35.水族館デート⑤
「あの、死神さん?」
「何だよ⋯⋯〝死神〟言うなって言ってんだろ」
「あ、はい───ごめんなさい」
気まずい空気が流れ、同じ水槽を覗いているはずなのに、物理的にも心理的にもどことなく距離ができている。綺麗な魚が2人の目の前を泳いでいても、それを目で追うこともしない。ただ2人、人の流れに乗って水族館内を順番にゆっくり歩いているだけ。
───いつから、死神さん、こんなだっけ。
彼女は今日の朝からの出来事を順に思い出す。
朝、新しい服を着た死神は、まんざらでもないといった感じだった。手を繋いでアパートを出て。
服を買ったお店の店員さんに偶然にも会ったとき、リニア新幹線に乗っていたとき、テンションが上がってはしゃぐ彼女に、死神はいつもの呆れた顔をしていたが、機嫌が悪かったわけではなさそうだった。
水族館に着いて、フォトスポットを素通りして。
死神が〝タクヤ〟という名前だと教えてもらって(但しこれは偽名のようだが)、〝たっちゃん〟という呼び名を決めて。
クジラの神様に会って、それからペンギンの部屋で仕事をしている死神の瞳が紅くなってると、鏡を見てもらおうとしたら───
───そうだ、鏡。
それからイルカショーでもスクリーンに映されそうになった瞬間、彼は逃げるように席を立った。
もしかしたら最初のフォトスポットでも、彼女がもっと引き止めるようなことをすれば、あそこでも一悶着あったかもしれない。
───自分の姿、見るのが嫌なのかな。
死神が何らかのトラウマを抱えているのは間違いなさそうだ。しかしそれを知れたところで、彼女に解決できる策はないのだが。
その後も2人無言のまま館内を歩き、気付けば出口直前、ミュージアムショップ。
死神はそこも素通りしそうだったので。
「あ、あのっ! 少しだけ寄ってもいいですか?」
彼女が慌てて言えば、死神ははぁ〜っとため息をつき頭を掻いた。
その死神の投げやりな振る舞いに彼女はビクッと身体を震わせて。
「あの⋯⋯今日の思い出に、何か1つだけ買いたいです」
尻すぼみで遠慮がちにそう言えば、彼は気まずそうに目を逸らしながら「別に、好きにすればいいけど」と言った。
「ありがとうございます! すぐ選びますね!!」
彼女はホッとした様子で回れ右をすると、きらびやかなショップに吸い込まれるように入っていった。
───さっきの態度はマズかったな。
ミュージアムショップの商品をどれが良いかと物色する彼女の後ろをついて回りながら、死神は自身の言動を振り返っていた。
断じて彼女を傷付けたかったわけではない、むしろ彼女のことを全く気遣えない自分に呆れていただけ。
しかし彼女がそう捉えなかったのは見て取れる。だからフォローしたいのだが。
「しにが───たっちゃん、見てください! おっきいぬいぐるみ!! 可愛いぃ〜気持ちいぃ〜」
彼女が満面の笑みで抱えていたのは、皇帝ペンギンの原寸大(約130cm)ぬいぐるみ。横幅も厚みも存在感というか圧がすごい。リアルな造りだが、ふわふわで気持ち良く抱きしめて頬擦りしたくなるような触感らしい。
「バーカ、お前そんなデカいの買ってどうすんだよ、のちのち邪魔になるだ、け⋯⋯」
彼女の顔が一瞬にして強張る。
死神がしまったと思ったときには遅かった。
彼女はそろりとぬいぐるみを元の位置に戻すと、ぎこちなく笑った。
「そうですよね⋯⋯ぬいぐるみではしゃぐ歳でもないですし」
「あ、いや、別に、欲しければ買っても───」
「大丈夫です欲しかったんじゃなくてちょっと大きいのが可愛くてテンション上がっちゃっただけなので。あっ、これなんて可愛くないですか? こっちもいいかも。迷っちゃいますよね〜」
彼女はそそくさと隣の棚に移ると、キーホルダーなどの小物類を手に取って見比べている。
またしても死神は後悔した。自分の口の悪さ、説明力の無さ、そして余裕の無さ。
───ダメだな。次何か言ったら、決定的に場を壊しそう。
いや、もうすでに壊しているのかもしれないが。
死神がそんなこと思っていると。
「これにします」
そう言って彼女が手にしたのは、小指サイズの小さな置物。
「これ、和紙でできてるんですって! よくできてますよね〜」
見ればそれは───
「クジラの骨格標本?」
