30.長い1日のその後の話②
アパートの死神の自室。
帰ってきた死神は、背負っていたリュックを床に投げ下ろそうとして───もう夜遅いことに気がついた。音を立てないように静かに下ろし。はぁ~っと盛大にため息をつきながら靴を脱いだ。
「ったく、三文芝居させやがって」
自分で自分のことを〝死神〟と名乗るのが、こんなにも恥ずかしいなんて。厨二病を拗らせたような感覚にボリボリ頭を掻く。
死神は部屋を出て玄関に靴をポイッとし、このムズ痒いのをさっぱりさせることにした。
「死神さん早く帰ってこないかな」
彼女は風呂の洗い場で小さなため息をつきながらシャワーを全身に浴び、死神が使っている薬用スカルプ育毛シャンプーを手に取った。髪で泡立てれば何とも言えない清涼感が頭皮を駆け巡り、深く息を吸えば彼から仄かに香るのと同じ匂いがする。それが寂しい気持ちを少しだけ癒してくれる。死神が夜いない日の習慣になりそうだ。
身体と顔も洗い、湯船にゆっくりと浸かり。はぁ~と吐息すれば、身体に溜まった疲れが流れ出ていく。
───今日は特に疲れるようなことしていないのに。
「歳かな⋯⋯まだ若いはずなんだけど」
しかしこの身体は普通の人間とは違う。身体と脳の一部を人工的に改造された人造人間。
再びはぁ〜っとため息をついて。目を閉じれば睡魔がゆらりと襲ってくる。ここで寝ては溺死すると、湯船は名残惜しいが彼女は風呂を出ることにした。
濡れた髪をタオルドライし、全身を拭いて顔からスキンケアをする。化粧水と乳液だけ。百合子や研究所にいた頃はパックだのなんだの色々していたが、今はもう必要最低限。ボディクリームも1種類。パパっと手早に塗り込んでショーツに足を通す。
顔を上げれば洗面台の鏡、肩からタオルを掛けた腰から上の彼女の裸体が映る。
パジャマを取ろうとしていた手が止まった。
───少し、痩せた? やつれたって感じかな。
この身体は人工的な部分を維持するのに多くのエネルギーを消費する。研究所にいるときは1日3食の他、経管栄養も毎日摂取していた。おそらくそれにこの身体を維持するための多くの成分が含まれていたのだろう。
今は食事からしか栄養が取れない、体格のわりに大食いなのは理解しているが、それにも限度がある。
「もう健康的にとか考えなくてもただ単にカロリー増やすだけでいいなら、おやつ増やそうかな」
───あともう少しで壊れるんだし。
ズキリ、心が痛い。
普段は考えないようにしていたが、死神がいない夜はどうにも思考が暗くなりがちだ。
「あ〜もうっ、やめやめ。お風呂上がりにプリン食べよ」
3連パックのプッチンするやつ。お高いプリンとも手作りのプリンとも違う、あれはあれで最高に美味しいのだ。
彼女が気合いを入れようと頬をぺちぺち叩こうとした、その瞬間。
背面にある脱衣所の引き戸がガラッと開いたのが鏡に映った。
死神は開けた引き戸に手を掛けたまま、硬直した。
何も考えず、ただ厨二病を拗らせたようなムズ痒さをさっぱりさせるのに風呂に入ろうとしただけ。
そういえばこの可能性はあるかもしれないと、同居を始めたときにルールを作った。
普段使ってないときは脱衣所の引き戸は開けたままにしておくこと。使っているときは戸を閉め、閉まっているときに中に入りたい場合はノックと声掛けを必ずすること───
だから、この件は100%死神が悪い。
驚いた顔をして振り返るのは、濡れた髪に肩から掛けたタオルとショーツを履いただけの彼女。
そんな彼女に言うべき言葉は、
「あ〜⋯⋯スッケスケのパンツって履くとそういうふうに透け───ぐあっ!?」
これではないだろう。
死神の顔面にヒットしたのは洗面所に置いてあったハンドソープのボトル。湯上がりの顔を更に赤くさせた彼女は、死神を廊下に押し出すとバンっと戸を閉めた。
「死神さんのエッチスケベワンタッチ!!」
廊下でうずくまり、顔面を押さえる死神。脳裏に写し出されるのは、上品なレースから透ける彼女の───
「痛ってぇ〜⋯⋯いや、でもコレはもう完全に俺が悪かった。だけど俺の名誉のために言うけど───ワンタッチはしてない」
「そういう問題じゃありません!!」
エッチとスケベはもう否定しないのね。
「消えた⋯⋯」
確かに〝死神〟と名乗った彼はそこに立っていたというのに。男は尻もちをついたその格好のまま、呆然と呟いた。
あの魔法陣らしき紙は事件発覚後、警察が家宅捜索したときに見つけたものだ。宗教施設だからなのか特にその怪しい紙が問題視されることはなかったらしい、押収されなかったそれは、他の残された資料等と共に応接室に置かれていた。
直感的に〝彼〟に繋がる何かだと思った。
