兄妹愛と魔物と
名を呼ぶと、聞こえたのだろうか、チャコの潤んだ目がベルを見た。
反射的に体がぴくりとなる。
「おい、飛び出すな! アイツは女王だ!」
「知ってます。毒霧でしょう」
鋭い指摘に、ベルは自分を押しとどめつつ、短く答えた。
火吹き蜘蛛の女王は、毒霧――自分の周囲に触れただけで死に至らしめる猛毒を展開する特殊能力を持つ。しかも猛毒は火炎に触れると爆発し、水は蒸発させてしまうため、魔法による除去も難しい。
故に、女王に関しては危険度がAランクに指定されている。
サブマスターといえど、迂闊に手が出せない相手だ。
ここは被害を抑えつつ、援軍を待つのが得策だ。これだけの騒ぎになれば、傭兵ギルドも緊急クエストを発動するだろうし、行政が近隣に騎士団へ援護の要請もするだろう。
だが、ベルだけは違った。
火吹き蜘蛛の女王が糸でがんじがらめにしているのは、チャコだ。
今すぐにでも、助け出さないといけない!
──けど、万が一にでも毒をだされたら、チャコが死ぬ。でも、悠長にしていたら……
ベルは注意深く火吹き蜘蛛の女王の腹をみる。際どいが、膨らみが強い。あれは体内に卵を宿している。
卵の栄養源は、火吹き蜘蛛の女王が糸で捕まえた獲物だ。今回で言えば、チャコ。卵を植え付けられたら最後だ。助けることは、できない。
「おいベル。もしかして……」
ベルの様子から察して、サブマスターは咎めるようにきいてくる。だが、ベルはブレない。もう意思は決まっているのだ。
「チャコ! すぐ助けるから!」
最大限に声を張って、ベルはサブマスターをまっすぐ見た。普段は絶対視線を合わせない、ベルが。
「チャコを助けます。あの蜘蛛、産卵期に入っている」
「……! 最悪、だな」
サブマスターは苦い表情を浮かべる。
時間がない。
いつ卵を植え付けるのかは、火吹き蜘蛛の女王次第だからだ。
「何はともあれ、毒を無効化させないと、近寄ったらもうアウトだ」
「ええ」
「それだけじゃない。女王を守るように蜘蛛がいる。もし女王に向かえば、一斉に襲い掛かってくるぞ。そうなったら、女王に近寄るどころじゃあない。最悪、その場で卵を植え付けられるかもしれん」
その通りだった。ただでさえ厄介なのに、場でも不利だ。
どう打開するか、ベルはひたすら考える。
火の弾ける音に交じって、金属の音が聞こえてきた。傭兵たちか、と思ったが、様子が違う。荒々しい装備ではなく、全員が全身鎧だった。
「緊急討伐クエストで招集された連中……ではないな」
「その通りです! 市民の危機だというのに、何をちんたらしてるんですか、傭兵!」
怒号が響かせたのは、完全武装した連中の先頭にいる、やせ型の男だった。
彼だけは武装していない。この現場に似つかわしくない、豪華な服装だ。その姿を認めたとたん、サブマスターは露骨に顔をゆがめた。
いうまでもなく、不快に。
「キノキテニア……!」
「キノキテニア町議、だ。ちゃんと敬称をつけなさい。まったく野蛮ですね」
「それは失礼」
形ばかりの謝罪をいれて、サブマスターは鼻を鳴らす。
二人の間には、明らかに敵意しかない。
何があるのかは知らないが、ベルは全身をざわつかせていた。この状況下で、この闖入者たちは、絶対に一波乱起こす。
「さぁ、騎士たちよ! あの蜘蛛どもを始末しなさい! 弓隊、魔法隊、構えっ!」
キノキテニアは状況を一瞥しただけで、掃討を指示する。
これにはサブマスターだけでなく、ベルも驚愕した。
「おい、バカ! 何をやってる! 人質がいるんだぞ! それに連中は火吹き蜘蛛だし、女王までいるんだぞっ! 迂闊に攻撃したらどうなると思ってる!」
「だからなんだというのです」
こともなげに、キノキテニアは言い切る。
「このまま町を破壊させるわけにはいかない。掃討は最優先だろう。傭兵の方でも、緊急討伐クエストで招集しているのではないか?」
「ああ、そうだよ! その上で慎重に行動して救出作戦をとる! なのに強攻などと! 犠牲を出すつもりか!」