ずっと売り場の片隅で長い間売れ残っていたのであろうそれは、少し埃焼けした古めかしいものだった。この華やかで可愛い商品がたくさんあるショップの中で、わざわざ選ぶようなものでもなさそうだが。
しかし死神には彼女がそれを選んだ理由がわかった。
「別に、お前が気にすることじゃねえよ」
先ほど死んだクジラの神様を想ってのことだろうが、あの神様だった魂は輪廻に戻っただけ。もう崇める対象でも憐れむ相手でもない。
「そうなんですけど⋯⋯でも誰かに憶えてもらってたら嬉しいかなって」
「そんなこと考えるのはお前くらいだな」
「まぁ私が憶えてたところで先は短いんですけどね」
彼女はそう自嘲気味に笑うと、死神が口を開く前に「レジ行ってきます」と足早に死神から離れていった。
───なんか、今日、もうダメかも。
死神の言葉に棘を感じてしまう。彼のことだから、こちらを傷付けようなんてきっと思っていない。つまり彼女が自分で傷付くよう深読みしてしまっているだけなのだ。それも彼女は充分理解しているが。
先ほどの〝邪魔になるだけ〟も、大きいぬいぐるみに対しての純粋な感想でしかない。決して彼女自身に向けられた言葉ではないのに。
せめて邪魔にならないよう、自分がいなくなった後の処分もしやすい紙製の置物を選んだのはその為だ、それを死神は気付いているだろうか。
彼女はレジで支払いをしながら、死神の視線を背中に感じていた。
───笑って笑って、いつもみたいに。
「うん、そうだよね」
商品を受け取りレジを後にする。
彼女は不自然にならないよう意識しながら口角を上げ、死神のところへ戻った。
「すみません、お待たせしました!」
彼女が笑顔でそう言えば、死神はホッとしたような表情を浮かべた。
「おう⋯⋯じゃあ行くか」
名残惜しいが水族館の出口をくぐる。
知らないあいだに太陽は西に傾きつつあった。なんだかんだあったが、結構長い時間水族館にいたらしい。
「〝死神〟のお仕事が、今日みたいなのばかりだといいですね」
「⋯⋯そうだな」
デート自体はしょっぱい思い出になってしまったが、今日のメインは死神の仕事だ。デートはそのついででしかない。
その仕事が平和なものだった。誰の魂も刈ってないし、誰も悲しんでない、誰も損してない。ペンギンたちが喜んでくれてた。
100%任務遂行できた、それでいいじゃないか。
彼女は無理矢理そう思い込む。
うーんっと深呼吸すれば、かすかに潮の香りがする。すぐ目の前にある地域の案内看板を見ると、この水族館はずいぶん海の近くにあるらしい。
あのクジラの神様が迷い込んだという河口も近いのだろうか。
〝海で生まれて海に還る〟
先程の言葉が彼女の頭の中で蘇った。
───ちょっと、見ておきたいな。
自分の死後、葬られる場所の候補の1つ。まだ土に埋められるか海に沈められるかも決めていないけど。
海をこの目で見てみたい。百合子の記憶の中には海で遊んだ記録もあるが、彼女自身は間近で見たことすらないから。
それに押しては引いていく波を見ていたら、死神と彼女の間に流れる微妙な空気も一緒に流してくれるかも。海辺を2人して散歩したら、ちょっとはロマンティックな雰囲気に───
彼女がそう妄想を膨らませていた矢先。
「じゃあ帰るか」
「⋯⋯え?」
死神は朝来た駅とは別の方向、人の流れから離れ、1人スタスタ歩いていく。
彼女は慌てて死神のあとを追いかけ、人気のない路地に入った、その瞬間。
「あ、あのっ───わぁ!?」
ぐいっと手首を引っ張られ、転ぶと思ったときにはもう、グニャリと空間が歪んでいた。
かすかに感じていた潮の香りも、遠くを歩く人たちの気配もない。
目を恐る恐る開ければ。
「⋯⋯死神さんの部屋?」
「さっさと靴脱げよ、床汚れるから」
カーテン越しに窓から外の明かりが微かに入るだけの暗い部屋。ベッドとローテーブルだけというシンプルな家具の配置に、後ろの壁を見ればこの部屋に似つかわしくない大きな魔法陣。
死神は慣れたように靴を脱ぎ、電気を点けると部屋を出て玄関に靴を置きにいく。
「私のロマンティックプラン⋯⋯」
「何か言ったか?」
彼女は一瞬茫然としかけたが、首を振って意識を取り戻す。
「よく使うならここにも玄関マット敷けばいいのにと思っただけです」
「なるほどな」
「そういえば水族館出たときはまだ夕方って言うにはちょっと早いかなって時間でしたけど⋯⋯もう外暗いですね」
そんな急に暗くなるような季節ではまだないのに。
