08・真の目的
大阪府大阪市白群区。
午後2時を少し回った時刻、インクルシオ大阪支部の「串かつ班」に所属する特別対策官の疋田進之介は、一人で外の巡回任務に出た。
黒のツナギ服の上にジャンパーを羽織り、腰にブレードとサバイバルナイフを装備した疋田は、活気に満ちた大阪の街をのんびりと見回る。
その背中を、同班の対策官である増元完司と鈴守小夏が、一定の距離を保ちつつ密かに追いかけた。
私服姿で尾行する増元と鈴守を始め、大阪支部の4班から選出された20人の対策官が、疋田の周りを四方八方に囲んでいる。
疋田は立ち飲み店の軒先にいる酔客に「おっちゃん、昼間から飲み過ぎたらあかんでー」と声をかけ、お好み焼き店の店主と「疋田さん。また食べに来てや」「おー。近い内に寄らせてもらうわ」と会話をして、ふらりと路地に入った。
「……! 進之介がおらへん! Bチーム、そっちに行ったか!?」
『こちら、Bチーム。路地の反対側からは出てへん。至急、Aチームは路地に入って、進之介の姿を確認してくれ』
路地の入り口に立った増元が、慌てて耳に装着した通信機器に手を当てる。
ビルとビルに挟まれた薄暗い路地には誰もおらず、増元の後方に立った鈴守が、頭上を見て声をあげた。
「完司さん! もしかして、あれ……!」
ビルの側面には各階の小窓と雨樋があり、増元はピンときたように「……クソっ! 屋上に逃げたんか! こんなん、普通の人間では登られへんで! 進之介のアホウ!」と強く地団駄を踏んだ。
それから30分後、疋田は白群区から至極区に移動し、『取り壊し予定・立ち入り禁止』と貼り紙のある古いビルに足を踏み入れた。
元々は宝石店とその経営会社が入っていた5階建てのビルは、1階と2階が吹き抜けの構造になっており、疋田は建物の内階段を使って3階に上がる。
「ふぅ。これで、尾行しとった私服対策官たちを完全に撒けたわ。GPSで追跡されへんように、スマホも支部のロッカーん中に置いてきた。……てなわけで、思う存分に一対一で殺し合えるで。鳴神」
事務室だった部屋の中央に立った疋田が言うと、漆黒色のコートを着た人物──反人間組織『キルクルス』のメンバーであり、元インクルシオNo.1の特別対策官の鳴神冬真が、開け放したドアの枠にすっと姿を現した。
「お久しぶりです。疋田特別対策官」
「ほんま、久しぶりやなぁ。5、6年前に、将也んとこの班の突入応援に来て以来か? あん時は、まさかこんな風に敵同士で対峙するとは思わへんかった。まぁ、そんなハナシはどうでもええわ。早速、やろか」
1歳違いの二人は挨拶を交わし、がらんとした空間でそれぞれの折り畳みナイフとサバイバルナイフを抜いた──その時。
「ちょっと、待って下さいよっ!!」
老朽化したビルに大声が響き、疋田と鳴神が同時に振り向く。
その視線の先には、茶色がかった髪色をした人物──インクルシオ名古屋支部に所属する特別対策官の速水至恩が立っていた。
「……速水君!? 何故、ここに!?」
「実は、疋田さんが大阪支部を出た時から後をつけていました。途中でパルクールよろしくビルを駆け登った時は、けっこう焦りましたけどね。“他の尾行者たち”に気付かれないように俺も別のビルを登って、何とか貴方を追ってきましたよ」
疋田が驚いた顔で訊き、カーキ色のダウンジャケットに黒色のジーンズを履いた速水が答えた。
速水は疋田の正面に立つ鳴神に顔を向けて、低く言う。
「おい。鳴神冬真。アンタさ、何でさっさと名古屋に来ねぇんだよ。俺は今か今かと待っていたんだぜ。この手で、殉職した仲間の仇を討つのをな……!」
「ああ。それは、すまなかったね。速水特別対策官」
