09・拉致と追跡
東京都木賊区。
まもなく午後3時になろうとする時刻、インクルシオ東京本部の南班に所属する「童子班」の高校生4人──雨瀬眞白、鷹村哲、塩田渉、最上七葉は、木賊第一高校の授業を終えて帰路についた。
紺色のブレザー姿の高校生たちは、“木賊サンサン商店街”の通りを歩く途中で「ちょっと小腹が減った」と話して、コンビニエンスストアに立ち寄る。
鷹村と雨瀬はそれぞれ唐揚げとピザまんを購入し、他の二人より先に店を出た。
「……今頃、童子さんは大阪か。あっちの状況は、どうなっているんだろうな」
「うん。詳しい情報はまだ入ってきていないけど、きっと童子さんや大阪支部のみなさんが、一生懸命に動いているはずだ」
軒先に立った鷹村がぼそりと言い、雨瀬が小さく返す。
二人が通りの風景を何気なく眺めていると、アーケード型の商店街に黒色のバンが猛スピードで走り込んできて、目の前で急停止した。
「……!? ぐぅっ!!!」
突如として現れたバンに身構える暇もなく、雨瀬と鷹村は運転席から飛び降りた人物に腹部を強打される。
一瞬にしてインクルシオ対策官の二人を気絶させた人物──反人間組織『キルクルス』のメンバーの獅戸安悟は、スライドドアを開けて、力の抜けた二つの体をフラットシートの上に転がした。
すると、獅戸の後方で軽快な電子音が鳴った。
コンビニエンスストアの自動ドアから出てきた塩田と最上を見て、獅戸はすぐさまにスライドドアを閉め、運転席に乗り込んでバンを急発進させる。
「……え!? い、今の男は、『キルクルス』の獅戸安悟!?」
「雨瀬と鷹村がバンの中にいたわ!! 二人が拉致された!! 塩田!! 急いで追うわよ!!」
塩田が驚愕に目を見開き、最上が言うや否や地面を蹴った。
二人は“木賊サンサン商店街”の横道を抜け、片側2車線の道路のガードレールに走り寄って、大きい身振りで一台のタクシーを停める。
「運転手さん! インクルシオです! あの黒色のバンを追って下さい!」
最上が後部座席から対策官証を提示して言うと、塩田のブレザーのポケットに入れたスマホが電話の着信を知らせた。
『塩田か!? 雨瀬と鷹村のスマホが通じへん。今、あいつらはどこにおる!?』
「──ど、童子さんっ!!」
塩田が通話ボタンをタップした途端、電話をかけてきた相手──現在は大阪市内にいる特別対策官の童子将也が、焦りの滲んだ声音で訊く。
「そ、それが、ついさっき、二人が『キルクルス』の獅戸に拉致されて……!」
『!!』
「童子さん! 最上です! 雨瀬と鷹村は、下校途中の“木賊サンサン商店街”で拉致されました! 今は獅戸が運転するバンに乗せられて移動しています! 私と塩田は、タクシーでその後を追跡中です!」
塩田のスマホに最上が顔を寄せて説明し、童子は『……やはり、俺の直感が当たってしもたか』と苦々しく呟いた。
『塩田。最上。状況はわかった。すぐに俺から大貫チーフに連絡を入れて、東京本部の全対策官に緊急連絡を送信してもらう。おそらく、獅戸はGPSで追跡されへんように、雨瀬と鷹村のスマホを破壊しとるはずや。せやから、お前らの追跡が二人の命綱となる。このままバンを見失わんように、慎重に追え』
「──はいっ!!」
童子が早口に指示を出し、塩田と最上が揃って返事をする。
スマホの通話がブツリと切れ、緊迫感を伴った静寂だけが車内に残った。
同刻。東京都熨斗目区。
インクルシオ東京本部の北班に所属する特別対策官の時任直輝は、オフィスビルが立ち並ぶ街の歩道で、勢いよく後ろを振り返った。
「市来ぃ! そこにいるのは、わかっているぞ! 出てこい!」
「……また、見つかってしまいましたか。時任さん」
一人で巡回任務に出ていた時任が人差し指を突き付け、10メートル程離れた街路灯の陰から、同じく北班に所属する市来匡が顔を出す。
