第55話 魔人スカーレットは風邪をひく
風邪をひく! 少しだけ隣に。
スカーレットは風邪をひいた。
「ゴホッゴホッ……」
朝起きた時から調子が悪い。のどが痛くて熱もあるようだったから体温を測ってみると、表示された数字は三十八度五分だった。
「もー、ホワエナガ探しにしょっちゅう雪国まで行くからですよ。……やっぱり熱がありますね。今日は代理の魔人に連絡しますから、仕事休んでゆっくりしてください」
じいやはベッドわきに置かれたほわほわしたぬいぐるみを一瞥し体温計を受け取ると、電話をかけるためにいったん部屋から出ていく。
「……休みは好きなんだけど、休むのはあんまりなのよね」
ベッドの中、ぼんやりした頭で考えていると、のどが渇いていることに気づく。そういえば、起きてから何も口にしていない。水を飲むためキッチンに歩いていくと、廊下でなにやら話し声が聞こえる。
「スカーレット様が風邪をひいた。私は看病のため、少し業務から離れるかもしれない。代理の魔人は連絡済みだ。今日、一班は屋敷の掃除。くれぐれもあの変なつぼを拭く時は気をつけるように。スカーレット様のお気に入りだからな。二班は庭掃除、三班は買い出しと食事の準備を頼む。スカーレット様の料理は私が作るから、メモに書いた食材を忘れないように」
どうやらじいやがメイドさんたちに仕事の指示を出している。いつも自分が働いている間はあんな感じなのか。サボっているところしか見たことがなかったから、テキパキと指示を出している姿は新鮮だった。
「おや、スカーレット様どうされました?」
解散となりメイドさんたちが持ち場に向かっていくと、じいやが話しかけてきた。
「いやね、ちょっとのど乾いたから水飲もうかなって」
「それは気が利かず申し訳ありません。私が持っていきますので、部屋に戻っていてください」
「そう? それならお願いね」
断る理由もないので部屋に引き返し、ベッドの上で布団にくるまる。……彼が戻ってくるまで少しだけ目をつむろう。まぶたを閉じ横になっていると、いつの間にか眠ってしまった。
「スカーレット様、水持ってきましたよ」
お盆に水差しとコップを乗せて部屋に入ると、彼女はすやすやと眠っていた。いつもは元気なスカーレットも病には勝てない。
「いつも一生懸命働いているからな。こんな時くらいは許されるだろう」
私はベッドのわきに一人掛けの椅子を寄せて座る。そうして安心しきった様子で寝息を立てる姿を見て、彼女がまだ小さかった頃を思い出す。
あれはまだスカーレットが五歳くらいの時だったろうか。私がヴァーミリオンに連れられ初めてこの城にやってきた時だ。
「ここが私の城だ。どうだ、立派なもんだろう!」
「……ああ、確かに」
俺とヴァーミリオンは荒野での死闘の後、時折会って飯を食う間柄になっていた。今日は彼自らが料理を作ると言って聞かないので、嫌々ながら来たのである。
城に入り廊下を歩いていくと、リビングで赤い髪をした少女がこちらをじっと見つめていた。
「……おじさん、誰よ?」
自分で言うのもなんだが、俺は人を寄せ付ける風貌ではなかった。戦いに生き、戦いに死ぬ。それだけを考えていたので、魔物によって切り付けられたマントも返り血を浴びた衣服も意に介さなかった。大事な我が子がいる城に、そんな男を友として招いてくれたヴァーミリオンは何と器の大きいことだろう。
「……ラムズイヤー」
「はい? ラム……、何て? 声ちっさくて聞こえないんですけど!」
目の前の少女は臆することなく、自分よりもはるかに年上の怪しい男にそう言い放った。
「ラムズイヤーだ」
「ラム? じいや? おじさん、見た目よりも年食ってるってこと?」
いや、違う。俺が否定しようとすると、ヴァーミリオンが彼女のことを説明してくれた。
「ラムズイヤー、この子がスカーレットだ。前に話した私の娘」
スカーレットはこくんとうなずくと、俺をじろじろと観察しながらソファにかけた。
そこから客人が珍しいのか、彼女はおもちゃを得た子どものようにひたすら話しかけてきた。
「おじさん、年は?」
「覚えていない。確か四十は過ぎている」
「はあ? 何で自分の年覚えてないのよ。それは剣?」
「そうだ。だから俺のことを『剣の魔人』と呼ぶやつもいる」
「『剣の魔人』! くっ、ちょっとかっこいいじゃない!」
矢継ぎ早に繰り出される質問に私が戸惑っていると、それまで黙っていたヴァーミリオンが口を開いた。
「スカーレット、ラムズイヤーはおしゃべりが苦手なんだ。ちょっとは加減してやりなさい」
「へーい」
わかったのかわかってないのか……。彼女はいい加減な返事をすると、俺に対して急速に興味が失せたのか、携帯型のゲーム機で一人で遊び出した。
