34.水族館デート④
死神は水族館の中をただひたすら歩く。広い館内、イルカショーが行われているメインプールからクジラの神様のいる標本室は真逆の位置にある。
もっと近い場所で待ち合わせにすれば良かったと後悔しながらも、言ってしまった手前、彼女にスマホ等連絡手段を持たせていないので変更することもできない。
イルカショーが終わるまで30分程度、1人で自由に水槽を観て周ることもできるが、彼女がいなければ魚なんて見ても楽しくないし興味もない。
結局どこにも寄らず、最短距離で標本室の前まで来てしまった。
「ペンギンのところにすればよかった」
あそこならプールから近いしベンチもあったというのに。
しばらく標本室の前を行ったり来たりしていたが、今さら何やってんだとその中へ入った。
やはり人気のない標本室は静かな空気が流れている。その奥、マッコウクジラの骨格標本は、朝と全く変わることなくそこに佇んでいた。
ふと見れば先ほどは視界の反対側にあって気づかなかったが、その骨格標本を見るためだけに用意してあるかのような、恐ろしく古びた1人掛けのソファーが1脚。
死神は迷ったがそこに腰掛け、ふぅーっと息をついた。
〝あんなにキツく言う必要なかっただろうに〟
カタカタ、目の前の骨が軽く揺れ音が鳴る。
死神はチッと舌を打った。
「聞いてたのか、悪趣味だな」
〝俺の意識はこの水族館全体に巡らせてある。あれだけ派手にケンカすれば、嫌でも目につく〟
「⋯⋯目なんてないくせに」
カタカタ、抗議するかのように骨が揺れた。しばらく沈黙が流れたが。
〝そのソファーは初代館長が座っていたものだ。それに座ると館長の霊に呪われるらしい〟
「へぇ~そりゃ怖い」
この手の話のほとんどが偽物だと死神は知っている。実際ここには館長の霊なんていない。
古びたソファー、それが置いてあるところにある曰く付きの骨格標本、真相が謎なままの館長の死。
それらの情報が絡み合って、人は都合の良いように、または面白可笑しく、いかにも事実かのように物語を作るのだ。
「それで館長は何で死んだんだ?」
〝横領がバレそうになって自棄酒して堤防歩いてたらコケてそのまま川に落ちて溺死〟
「⋯⋯ま、事実なんてそんなもんだわな」
実は怪しげな環境団体がマフィアと繋がってて、館長の存在が都合悪くなったから消されたんじゃないかと死神は想像していたが───それもまたそうだったらスゲーと死神が思っていただけの話。
「じゃあアンタはなんでこの水族館の守り神になった? 館長が保護して手厚く葬ってくれたから恩を感じたって、あれ嘘だろ」
〝嘘ではない⋯⋯だからといって本当でもないがな〟
「なんだそりゃ」
それ以上クジラは何も言うつもりはないようだ。再び沈黙が流れた。
死神がポリポリと頭を掻く。
「そういやアンタ、神様の任期50年だったろ? 更新するのかそれとも他に引き継ぐのか、どうすんだ?」
神様の世界なんてわからないことだらけだが、ジャンボタニシのときの土地神や漫画大好きでアンドロイドにまでなった教祖は、信仰が続く限り無期限に〝神様〟の位に就く。しかし自らの意志でその位に就いた場合は有期になるらしい。
このクジラの場合は後者で、今年がその任期満了の年にあたる。
引き継ぐなら今日ついでに次期神様にも面通ししておきたいところだが。
〝初代館長がいなくなってから、この水族館は平和そのものだ。今日のペンギンの件だって、俺が神になってから初めて挙がってきた要望だったしな〟
「なにそれもう〝神様〟いらねえじゃん」
〝その通りだ。そもそも俺がこの水族館の守り神になったのも、館長が悪さしないか見張りたいだけだったからな。だから更新もしなければ引き継ぐこともしない───〝神無し〟で良かろう。あとは生きている者たちが努力すればいい〟
「⋯⋯そっか」
死神はソファーから立ち上がると、クジラに深く頭を下げた。〝神〟という、偉大な功績に最大の敬畏を表して。
「50年の長きにわたり、神のお勤め、お疲れさまでございます」
カタカタ、骨格標本が鳴る。
死神が顔を上げると。
マッコウクジラの巨大な骨格の中心あたりにボゥっと光が宿り、それがゆっくりと全体に広がっていく。
幻想的な姿だ。
「───スゲェな」
あまりの神々しさに死神が目を細めていると。
「え⋯⋯クジラの神様?」
いつの間にか来ていた彼女が、目の前の光景に驚き茫然としている。
死神は彼女の手を引き、腰に手を回す。
「えっ、あ、死神さん!?」
「よく見とけ───これが〝神様の崩御〟の瞬間だ!」
「え!?!?」
全身から黄金の光を放ち、まばゆさを増すクジラ。それがギュッと集まり1つの光りの珠となった。
〝陸は好かん、やはり俺は海のほうが好きだ───お前たちも次生まれ変わるとしたら海の生き物になるといい、歓迎する〟
もう目も開けられないくらいに眩しくて。
「やっぱクジラの魂はデッケェなぁ!!」
死神がそう言った、その瞬間。
ドンッ!! という爆音と爆風を巻き起こし、クジラの魂は天井を突き抜けて、一瞬にして死神と彼女の目の前から消えていった。
風が止み、標本室に静けさが戻ってきた。
彼女は呆けたように、ただ普通の照明器具が付いた何の変哲もない天井を見上げている。
彼女の腰を支える死神の腕に、ずっしりと体重がかかる───どうやら彼女の膝の力が抜けたようだ。