残されていた魔法陣らしき紙は全部で5枚。応接室の机の上、常に監視カメラに映る場所に置いていた。
来る日も来る日もその枚数を数え、どこか変わったところがないか確認していたが───1か月過ぎようとする頃になっても何も変わらず。
今日も諦め半分に自室で監視カメラの映像を見ていると。ふわり、魔法陣らしき文字に光が灯り、締め切った部屋なのにカーテンが揺れた。
まるで目に見えない〝何か〟がそこに存在するかのように───男は慌てて部屋を飛び出し、応接室
に向かった。魔法陣の枚数を数えれば1枚足りない。
施設中を捜しまわり、外に出て石碑の前まで来てみれば、ずっと気になっていた〝彼〟が1人立っていた。
「〝死神〟⋯⋯そんなもの、本当に」
いるのだろうか。
先ほどの赤く光った目は、暗い場所で開いた瞳孔に何らかの強い光が入り込んで、眼球の網膜にある毛細血管に反射したに違いない、カメラのフラッシュで起こるのと同じ。
この世の摩訶不思議な現象と呼ばれるものも、紐解いていけば理由のつくものばかり───男が熱狂した教祖の奇跡だって、結局は教祖が偽物だっただけの話。
それを知ったのは、地下の惨劇の事件発覚後のこと。本物の教祖は20年近く前、男がこの教団に入る前にすでに脳だけになっていたという。
そのとき男の心の中に浮かんだのは、やるせない喪失感。ずっと憧れ慕っていたお方がただの造り物だった。騙されたと怒り狂いたいのに、その矛先をどこに向ければいいのか。
だから、男はこの教団ごと手に入れることにした。いままで自身の献身によってこの教団にもたらされた富と信者を、そのままいただいてしまおうじゃないかと。否、返してもらうと言っていいだろう。
なのに───
『今のうちにヤバいことから手ぇ引いとけ───俺に魂刈られる前に』
彼の目は嘘をついているようには見えなかった。彼が本気を出せば、自分なんて。
「くそっ、クソッ、クソぉ───!!」
尻もちをついたまま、頭を抱える。
また以前の冴えない自分に戻るのは嫌だ、せっかく手に入れたこの地位を離してたまるかと。
だけど先ほどまで目の前にいた得体のしれない〝何か〟に怯え、やり場のないぐちゃぐちゃの感情のまま、髪の毛を掻き毟っていると。
「痛ってぇ!?」
頭頂部に机の角で打ったような衝撃が走った。
涙目になりながらそこを手で押さえていると、トサっと目の前に何かが落ちた。
「何だコレ⋯⋯ワ◯ピ◯ス?」
何十年も前の漫画だが、名作と言われるその単行本。男も題名は聞いたことあるが、内容までは詳しく知らない、それの1巻だった。
「何でこんなものが?」
ズキズキと痛む頭頂部を擦りながら辺りを見回すが、落ちてきそうなところもない。一体これはどこから───
それより何より。
「紙媒体の漫画なんて、初めてかも」
学生の頃までは人並みに漫画も読んでいたが、全部電子書籍だった。それが何十年も前からの当たり前だから。古本屋に行けば紙媒体の漫画も売っているがプレミアがつき、人気なものは簡単には手が出せないない価格になっている。
月明かりを頼りに、ぺらり表紙をめくってみる。
経典や教科書とは違う、独特の質感。
紙面のコマを追う目は、あっという間に物語に夢中になった。
1巻を読み終え顔を上げれば、いつの間にか目の前にダンボール箱が置いてあり、中を見れば続きが入っている。
個性豊かなキャラクターと現代にも通じる哲学、〝生きる意味〟を考えさせられるストーリー。
そして───
「〝仲間〟かぁ⋯⋯」
自分にはそんなものいただろうか。
気付けば空が白み始め、男のまわりには読み終わった単行本の山が築かれていた。
一睡もせずに屋外で漫画を読み耽るとは、自分は一体何をしてるんだと、ゴロンと地面に大の字で転がって目を瞑り、太陽が昇ってくる様子を瞼の裏で感じていると。
「あ、いたいた〜代表代理! こんなところで何してるんですかぁ?」
「もうすぐ朝の修行の時間ですよ〜お休みですか?」
男と同じ道衣を着た若い男女数名がぞろぞろと丘を登ってきた。
「あ! これワ◯ピ◯スの単行本じゃないっすか!? しかも初版本、博物館レベルの代物っすよ! どうしたんすかコレ!!」
「私も電子書籍だけど読んだことある〜! 私ゾ□推し!!」
「えぇ〜!? アタシは断然サソヅ派!!」
「誰も主人公推しいねぇのかよ!?」
彼らはいつの間にか勝手に漫画を手に取り、ここの場面が良かっただのこのセリフが名言だのワイワイと盛り上がる。
「え⋯⋯君たちこの漫画読んだことあるの?」
その輪に入れない男が恐る恐るそう訊けば。
「えぇ!? もしかして代表代理読んだの初めてっすか!?」
「この教団入ってるのに!? むしろこの教団ってワ◯ピ◯スのファンしかいないと思ってました!!」
