第59話 魔人スカーレットは怒りをこらえる
怒りをこらえる! 六秒我慢!
「……あちぃ。も―、何なのよ! 何で夏はこんなに暑くなってしまったのよ!」
今しがた炎天下の中わざわざコンビニで買ってきたアイスを食べながら、涼しいリビングでスカーレットは誰にともなく叫んだ。
「しょうがないですよ、夏なんですから」
同じく冷たいジュースを飲みながら涼んでいるじいやは言う。うん? 冷蔵庫にジュースってあったかな? スカーレットは少し気になりながらも返事をした。
「そんなことわかってるわよ! ……ところで、じいやのんびり涼んでるけど仕事は?」
「ちょっと暑いので休憩してました」
「働け!」
彼女がそう命令すると、やれやれと重い腰を上げながら彼は立ち上がる。
「そんなにイライラしないでくださいよ。『アンガーマネジメント』って知ってます?」
アンガーマネジメントとは、怒りの感情をコントロールすることである。スカーレットも言葉を知ってはいたが、その方法については前々から疑問に思っていた。
「もちろん知ってるけど……。でもね、よく言う『怒りが爆発しそうな時、六秒間我慢してください』ってやつ、あれはどうなのかしらね?」
「何が問題なんです? 怒りのピークは六秒で過ぎるからってことですよね? 理にかなってるじゃないですか」
「確かにそうなんだけど……。だけど、実際は六秒我慢なんてできないわよ。がんばって二秒ね」
そうなのだ。怒りとは突発的に湧き上がるもの。だから、「自分は今怒っている。だから六秒待―とう!」なんて悠長なことを考えるのは至難の業である。
鼻で笑いながら諦めたようにそう話すスカーレットに、じいやは何かを思い出したように言った。
「あっ、そうだ! ちょっと待っててください」
そう告げてリビングを出て行った彼は、すぐに何かを持って戻ってきた。
「これ使ってみてください!」
彼女が見せられたのは手のひらに収まるくらいの機械だった。外見は時間を測るストップウォッチみたいな、というかまんまストップウォッチにしか見えない。
「……これストップウォッチでしょ。怒りたくなった時、これで時間測れってこと?」
するとじいやは首を横に振り否定する。
「本当はそれでもいいのですが、スカーレット様には無理ですよね。とにかく、まずは試してみましょう」
さらっと主人をディスり、彼は機械の操作を始める。スカーレットも向かいから眺めると、ただ単にタイマーを六秒にセットしただけのようだった。これではスタートボタンを押したら、六秒後に普通にアラームが鳴るだけだ。
「はい。では、これのスタートボタンを押してみてください」
どうゆうこと? 彼女は不思議に思いつつも、言われた通り受け取った機械のボタンを押した。カチッ。そこから画面上の数字に注視するが、だんだんと数が減っていくだけだ。不安に思いじいやの方にちらりと視線を向けるが、特に何も言ってこない。すぐにゼロを表示すると「ピピッ」とアラームが鳴る。
「えっ、何にも起こらないんですけど?」
「でしょうね」
でしょうねって……。それならなんでやらせたんだ、スカーレットがそう問い詰めようとしたところで、じいやから手で制止される。
「それならもう一回だけやってみてくれませんか。お願いします」
なんなんだ、一体? しぶしぶ彼女が了承し再びボタンを押したその瞬間、彼は早口で頭を下げつつ言った。
「すみません! さっきのジュース、スカーレット様のやつ勝手に飲みました!」
何だって! あたしがわざわざ暑い中アイスを買ってきたのに、なんで執事が涼しい部屋で主人のジュースを飲んでるんだ! 突然沸いた怒りから、彼女は拳を振り上げようとする。しかし、
「う、動けない!」
体は石のように固まり、自由が利かない。画面上の数字を見ることしかできず六秒が経過すると、体に自由が戻った。
「これは一体?」
今起きた現象にスカーレットが理解できずにいると、「ふっふっふ」と見るからにドヤ顔をしたじいやが説明を始めた。
「それは『タイムストップウォッチ』です! 使用すると、時を止めることができるのです!」
何だって! ついにじいやは時を止める機械まで生み出したというのか!
「すごいじゃない、じいや! もう世界を手中に収めるくらいのことは、簡単にやってのけるんじゃない?」
「ふふ、まあ、できなくはないかもしれません」
先ほどまでの怒りはどこへやら。やんややんやと二人で手を取ってはしゃいでいると、咳ばらいを一つした彼は「ですが」と言葉を続けた。
「一つ欠点がありまして……。それ、時間が止まるの、押した本人だけです」
「えっ?」
それは……、意味ないのでは? 自分で自分の時を止める。それでは何の役にも立たない。
スカーレットが疑いのまなざしを向けると、じいやはペラペラと早口でまくし立てた。
「確かに用途は限定されます! 戦闘では役に立ちませんし、日常生活でも同様でしょう。だから今まで披露しなかったわけですし……。ですが、今日のことがあって閃いたのです! アンガーマネジメントとして、『六秒我慢する』ことには使えるのではないかと! 幸い、時を止めたとしても意識はあるようなので、時間の経過は感じられます!」
彼の言う通り、体の自由は利かなかったが意識ははっきりとしていた。これならカッとなっても、強制的に数秒間は冷静になる時間が与えられる。だが、
「そんな都合よく怒ってる時に持ってるはずないでしょ! それとも何? いつもいつも肌身離さずこの時計を持ってろってこと? できるか、そんなこと!」
「そんな風に言わなくてもいいじゃないですか、一生懸命作ったのに! いくらスカーレット様でも言っていいことと悪いことがありますよ! 反省してください!」
いつもの冷静さをどこかにやってしまったように、じいやは目にも留まらぬ動きで彼女からタイムストップウォッチをひったくった。そして、タイマーを改めて長めにセットしなおすと、無理やりスカーレットの手に握らせスタートボタンを押させた。
「(くっ、なんという無駄なことに力を発揮させてるんだ! 仮にも上位の魔人であるあたしに……)」
硬直した体でじいやを見ると、彼は高らかに笑いながら言った。
「はっはっは! まだまだ私の動きも捨てたものではないでしょう! 反省するなら解除してあげてもいいですよ!」
誰がするか! 怒りのマグマを溜めつつ彼をにらみつけていると、急に大きな声をあげてメイドさんがやってきた。
「あっ、いた! じいやさん、また仕事サボってるんですか! 庭の雑草が生えっぱなしだから、抜いといてくださいって言いましたよね! 罰として、全部一人でやってください!」
そう言い残してメイドさんが去っていくと、クーラーが効いた室内であるにも関わらず、じいやは大量の汗をかき始めた。
「あの、スカーレット様……。ストップウォッチを解除しますので、もしよろしかったら草むしり手伝ってくれませんか?」
この時期の庭は灼熱のように熱い。そこで一人で草むしりはさぞきつかろう。人間であったら引き留めるところだが、彼は上位の魔人すら凌駕する魔人である。きっと大丈夫だ。
時間停止を解除されたスカーレットは、みるみるうちに怒りが引いていくのを感じた。だが、じいやに反省を促すためあえて突き放したように言い放つ。
「あたし、まだ怒ってるみたい。そうねえ、六十分くらい経ったら収まるかもね」