「ハッ。その涼しいツラ、なかなか癇に障るね。……疋田さん! 俺一人でも全然ヘーキですけど、ここはタッグを組んで確実にこの男を倒しましょう!」
速水は背後に右手を回すと、ジーンズの腰部分に差し込んだ黒の刃を抜いた。
疋田は速水の呼び掛けに応じて、再び臨戦態勢をとる。
鳴神は薄く微笑んで足を一歩前に出したが、睫毛をぴくりと揺らして、ドアの方を見やった。
「……残念だな。二人まとめて屠ろうと思ったが、そうはいかないみたいだ」
鳴神の唐突な言葉に、疋田と速水が訝しく眉を寄せる。
すると、事務室のドアの向こうから、一つの人影が現れた。
「当たり前や。これ以上は、俺が誰も殺させへん」
そう言って、鋭い眼光を放ったのは、二頭の虎の刺繍が入ったスカジャンを着た人物──インクルシオ東京本部の南班に所属する、“現インクルシオNo.1”の特別対策官の童子将也だった。
ひっそりと静まったビルに現れた童子を見て、鳴神は笑みを深くした。
童子はデスクや棚が無い空洞のような事務室に入り、「……将也」と声を漏らした疋田に、「進之介さん。無事でよかったです」と小さく言う。
速水はやや呆れた顔で「まったく。童子さんまで、ここに来たんですか」と息を吐いたが、「……ま、心強い増援ですけどね」と素気なく付け足した。
「やぁ。童子。久しぶりだね」
「……鳴神さん。交戦を始める前に、一つ訊きたいことがある。去年、俺と反人間組織『フロル』の拠点で交戦した時、貴方は床に転がったアンプルを拾った。あれは、何や?」
童子の質問に、鳴神は「ああ。これかい?」と軽い様子で反応し、コートの内ポケットからガラス製の容器に入った小さなアンプルを取り出した。
「このアンプルの中身はね。グラウカの『アンゲルス』だよ」
「──!!」
「君たちも知っての通り、『アンゲルス』は人間には猛毒のホルモンだ。だが、俺は特別な体質らしくてね。これを体内に取り込めば、グラウカの再生能力はないけれど、超パワーと優れた身体能力を発揮できる。……ほら、こんな風に」
そう言った途端、鳴神はアンプルの首を親指で弾き、無色透明の液体を呷った。
間髪入れずに片脚を上げて床を踏み、コンクリートを破壊して大穴を開ける。
「……君たち3人と戦ってもいいが、俺の役割はもう終わった。だから、ここは大人しく撤退するよ」
鳴神は爽やかな笑顔で告げると、3階から吹き抜けの1階に飛び降りた。
速水が「ま、待てよっ!! 鳴神っ!!」と手を伸ばし、疋田がぽっかりと開いた穴の側に片膝をついて「……今から追っても、間に合わへんか。すでに逃走ルートは入念に調べとるやろう」と険しい眼差しで言う。
童子は黙ったまま、ドアの前で立ち尽くしていた。
「……将也? どないした?」
「……さっき、鳴神さんは“自分の役割は終わった”と言うてました。せやけど、彼は「全国の拠点の特別対策官を一人ずつ殺していく」とメッセージに書いたはずです。それが特別対策官10人の殺害を意味するならば、その目的はまだ完遂していません。……もしかしたら、鳴神さんの“真の目的”はそれではなく、特別対策官殺しの途中で「次は西に行く」とわざと予告することで、俺を古巣の大阪に誘き寄せたのでは……?」
疋田が振り返って声をかけ、童子が呟くように推察を口にする。
速水がガシガシと乱暴に頭髪を掻いて言った。
「えーと。もしそうであれば、鳴神にその指示を出したのは、おそらく『キルクルス』のリーダーの乙黒阿鼻ですよね? だったら、乙黒が童子さんを東京から離れさせた理由は、一体何ですか?」
速水の問い掛けに、童子がハッと目を瞠る。
「……まさか……! あいつら……!」
その確信めいた不穏な直感は、冷たい汗となってこめかみを流れ、掠れた声と共に床に落ちた。