「このまま放置すれば、より大きな犠牲がでるかもしれないだろう」
この切迫した状況なのに、キノキテニアは余裕の下卑た笑みを浮かべる。
鳥肌が立つくらいに、キモチワルイ。
「今であれば、宿場街のボロ区画と、小娘一人で済むだろう。それに……アレは獣人だ」
――別に死んでも構うまい。
「……なっ!」
「そもそもボロの安宿に泊まったのが運の尽きと思っていただこうじゃないか」
「……ふざけるなっ!」
あまりにひどい言葉に、ベルが激高した。
「チャコは、妹だっ! 犠牲になどさせられないっ!」
「ほう。妹さんか。それは気の毒に。ではこうしよう。町を守るために犠牲になった薄幸の少女。これに似合うだけの保証をしてやろう。金があれば、いいんだろう?」
「テメェ何ほざいてんだ」
一歩前に出たのは、サブマスターだ。
「選挙に必要な看板一つだって、技術ギルドにタダ働き同然のことを求めるクソケチ野郎が、どんな金を出すってんだ」
「クソケチとは心外だな。私はちゃんと出すところは出すさ。そうだな――銅貨十枚でどうだ?」
「んなっ……!」
「別に、私は構わないんだよ。犠牲が一人や二人、増えようが、ね?」
即ちそれは、ベルやサブマスターも始末するという宣言だ。
悟ったサブマスターのこめかみに青筋がいくつも走る。
「それは俺にケンカ売ってるってことだな、おいコラ」
「口のききかたがなっていませんね。いいでしょう。まとめて始末をしてさしあげる」
背後に備える、騎士たちが構えた。呼応して、サブマスターも剣を構えた。
だが。
誰よりも一番ブチギレているのは、ベルだった。
「邪魔をするなら」
普段でも威圧感を放つベルが、本気で。
「――全員、黙ってくれ」
ふわり、と、空を撫でる。
まるで団扇で扇ぐように。
たったそれだけで、風圧が騎士団の全員を地面に押し付けた。誰もが膝を折り、動けなくなる。
あちこちから呻き声が漏れる中、サブマスターだけは正体を看破した。
「魔力──……違う、これは気力……スキルか! 騎士団全員を黙らせるなんて、どういうスキルだよ、いったい」
ベルが使ったのは、料理人スキルの一つ、《扇ぐ》だ。応用して風圧を騎士団の真上からぶつけたのである。
もちろん、本来は焼き物等に使用する技術であり、攻撃性はない。
だが、ベルは攻撃性を持たせた。
「そこから動かないで。チャコは、俺が助けます」
「……なっ、何をした!」
ようやく騎士団に起こった異変を理解したのか、キノキテニアが我にかえって吠える。
「さぁな。俺もわかんねぇよ。けど」
答えてやったのは、サブマスターだ。
「お前らが怒らせたからだろ」
「…………っ! 傭兵が、舐めたことを! 事態が悪化したらどうする!」
「その事態をちゃんと把握しようとせず! 己が身勝手で犠牲を出そうとする! どっちが舐めた真似してくれてるんだかなぁ! 親しい人を守ろうとするのは当然だろうが!」
サブマスターは、キノキテニアを圧倒する声量で言い返す。
「キノキテニア。お前さん、ずいぶんと騎士団を連れてくるのが早かったな。どういう裏があるのか、キッチリ調べてやるぜ」
「何を……これは私の日頃からの危機管理能力の賜物だ!」
「そうか? どの口がいうんだって話なんだけど? いいぜ。ちゃんと証拠は見つけてやるよ。傭兵舐めんなよ」
「貴様っ……口を慎め!」
「あ?」
サブマスターは不機嫌を前面に出しつつ、大剣を振ってキノキテニアの首筋手前で止めた。
「キノキテニア。あんたこそ状況弁えろよ」
「なっ……!」
「この混乱の最中だ。死体が幾つかあがったとしても、誰も怪しまないぜ?」
キノキテニアの言葉をそっくりそのまま返すと、キノキテニアは一瞬で顔を青くさせた。
「ひっ、ひぃぃいいいいいい!」
サブマスターはキノキテニアを追わなかった。情けなさすぎた。ため息を漏らし、屋根を見上げる。
蜘蛛がベルの放ったスキルに警戒している。状況は悪化したといえるのに、どうしてか、サブマスターには安堵があった。