死神は彼女をソファーに座らせると、ふぅ~っと息を漏らした。見た目は細いが彼女は結構重いのだ。死神はそのソファーの肘掛け部分に腰を掛ける。
「天井⋯⋯穴、開いてないですね」
「魂に実体はないからな、全部透過する」
「そうなんですか」
彼女が本当に訊きたいことはコレではないだろう。だけど今目の前で起こったことに理解が追いついていないようで、何を質問したら良いかもわかっていないといったところか。
「あれ? でも実体がないなら、なんでさっき爆音と爆風があったんでしょう?」
「⋯⋯知らねえよ、ファンタジーなんだから気にすんな」
「出た、困ったときのファンタジー」
彼女がクスクスと笑う、その様子に死神も軽く笑った。
人気のない標本室。2人はしばらく、もう動くことのないクジラの骨格標本を静かに見つめていた。
「クジラの神様、どうして死んじゃったんですか?」
「任期満了に伴い神様業からの退任」
「??」
「もともとあの神様は50年満期だったし」
「任期満了って⋯⋯神様って知事とか市長とか大統領みたいなかんじなんですか?」
「前にも言ったろ、〝神様の死〟はいろいろあるって。任期満了もその1つだ。この国には八百万の神様がいるけど、どんどん神様ばっか増えると、個々の神様の力が弱くなる。任期制はまぁ合理的な制度なんだろうな」
「合理的な制度、ですか」
神様の存在に合理的を求めるのはちょっと違うようなと彼女は思うが、神様の世界は神様にしかわからない何かがあるのだろうと、そう納得することにした。
これだけ死神と彼女がおしゃべりしていても、クジラの骨格標本はうんともすんとも言わず───本当にクジラの神様はいなくなってしまったようだ。
朝は骨がカタカタ鳴って驚いたのに、今は静かに佇んでいるのが不思議に思うくらい。
「〝陸は好かん〟って、クジラの神様言ってましたね⋯⋯何か嫌なことでもあったんですかね?」
「そりゃせっかく埋葬されて骨肉が土に還る途中だったのに、無理矢理掘り起こされて晒されてんだから。相当嫌だったんじゃねえの?」
「確かにそう考えると嫌かもですね」
骨格標本の前に置いてある説明書きには、クジラの祖先がかつて陸上生活をしていたときの名残りについて書かれている。
「クジラの祖先も海にいたのに陸に上がるように進化して、なのにまた海に戻ったじゃないですか。その時もやっぱり何か嫌なことあって〝陸は好かん〟って思ったんでしょうね」
死神はちらりと彼女を見る。
なんとなく、クジラの進化と彼女自身の生い立ちを重ねてるんだろうなとは、想像できた。
「〝生命〟は海で生まれた。だから最後は海に還っていくんだよ」
「それって某国民的アニメの都市伝説的な最終回みたいな?」
「俺今すっげーロマンなこと言ったんだけど。ことごとくぶっ壊しにきたな」
良いこと言って元気付けようとした自分がアホみたいだ。
死神が苦虫を噛み潰したような顔をしているのを見て、彼女はクスクスと笑い───ふぅ、と小さくため息をついた。
「〝海で生まれて海に還る〟ですか。なんだかいいですね、それ」
「もういいよ、忘れろってば」
「クジラの神様は〝生まれ変わって海の生き物になったら歓迎する〟って言ってくれたじゃないですか。でも魂のない私は生まれ変わることはできないので───壊れて動かなくなったら、海に沈めてもらうのもいいかなって、思いました」
彼女の、真っ直ぐな眼差しが。
冗談だと流してほしいのに、そう思いたいのに、それを死神にさせてくれない。
標本室の中、空調の音だけが微かに聞こえる。
死神は彼女から目を逸らした。
「それは無理だな。死体って沈めても浮いてくるし⋯⋯お前の身体を残すわけにはいかんからな。誰かがお前の身体を見つけて、またクローンだのサイボーグだの研究をされると困るんだよ」
そうしたらまた俺の仕事が増えるだろ? そう冗談で済ませたかったのに。
「私、普通の人間と違って海水より比重あるので沈みますよ。それに肉は深海生物のエサになるだろうし、肉がなくなれば骨格の腐食も早いと思います」
まるでそれが最適解かのように彼女が言う。
死神の唇が震える。
以前にも、彼女が死んだらジャンボタニシのときの土地神様のところに埋葬するだのなんだの、好き勝手言っていたが。
そのときより確実に彼女の〝死〟が近付いている。
別れは、きっと、もうすぐ───
「───勝手に、決めんじゃ⋯⋯ねえよ」
「え? 何ですか?」
「何でもねえよ!!」
ボソリと呟いた死神の言葉が聞こえず聞き返した彼女に、死神は怒鳴った。彼女がビクッと怯えたのが目の端に見えたが、死神自身もこの感情がコントロールできない。
死神は立ち上がるとクジラの骨格標本にも彼女にすら目も向けず、ズカズカと標本室から出ていった。
「あっ、ちょっと! 死神さん!?」
慌てて彼女も立ち上がり、死神を追いかけようとして───ちらり、後ろを見る。
この水族館の守り神だったクジラの骨格標本。もう魂はないと理解しているが、彼女はペコっと頭を下げると、死神のあとを追いかけた。
クジラの骨格標本は、その後もずっと、静かに佇んでいた。
ずっと、ずぅっと───
300年後に勃発する大戦争で、この水族館が破壊されるその日まで。
お読みいただきありがとうございました。
明日も投稿予定です。
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