「だって教祖様の、ねぇ?」
「ねー!!」
彼らは互いに目配せすると、うんうんと頷きあっている。
「教祖様の〝奇跡〟って、ワ◯ピ◯スのノレフィのパクリじゃないですか」
「!?!?」
男の脳裏に、かつての教祖の姿が再生された。
海◯王に俺はなる! 壇上でそう言った教祖の振り上げた手がみょ〜んと伸び。
そして今、目の前で若者が単行本のとあるコマを指さしている。主人公が同じように海◯王への夢を叫び、伸びる手足で敵を薙ぎ払っていた。
「!!!!」
読んでいるときは物語に没頭気付かなかったが、こうして改めて見ると、彼らが言った通り漫画の中の主人公は教祖そっくり───いや、教祖がこの漫画の主人公そっくりな言動をしていた。
「は、ははは⋯⋯」
男の口から乾いた笑いが漏れた。
自分が敬愛していた教祖は、人間の形をした造り物で、その思想も奇跡もただの模倣品でしかなかったのかと。
ガックリと俯いてしまった代表代理の男を、若者たちはどうしようかと一巡して。
「もう朝の修行の時間ですけど、今日は代表代理お休みということにしときましょうか?」
「そうしてくれるかな」
そう言って動きそうもない男を、若者たちは心配そうに見つめ、そっとしておいたほうが良いと判断したのだろう、そのまま丘を下りていった。
彼らの背中を見送って。男ははぁ~っとため息をついた。
「僕がやってきたのは、ホント、なんだったんだろ」
ザザァっと風が木々を揺らし。目に入りそうになった髪をかき上げると。
〝「気にすんな!! 楽に行こう!!」 ←コレ、1番ワシが好きな名言〟
目の前には1ヶ月前まで毎日敬い崇めていた老爺。
「は?」
突然のことに理解が追いつかない。
老爺───教祖はほっほっほと笑う。
〝ワシが人生で行き詰まったとき、この漫画に救われたのは本当のことよ。それをどう解釈するかはお主次第〟
死んだはずの教祖が目の前にいる。
信じられずに手を伸ばせば、その手は教祖の身体をすり抜けた。
「!!」
〝ワシはもうこの世のモノではない。直接教えることもできない。だからお主がこの教団をどうするか考えよ───ワシはずっと見守っておるぞ〟
教祖はそれだけ言うと、すぅーっと姿を消した。
「消えた⋯⋯」
数時間前にも同じことを呟いたが、感情はそのときとは全く違うものになっていた。
20年近く教団に身を置いていたが、教祖と言葉を交わしたのは初めてだった───いや、男は「は?」としか言ってないが。
それでも、男にとって教祖はやはり特別な存在だ。
憑き物が落ちたという感覚だろうか、男はパンパンっと頬を叩いて気合いを入れる。
「よし」
立ち上がると石碑に深く頭を下げ、丘を急いで駆け下りる。しばらくすると、先に下りていた若者たちの背中が見えた。
「待って〜! やっぱり僕も朝の修行行くよ!!」
こののちこの教団は名前を変え、信者数の増加率は緩やかになったが、皆に愛される宗教としてゆっくりと勢力を拡大していく。
300年後の大戦争前には、世界の人口の約千分の1がこの宗教の信者になったという。
その経典には教祖の名前の横、つまらない人生を送っていたという男の名前も一緒に刻まれていた。
翌日も彼女の機嫌は悪かった───どちらかというと見られて恥ずかしいから、どう死神と接していいのかわからないといった感じなのかもしれないが。
エッチでスケベな死神は、その日から自主的に彼女の好物だと思われるプリンを彼女に納めることにした。毎日仕事帰りに毎日違う店で4個ずつ。1個は自分で3個は彼女。1週間もするころには彼女の方から「今日はどこのプリンですか?」と満面な笑顔で聞いてくるようになった。
「うンまーい♡」
「⋯⋯元気になったな」
「なんですか?」
「別に───心の栄養ってホントだったんだなって思っただけ」
「でしょ? プリンは人の心を豊かにしてくれるのです」
ホクホク笑顔でプリンを頬張る彼女。その頃には体重も持ち直し、やつれた雰囲気もすっかりなくなっていた。
「ったく⋯⋯心配させやがって」
「なんですか?」
「別に───なんでもねえよ」
死神もスプーンで掬ってひと口食べてみる。
甘くて幸せな気分になるのは、きっとプリンのおかげ───
お読みいただきありがとうございました。
教祖が何故アンドロイドになったとか、代表代理の男の過去の話とか、最初は詳しく書いていたのですか⋯⋯
書いてる途中で、この話読んで楽しいか?となってしまったので削除しました。
この小説が完結した後、ご要望があれば番外編として書きたいと思いますので、ご希望の方はお手数ですがメッセージください。
(来るかなぁ⋯⋯よかったら感想とかも聞いてみたいです)
明日から新章始まります。
よろしくお願いします。