ベルはキノキテニアの相手をサブマスターに任せ、地面を蹴った。緩やかに手を扇いだだけで、また風が起こってベルを高く打ち上げる。
刹那にしてベルは屋根より高く舞い上がり、身体を捻りながら、腰のポーチから錐を取り出す。
──いいかい。火吹き蜘蛛の女王はね、シメる前に準備をしないといけないんだ。
媼の、あるいは翁のような嗄れた声が、ベルの脳裏に再生される。
──毒霧はどれだけ弱ったとしても出せるし、なんだったらちょっとした刺激で飛び出てしまう。だから、まずはその穴を閉じること。
ベルは鋭く狙いをつけ、流れるような動きで錐を投げつける。
──その穴はね──
「頭と、腹のつなぎ目ど真ん中!」
軽い音。
錐は寸分の互いなく、火吹き蜘蛛の女王の毒穴に突き刺さって出口を封じる。すかさずベルは動いた。
激烈な動きで、ベルは火吹き蜘蛛の女王からチャコを奪い取る。今すぐにでも糸をほどいてやりたいが、後だ。
まだ燃えていない屋根の部分にそっと寝かせ、ベルは振り返りながら屋根を蹴った。
──次に脅威なのは足さ。英雄の剣でもない限り、まともにかち合っても斬ることはできない。けど、腹のつけ根の接続部だけは脆い。
着地と同時に懐へ飛びこみ、長包丁を抜き放って脚の付け根に刃を当て、切断する。
禍禍しい毛の生えた脚が飛び、火吹き蜘蛛の女王が悲鳴をあげた。だが、ベルの攻撃はそれで終わらない。
──あとはそれを連続して敵の機動力を奪いな。
目にもとまらぬ一閃を繰り出し、脚を全部斬り飛ばす。もはや火吹き蜘蛛の女王は、もぞもぞと蠢くしかできない。
そこに、女王の危機を感じ取った火吹き蜘蛛たちが隣の燃える家の屋根に集まり、一斉に跳びかかってくる。
だが。
蜘蛛たちの真下から、稲妻の壁が襲いかかり、全て撃墜した。
ぼとぼとと黒焦げになって落ちていく蜘蛛ども。笑いはその時におこる。
「はっはっはぁ! ベルには手出しさせねぇぞ、蜘蛛どもぉ! 」
地上からの、サブマスターの援護だった。
大剣は光るほどに帯電していて、凄まじい攻撃が繰り出されたことをベルは悟る。会釈だけで礼をして、ベルはだるま状態になった火吹き蜘蛛の女王へ向かう。
これで邪魔者はもういない。
「――《屠殺》」
閃く。
幾つもの剣閃は、火吹き蜘蛛の女王の頭を切り裂き、絶命させた。
ぴくりともしない火吹き蜘蛛の女王を一瞥し、ベルは振り返って走る。向かう先は、当然チャコだ。
「チャコっ!」
目にも止まらない手際のよさで、糸が切られていく。ものの数十秒で、チャコは解放された。
無事な姿をみて、ベルはチャコを抱き締めた。
「チャコっ!」
「おにいちゃん……!」
「ごめん! ごめんな……置いていったばっかりに……」
「私こそ、ごめんなさい。おにいちゃん。私がもっとしっかりしてたら、こんなことには」
二人で謝りあって、二人で泣く。
大きいため息とゴツゴツした手のひらがやってきたのは同時だった。
二人は困惑する。
髪がぐしゃぐしゃになるくらい手で撫で回したのは、サブマスターだ。
「ったく。不器用な兄妹だな。助かったんだから、お互いよかったな、でいいだろうが」
「サブマスター」
ベルが見上げると、涙目で鼻をすするサブマスターがいた。感動しているようだ。
ちょっと困った顔をすると、サブマスターはすぐに表情を戦いのそれに変え、背中を向けた。
周囲を見渡すと、まだ火吹き蜘蛛の群れがいる。女王が倒されて、怒っているようだ。
「今は休んでろ。後は……俺たちの仕事だ」
俺、たち?
たずねるより早く、サブマスターは剣を掲げた。
「おい野郎どもぉぉおおお────っ! この蜘蛛どもを、ぶっ潰せ!!」
「「「おうっ!!!」」」
いつの間にか集っていた、傭兵たちだった。
ベルはほっと安堵する。
とはいえ、チャコは安全な場所へ避難させるべきだろう。疲弊もしている。
ベルはそっとチャコを抱きかかえ、立ち上がった。