「まったく。お前は何度言っても、俺の後をついてくるな。鳴神は「次は西」と予告したが、その言葉通りに動くとは限らない。奴は、いつ東京に現れるかわからないんだぞ」
「すみません……。だけど、どうしても時任さんを一人にはできません。僕がいたところで何の役にも立たないのはわかっていますが、それでも、やっぱり……」
市来は時任の前に歩み寄り、悄気たようにうつむいた。
腰に2本、背中に交差した2本のブレードを装備した時任は、「ううむ。お前のその気持ちは、ありがたいんだけどな」と困ったように頭を掻く。
その時、二人のスマホに一件のメールが着信した。
「……大貫チーフからの緊急連絡メールだ! 何っ!? 雨瀬と鷹村が『キルクルス』に拉致されただと!? 一体、どういうことだ!?」
「し、塩田君と最上さんが、タクシーで追っていると書かれています! 二人を乗せたバンは、木賊区を西方面に走行中と……!」
「クソっ! 何てことだ! よりにもよって、童子が不在の時に……! 市来! 俺らも木賊区に急行して、塩田たちと合流するぞ!」
時任が即座に踵を返し、市来が「はい!」と返事をする。
二人はワークブーツの足音を響かせて、黒のジープを停めたコインパーキングに全速力で向かった。
同刻。東京都月白区。
インクルシオ東京本部の5階にある執務室で、黒のジャンパーを羽織った南班チーフの大貫武士は、両手の拳をきつく握り締めた。
室内に置かれたソファセットには、大貫の他に、ダークグレーのスーツに身を包んだ本部長の那智明が座っている。
「……まさか、雨瀬と鷹村が『キルクルス』に拉致されるとは……」
「……ええ。大阪にいる童子の話では、鳴神による一連の“特別対策官殺し”は、今回の拉致を目的にしたものではないかと。童子を東京から離れさせ、すぐには二人の救出に向かえないようにした可能性が高いと……」
「ああ。そう考えられるな。ならば、元インクルシオNo.1の鳴神を擁する『キルクルス』も、現インクルシオNo.1の童子を脅威と見ているのだろう。大事な教え子を攫われた童子が、全力で二人を探し出すことを避けたかったんだ」
テーブルを挟んだ那智と大貫が低い声で話し、体内に溜まった不安と焦燥を追い出すように息を吐いた。
那智は窓の外に目をやって、ふと一つの疑問を口にした。
「……だが、『キルクルス』の乙黒は、何の目的で雨瀬と鷹村を拉致したんだ? 児童養護施設時代の自分の幼馴染を、組織の仲間に勧誘するつもりか?」
「そうであれば、今更という気もします。乙黒が何を考えているのかは判然としませんが、今はとにかく二人の救出が先決です。塩田と最上の追跡が上手くいくことを信じて、連絡を待ちましょう」
そう言って、大貫はテーブルの上に置いたスマホを見つめる。
那智は「ああ。そうだな」と返して、祈るように両手の指を組み合わせた。
一方、木賊区でタクシーに乗車する塩田と最上に、白い手袋を付けた運転手がバックミラー越しに訴えた。
「……あ、あの! バンは無理な車線変更を繰り返して前に進んでいます! こっちも同じようにすると、事故を起こしてしまうかも……! すみません……!」
「いえ! ここまでで十分です! ご協力いただき、ありがとうございました!」
二人は運転手に礼を言い、料金を支払ってドアから飛び出す。
獅戸が操るバンは、すでに視線の先で豆粒のように小さくなっていた。
「あっ! 今、交差点を左折したわ! 建物の陰でバンが見えなくなっちゃう!」
「ここで見失ってたまるかよ! 最上ちゃん! こうなったら走って追うぞ! 絶対に二人を助けるんだ!」
最上が遠くを見やって声をあげ、塩田が叫ぶと同時に走り出す。
高校の制服姿の二人は、向かい来る風を切って、鈍色の歩道の上を猛然と駆けた。