彼女は靴を脱いで窓に寄るとカーテンを捲って外を見る。太陽は完全に沈み、空には月が浮かんでいた。
まるで何時間もワープしてしまったかのよう。
「あ〜悪ぃ、転移のとき時間軸がズレたんだよ。俺のミス」
「時間軸?」
リビングに入れば、時計の針はいつもならお風呂後の寝るまでゆっくりしている時間を指している。6時間近くの空白ができてしまったようだ。
「〝転移〟っていうのは───空間を無理矢理捻じ曲げて離れた場所同士をくっつける。無理矢理捻じ曲げるから〝歪〟ってもんが生まれる。本来その場所まで行くのにかかる時間ってのがその〝歪〟の正体な。それを修正しながら跳ぶんだけど⋯⋯その着地点を間違えたんだよ」
死神は気まずそうに話すと「これじゃ転移で帰ってきた意味ねえどころか、逆に時間掛かっちまったな」と自嘲気味に吐き捨てた。
彼女は死神の言っている全てを理解することはできなかったが、何となく彼が無理をしているのはわかった。
何時間も時間を溶かしてしまったのはもったいない気もする───この時間があったらたっぷり海を見に行けたんじゃないかとも思ったが、彼女の感覚的にはほんの一瞬のことだ。時間をムダにしたという自覚がないから、残念がる気も起きない。
「無事に帰ってこれたから良かったじゃないですか。ありがとうございます」
彼女がニコっと笑ってお礼を言えば、死神はちらりと彼女を見て───苛ついたように髪をかき上げた。
「お前にとっては貴重な時間だろ」
「え?」
「なんでもねえよ」
死神はそれだけいうと再び自室に入ってしまった。パタンとドアが閉じる。
「あっ、死神さん、ごはんどうしますか? 簡単なものでよかったら作りますけど」
「悪い、メシいらねえからちょっと休ませて───お前風呂先入っていいから、あいたら教えて」
ドアの向こうから死神のそんな声が聞こえる。
以前、死神の身体は飲食を必要としないとも聞いていたし、これ以上一緒にいると余計拗れると判断したのかもしれない。
決定的な何かがあったわけではないが、もう食い下がらないほうが良さそうだ。
「わかりました⋯⋯じゃあまた声かけますね」
彼女はドアの前から離れると、キッチンに向かい。自分1人なので簡単なものも作る気になれず、迷った末に買い置きのグラノーラで夕飯を済ませることにした。
彼女がドアの前から去っていった足音を聞いて、死神は深くため息をついた。ドアを背に、ズルズル〜っとその場にしゃがみ込む。
転移の時間軸の設定は、それこそこの仕事をはじめた当初は何度も失敗した。しかし実践を積み重ねるうちに意識しなくても誤差ほぼ0で跳べるようになったのに。
こんなミス40年ぶりくらいだ。しかも5〜6時間もズレるなんて初めてのこと、最初の頃だって長くて1〜2時間程度だったのに。
もう1度ため息をつく。
失敗の原因はわかっている。
さっき───とは言っても6時間も前の話になるが、感覚的にはほんの少し前だ───水族館の帰りに転移を発動させたとき。
彼女の手を引っ張ったらバランスを崩した彼女が倒れてきて、咄嗟に抱きとめた、その瞬間。
『魂のない私は生まれ変わることはできないので───壊れて動かなくなったら、海に沈めてもらうのもいいかなって、思いました』
彼女が言った言葉が頭の中、蘇って。
動揺したら転移の時間軸を見失った。
ギュッと彼女を抱きしめて。
───失いたく、ない。
次元の狭間を彷徨いながら、抑えきれない感情をなんとかやり過ごし、ようやく出口にたどり着いた。
彼女にとっては瞬き程度だが、死神自身にとってはしっかり考えさせられる時間があった。
『ん? お前───何者だ?』
彼女と初めて会った日。
あのとき彼女の手を取らなければ。
『私はまだ死にたくないのです。あと長くて半年、どうか命尽きるまで、見逃していただけませんでしょうか』
命乞いをした彼女のことなんて放っておけば。
こんな思いしなかったのだろうか。
「だからペット飼うの嫌なんだよ⋯⋯」
自分より先に、死んでしまうから。
弱々しく呟く死神の声に返事をする者はいない。
だけど彼自身わかっている。
きっと、どんな出会い方をしていても。自分は彼女の手を取っていたんだろうと。
お読みいただきありがとうございます。
明日も投稿予定です。
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