11.アリルメルカプタンと幸せな夢②
アクセスありがとうございます。
本日もよろしくお願いします。
短めです。
「んーんっ! スッキリしたぁ」
ベッドから起き上がってひとつ伸びをした彼女は、清々しい朝を迎えていた。
昨晩はニンニクと背脂たっぷりのラーメンを食べたせいなのか、ベッドに横になると胃がもたれるような不快感があったのだが、それがすっかりなくなっている。はぁ~っと手に息を吐き出してみるが、ニンニク臭は感じない。
そして何より幸せな夢を見ていたような気がする。内容までは思い出せないが、なんだかフワフワと、そしてニヤニヤとしてしまいそうな───
「何だったっけな⋯⋯まいっか、起きよ」
パジャマから服に着替えてリビングに行くと、この時間いつもはまだ寝ている死神の姿があった。
「あれ? おはようございます、死神さん。今日は早いんですね」
「おー⋯⋯」
死神はコーヒーが入ったマグカップ片手に、ダルそうにソファーに座ってテレビでニュース番組を見ている。心なしか目の下の隈が濃いような。
「すみません。歯磨きと顔洗ったらすぐ朝食の用意しますね」
「おー⋯⋯」
そして心ここにあらず。
とりあえず彼女はそんな死神をそっとしておき、洗面所で急いで歯磨きと顔を洗う。そしてふと床に目をやると。
「死神さん、本当に床掃除したんだ」
死神の足跡で汚れただろう洗面所兼脱衣所の床は、今はもう髪の毛1本落ちていない。
見た目によらず(←失礼)本当にマメな死神だ。
「よしっ」
化粧水と乳液でお肌のコンディションを整えて───うん、いつもより調子が良い気がする。
彼女は気合を入れて朝食の準備に向かった。
めちゃくちゃ濃く淹れたコーヒーをちびちび飲みながら、死神はボーっとする頭を何とか働かせようとしていたが。
テレビの中、真面目にニュースの原稿を読んでいる若い女子アナのくちびるの動きを目で追ってしまう。
昨晩、彼女との接触事故を起こしてから。気付くと思考は彼女のくちびるのやわらかさを───
「あ〜! クソッ」
髪をかき上げ頭をボリボリと掻く。はぁ~っと溜め息をつけば、脳裏に寝惚け眼の彼女がふわりと笑う、と思ったら。
「死神さん?」
「うわっ!?」
いつの間にか隣に来ていた彼女が、死神の顔を心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫ですか? さっきから何度も声掛けてるのに全然聞こえてないようだったので───調子悪いですか?」
「え、いや、全っ然!」
「そうですか⋯⋯ならいいんですけど」
そういう彼女はいつもと変らず。まるで昨晩のことなんて憶えてないかのように───いや、これは実際憶えてないのかも?
死神は逸る鼓動を咳払いで誤魔化しつつ、しれっと彼女に訊いてみた。
「お前⋯⋯昨日の夜のこと、憶えてないんかよ?」
「昨日の夜?」
はて、何のことでしょう? 彼女は首を傾げたが、あっと何か思い出したようだ。
死神の心臓がドキリと鳴る。
彼女はニコッと笑って死神の両肩に手を置くと、おもむろに顔を近付かせ。もう少しで彼女のくちびるが死神の───
「えっ、ちょ、おいっ───」
「はぁ~〜〜」
彼女が死神の鼻めがけて息を吐いた。
死神が目を白黒させていると、彼女は満足そうに笑い、肩から手を離し身を引く。
「⋯⋯⋯⋯は?」
「私、匂ってなくないですか!?」
「⋯⋯はぁ?」
「ニンニク! 死神さん昨日2日はクサいって言ってましたけど、私もう匂わないんですよ! すごくないですか!?」
「へぇ? あ、いや───」
だって死神が彼女のニンニク臭を元から分解したのだ。もう彼女が匂わないなんて知っている。
「すごいですよね! やっぱり若いから代謝がいいからですかね? それとも健康的な生活してるからかなぁ〜」
しかしその事を知らない彼女はニコニコ笑いながら自画自賛して。
「あっ、朝食の用意出来てますよ! 冷める前に食べましょう。死神さん今コーヒー飲んでましたよね、ベーコンエッグとパンなんですけど飲み物牛乳にしときましょうか。パンは食パンとフランスパンありますけどどっちがいいです? 私フランスパンにしますけど一緒に焼いていいですか?」
「あ、あぁ⋯⋯じゃあホットミルクにしてフランスパン焼いて」
「了解です、ちょっと待っててくださいね」
彼女はそう言うとキッチンに戻り、フランスパンを切っている。
手際良くなったなとか、思うことは色々あるのだが。
もし彼女が昨晩のことを憶えてるとしたら。きっと顔にも態度にも出るだろう。いつも通りの表情や動きを見ていると、やはり昨晩のことは───
───俺だけ憶えてるのかよっ!