ヴァーミリオンはやれやれといった様子で頭をかき、申し訳なさそうに言った。
「すまんな。こんな感じで手に負えん。私も娘には強く言えないんだ」
世の中では最高の魔人と評される彼であっても、家庭ではただの父親。気恥ずかしそうなヴァーミリオンの姿はとても微笑ましかった。
「それじゃあ私は奥で料理を作ってくる。その間、スカーレットを見ていてくれ」
彼がそう言ってリビングを出て行くと、何を考えているのか謎な少女と二人取り残される。
しばらく黙って座っていると、ゲームに飽きたのかスカーレットから話しかけてきた。
「珍しくお父さんがお客を連れてきたと思ったら……。おじさん、やっぱり変ね」
「何がだ?」
「おじさん、強いのに人間たちの召喚に応じないっていうじゃない? 何で?」
なるほど。そこまでヴァーミリオンから話を聞いていたのか。つまり、彼女は出会ってから今まで、『わざと何も知らない振りをして』話しかけてきたというわけだ。スカーレットに対する評価を改めなくてはならない。彼女は城にやってきた見知らぬ人物を、しっかりと『警戒』していたのだ。
「お前にはまだわからないかもしれないが、人間たちにはずる賢い奴らもいる。自分たちで戦おうとせずに、魔人が血を流すことで解決を図ろうとする奴らだ。俺はそんな奴らのために自分の力を振るいたくはない。それだけだ」
どこにでも弱者であることを盾にして、強者にすがろうとする者はいる。それは一見すると当然の行為であるかのように思えるが、自らの力で事態を収拾させることを放棄しただけに過ぎない。助けを求める前に、己の力を磨く努力をするべきだ。
だが、スカーレットは納得しない。
「つまり、魔人に助けてもらうのはずるいってこと?」
「簡単に言えばそうだ」
すると、彼女は「はぁー」と大きくため息を吐き、はっきりと答えた。
「いいじゃないの、助けてあげれば。自分の力が誰かの役に立つ。それって素敵なことじゃない?」
あまりにも単純で、あまりにも堂々と。それがただ一つの正解とばかりにまっすぐな目でスカーレットは言った。
……子どもの戯言だ。現実を知らないからそんなことが言える。だが、彼女の言葉をどうしても切り捨てることができない。
俺が言葉を返せないでいると、見かねた彼女はあっけらかんと言う。
「でもまあ、どうしても人間を助けたくないなら、あたしを助けてくれてもいいわよ」
「は? それはどういう意味だ?」
「お父さんも忙しくて、あんまり城にいなくてね。要するに、ひまなのよ。ラム……、じいやがいてくれたら、少しはマシかなって」
そこまで言って急に恥ずかしくなったのか、スカーレットは黙った。
「ぷっ、ははは! それも悪くないかもな!」
あまりにも突飛な提案に、思わず吹き出してしまう。しかし、そんな俺の様子に彼女は顔を真っ赤にしながら怒り出した。
「笑うな―! 城に来るなら、じいやは執事なんだからね! あたしの言うことは絶対よ!」
俺が執事か。目の前の少女を『お嬢様』と呼ぶような未来が来るとしたら、どれほど愉快なことだろう。およそ起こりえない未来を想像していると、リビングにやってきたヴァーミリオンが私たちに声をかけた。
「おっ、何だ二人とも仲良くなったのか。ご飯がそろそろできるから、運ぶの手伝ってくれ」
「へーい」
いい加減な返事をして、スカーレットは父の元に向かう。できあがった彼の料理はどれも美味で、がつがつとむさぼるように食べるスカーレットはとても満足げだった。
「……じいや、じいや」
目を覚まし、イスで眠っているじいやは揺らして起こす。時計を見ると針は十一時を指している。あれから二時間以上眠っていた。
「ううん……。しまった、いつの間にか私も眠っていた!」
彼は慌てた様子でそう言ったが、責める気にはならなかった。体調が悪いあたしを心配してそばにいてくれたとわかったからだ。
「スカーレット様、具合どうですか?」
少し眠ったからか、熱も少し引いた気がする。あとで薬を飲めば、きっと良くなるだろう。
「うん、だいぶマシになったかな。……これもじいやのおかげかもね」
「えっ、何か言いましたか?」
「何でもないわよ。なんだか食欲出てきたから、卵がゆよろしくね」
「もちろん、そのつもりです」
少し体調が良くなったのを見届けると、彼は部屋から出て行った。きっと、今から料理を作ってくれるのだろう。すると、じいやが今まで座っていたイスを見て、唐突に昔の出来事が思い出された。
「……誰かがそばにいるだけで、助けられることもあるのよねえ」
ポツリと言葉をこぼしたあと、あたしは卵がゆができるまでほんの少し眠ることにした。




