしか見えなかったり!?」
「え、ちょっ、死神さん!?」
「うわ〜っ、だとしたら俺超恥ずいんだけど! めっちゃ勘違いヤロウじゃん!!」
死神はその場にしゃがみ込むと、頭を抱えてブツブツと何かを言っている。
独り言のようなので聞き流したほうが良いかなとも思ったが───彼女は死神の隣に一緒にしゃがんだ。
「お前さぁ、俺にダサいとか時代遅れとか古めかしいとか言ったじゃん? あれ自覚あるんだよ⋯⋯だって実際持ってる服のほぼ全部何十年前の流行りだし。だけど昔な、服買いに行ったときに俺が鏡に映ってないって騒ぎになって。ちょっとトラウマなんだわ」
今でもそこの百貨店の七不思議として伝わってるらしいと、死神は自嘲気味に笑った。
「服くらいネットで買えばいいじゃないですか」
「お前に買ってきてもらってなんだけど、俺は服は試着して買いたい派なんだよぉ、似合ってるかとかサイズとかちゃんとしたいんだよぉ」
なかなか難儀なこだわりのようだ。
そこは諦めてしまえばいいのにとも思うが、それは本人にしかわからない苦悩があるのだろう。
死神の思考が負のループから抜け出せそうもないので、彼女はとりあえず自分の思ったままを口にすることにした。
「私には死神さんは20代の若い男性に見えます。たぶん、おそらく───おおよそ、きっと、25歳くらい、25歳前後? 私とそう変わらないくらい⋯⋯でしょうか?」
「なんでそんな曖昧なんだよ」
「比較できるほど私も人付き合いないですし」
「お前、いくつなんだっけ?」
「現在の年齢は25歳に設定されています───クローンの培養槽の中では成長速度が通常の3倍なので、その中で育った年を差引くと13歳、百合子の細胞が生まれた年からとなると還暦過ぎてます」
「⋯⋯お前もよくわからんな」
「年齢なんてただの数字でしかありません」
「そうでもねえだろ」
「そうでもないですよね⋯⋯⋯⋯25歳は百合子が亡くなった年齢なんです」
死神がハッとしたように顔を上げる。彼女は寂しそうに笑っていた。
「だから私がもうすぐ壊れて動かなくなるのも仕方ないんです。クローンが百合子を超えることがあってはならないと思うから」
自身の死期を悟っている彼女がグズりと鼻を鳴らす。それを直視出来なくて、死神は彼女の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「俺が一緒にいてやるから」
「そうですよ───ペットは最期まで責任持って面倒見なきゃダメなんですよ」
「自分でペット言っちゃったよ」
「その代わり、私は死ぬまで死神さんのこと見てますから⋯⋯カメラにも鏡にもうつらなくても、私の目が、ずっと死神さんの姿を映してます」
「忠犬だな」
死神はクククと笑って彼女の顔を見て───整った顔をしているとしみじみ思う。
普通の人間だったら、普通の人生を歩んでいたら、周りの男どもが放っておかなかっただろう。
でも彼女は、クローンでサイボーグな人造人間で。
彼女が〝死神〟と呼ぶ孤独な男に随分と懐いてくれている。
彼女の潤んだ瞳には、これからも自分しか映さないかと思うと───
死神が急に真顔になって、彼女の瞳をじっと見つめる。
「映ってる⋯⋯」
「どうかしましたか?」
小首をかしげる彼女の両肩を再びガシッと掴んで引き寄せた。
「うひゃあ!?」
鼻と鼻がくっつきそうな距離。
彼女の瞳に映っているのは。
「俺───?」
「え?」
記憶の中の自分と違わない───いや少し髪が伸びたか。
こんなにも目つき悪かったけ───いやいや今は驚きで見開いている。
確かに、20代半ばの若い男のようだ。40年ぶりくらいに見た、自分の顔。
「私の目に、死神さんが映ってるんですか?」
「あぁ、映ってる」
「⋯⋯カッコいいでしょ?」
「そうだな───めちゃくちゃイケメンだ」
2人でクスクスと笑って。
「カメラにも鏡にもうつらなくても、私の目が、ずっと死神さんの姿を映してます」
「それ、さっきも聞いた」
急に目頭が熱くなって、死神は顔を伏せた。
彼女に情けない顔を見られたくなくて。
聞こえるか聞こえないかわからないくらいの小さな声で、ありがとうと言うのが精一杯だった。
離したくない、死なせたくない。
そう思うのは、彼女の瞳に自分の顔が映ったからだけじゃない。
はぁ、と1つ、死神の口からため息が漏れた。
死神の普段あまり見ることのない頭頂部を見ながら、彼女はなんとなく悟った。
きっと死神は昔、普通の人間として生きていたんだろうな、と。そして〝死神〟としてこの世に留まることになった───それが彼本人の意思なのかわからないけど。
「お礼を言うのは私のほうです。死神さん、ありがとうございます」
死神が〝死神〟としてこの世に残ってくれていたから。
彼女は彼と出会うことができた。
彼と過ごす日々は、彼女にとって何事にも代えがたい、幸せな思い出になったから。
「ありがとうございます、死神さん」
2人を包む風はいつの間にか秋の気配が濃くなって。
彼女の命のリミットは、あと残りわずか───
お読みいただきありがとうございました。
この投稿で〝水族館篇〟終了ですが、物語はもう少し続きます。
最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。