彼女のくちびるのやわらかさも、キスした後のふわりとした笑顔も。
別にファーストキスでもない、あんなもんでドギマギするような純情でもあるまいし。
なのになんでこんなにも───
「あ〜! クソッ」
「死神さん調子悪いの便秘ですか?」
「ちげーよっ!!」
頭を掻きむしっていると、彼女が見当違いな質問をしてきて。
だけどこちらを見ると、大輪の花が咲くように笑って。
「パン焼けましたよ、食べましょう」
「おー⋯⋯」
この笑顔には敵わないのだ。
死神は苦笑しながらひとつ溜め息をつくと、朝食の並ぶダイニングテーブルに向かった。
不揃いな厚みに切れたベーコンと、形の崩れた目玉焼き、ちぎったレタスの横には種が垂れてしまったくし切りトマト。ポタージュスープは彼女が最近お気に入りの紙パック入りのものか。
彼女がトーストしたてのフランスパンをテーブルの中央に置いて。
少々不格好でも、彼女の用意してくれる食事は格別に幸せだと───そう思った。
「あれ、ホットミルクは?」
「あ、忘れてました」
「⋯⋯もういいよ、スープあるし。あとからお茶飲むし」
何の変哲もない朝、ホッとする味に心がほぐれていった。
朝食を食べ終わると死神は再びソファーへと移り、ボーっとニュースを見ていた。
その様子をキッチンの流しで洗い物しながら彼女は見つめる。
きっと昨日の死神の仕事は、ニュースで報道されるような大きな仕事だったのだろう。
もしかしたら、人の魂を刈るほうの仕事だったのかもしれない。今朝様子がおかしかったのは、そのせいか。
───死神さん優しいから、仕事だとしても辛いんだろうな。
死神の仕事は、世界の均衡を保つためのもの。
魂を刈る相手は極悪人もいるが、ごくありふれた一般人ということもあるらしい。その人が生きることで未来に起こってしまう不条理を未然に防ぐとか。
だけどもうあと数ヶ月の命───未来を生きることのできない彼女はそんなことよりも。
───死神さんが幸せに暮らせる世界のほうが、よっぽどいいんだけどな。
死神に負担を強いるこの世界の仕組みは、本当に正しい姿なのだろうか。
ダラーっとニュース番組を見ていた死神がピクリと動き、一瞬にして険しい表情になった───どうやら待っていたニュースらしい。
彼女も洗い物をしていた手を止め、テレビを見る。
『20年ぶりに工事再開の見通しが立ったダムで4度目の崩落事故、現場で一体何が。現場から中継です』
『はい、現場です。本日未明、こちらの建設途中のダム近くにある集落の方から〝ドーンと爆発のような音が聞こえた〟と警察に連絡があり──────現場及びその周辺は無人の時間帯だったこともあり、現時点で怪我人の情報及び正確な被害状況は入ってきておりません』
スタジオの女性アナウンサーからカメラが切り替わると、そこには山の狭間、巨大なコンクリートの建造物が足場を巻き込み大きく崩落している様子が映し出された。今も断続的に小さな崩落が続いて、時折ガラガラガラという音とともにコンクリートの塊が落下して土埃が舞い、壁にできた亀裂が不気味に音を立てながら広がる様子が見てとれる。
『───また、現場付近を〝黒っぽい服を着た20〜30代くらいの男〟が何度も目撃されており、警察はこの男が何らかの事情を知っているものとして、現場と現場近くの防犯カメラ等から男の行方を───』
黒っぽい服を着た20〜30代くらいの男。
今、彼女の視線の先にいる人物にぴったりと当てはまる。
「え、ちょっとこれ⋯⋯死神さんのこと?」
「⋯⋯俺のことが怖くなったか?」
呆然と言った彼女に、死神はニヤリと笑ってみせた。
「違いますよ! 死神さん目撃されてるし、防犯カメラにも映ってるんじゃないですか!? 警察! 警察捕まっちゃう!!」
「大丈夫だよ⋯⋯俺捕まったことねえし」
「いやだってそりゃ捕まったら世の中に〝死神〟の存在がバレちゃうし───」
焦る彼女を見ながら、死神はクククと笑う。
その後彼女が何を言っても死神は大丈夫だし問題ないということしか言わなかった。
2人が言い合うその奥で。
『実はこの〝黒っぽい服を着た20〜30代くらいの男〟は最初の30年前、前々回の25年前、前回の23年前の崩落のときにも目撃されてまして。ただ当時の防犯カメラには該当する人物は映っていなくて、結局捜査は暗礁に乗り上げて、工事の延期が決まったということですよね?』
『そうなんです。今回も犯行声明は出されていないのですが、やはり4回目となると、前回までの崩落との関連性も───』
テレビの中、アナウンサーとコメンテーターのやりとりが繰り広げられていた。
『次のニュースです。コールドスリープから60年。5歳の少年、人類初の目覚めとなるか───』
お読みいただきありがとうございました。
明日も同じ時間に投稿予定です。
よろしくお願いします。




