追放からのなりあがり2
隣町はこの町と比べて小さい。露店が出ているといいのだけれど。と思いながら、ベルとチャコは町の門をくぐる。しばらく道沿いに進んでいくと、分岐路がある。隣町へは、狭い方の街道だ。
そんなに深くない森を突っ切るようにできた街道はうねっている。
二人で手をつないで歩いていると、後ろから馬車がやってきた。すごい勢いで追い抜くと、二人の前で止まる。
不審に眉を寄せると、馬車から誰かが下りてきた。
「げっ、エロガキ」
露骨にチャコが嫌悪を表に出した。若旦那だ。下卑た無精ひげの男、と称するのが一番わかりやすいだろう。
「よぉ、ベル。それと……チャコちゃんだっけ。今日も可愛いね」
ウィンク一つ送られて、チャコは全身に鳥肌立たせて震え上がった。本気で気持ち悪がっている。だが、若旦那は舌なめずりするばかりだった。
密かな警戒心を持って、ベルは一歩だけ前に出る。黙っていれば威圧感満載と言われるだけあって、迫力はあった。
「まったく。ソッコーで町を出るとか動き早過ぎなんだよ。馬車代請求するからな」
「要件は何ですか?」
ベルの代わりに、チャコが問い質す。
「うん。簡単なんだよ。チャコちゃんさ、俺のモノにならない?」
つい先日、生娘を手込めにしておきながら、そうくるのか。
ざわり、と、嫌なものが全身を舐めた。不快さにベルは眉根を寄せ、チャコはベルの後ろに隠れる。微かな震えが伝わってきた。
ベルは迷うことなく、首を横に振る。
「チャコに手は、出させない」
「そうか……まぁそうなると思った。だって、お前シスコンっぽいし」
つまらなさそうにいって、若旦那は指を弾いた。
それだけで、横手――森から何かがのっそりと姿を見せた。獣臭い。
でっぷりした腹以外は、筋肉質な見た目に、ベルの倍近い体格。角の生えた、豚の頭。
「……オーク!?」
「そうだよー。チャコちゃん物知りだね。そいつはオーク。俺のペット。おいベル。分かるよな? チャコちゃんを差し出さなかったら……お前、死ぬぞ?」
分かりやすい脅しだった。
オーク――魔物となれば、魔法か、もしくは体内の気力を使って繰り出す戦技でなければ倒せない。いくら体格が良くても、一般人でしかないベルにかなう道理はない。
知っているのは、昔、一度だけ傭兵を志したことがあるからだ。
その厳つい目つきと恵まれた体格を生かす職業としては選択肢に入るからだ。だが、肝心の戦技を習得できなかった。絶望的なまでに才能がなかったのだ。
――でも。
「……自分、不器用なんで」
覚悟の声でいいはなち、包丁を抜き構える。
勝ち目なんて、ない。
――でも、妹を、チャコを守るには、戦うしかない。
胸をはってオークをまっすぐ見据えたのは、少しでもチャコを安心させるためだった。
そんなベルを、若旦那は腹を抱えて嘲笑する。
「はっははははははっ! やる気かよ! バカすぎだろ! マジうける! まぁいいや、じゃあ死ねっ!」
合図を受けて、オークが一歩踏み出す。重い音が風圧を呼んだ気がした。
「――おにいちゃんっ!」
「チャコは逃げろ!」
チャコが心配の声をあげるが、ベルは短く言い返して走り出す。
裂帛の気合いをいれて、ベルは包丁を繰り出す。日頃から鍛えているだけあって、動きそのものは鋭い。だが、オークは太い腕でその一撃を受け止めた。
鈍い音。
オークの皮膚は傷一つ付かず、ベルの腕は弾き飛ばされる。
……硬いっ!
隙だらけになったその横腹に、オークは拳を叩き込んだ。およそ打撃音とは思えない音を響かせ、ベルは地面に叩きつけられた。
凄まじい衝撃に、肺から空気が漏れ、激痛に襲われて呻く。
「おにいちゃんっ!!」
「あーっははははは! 無理にきまってるだろ! オークだぞ! 魔物だぞ!」
チャコの悲鳴と、若旦那の哄笑。
どちらも浴びつつ、ベルはゆっくりと起き上がった。強靭な筋肉のおかげで、骨は折れていない。とはいえ、今の一撃で悟った。勝ち目がないレベルの話ではない。
間違いなくベルは倒されてしまう。
最初から時間稼ぎのつもりだったが、それも簡単ではない。だが、それでもチャコだけは守らなければならない。
組みつくか? それとも、上手く逃げて力尽きるまで立ち回るか?
「嫌だ、嫌だよ、おにいちゃんっっ!! チャコを、一人にしないでっ!」
そんな後ろ向きの覚悟を一瞬で切り裂いたのは、チャコの絶叫だった。
ベルは思わず顔だけ振り返る。
泣いていた。チャコが。
あれだけ泣きじゃくるチャコを見るのは久しぶりだ。たまらなくなった。こんな可愛い妹を、誰よりも自分を理解してくれるこの子を、残して……
――死ねるかよっ……!
ベルの目に戦意が戻る。
地面を這いつくばっていた体を無理やり起こし、ふらつきながらも立ち上がった。
息をするたびに全身がひどく痛む。視界が歪む。でも。それでもっ。
「はっははははは! ムリムリ、無理だって! 諦めてとっとと死ねぇ!」
――諦めて、たまるか。
「……自分、不器用なんで」
ベルは集中する。
彼は料理人だ。食材として出回ることもあるオークのさばき方も、シメ方も知っている。本来であれば、養殖されて戦闘能力のないオークを、麻痺や眠りの魔法で動けなくさせてからか、野生のオークなら、瀕死の、放置しても死ぬような状態で行う技術でしかないが。
そう。技術だ。
もちろん戦技ではない。ベルが扱えるのはあくまで料理人の技術だ。攻撃力はあるのかどうかさえ分からない。オークは騎士の一個小隊で挑む強さがある。戦技を幾つも繰り出して、傷だらけにして、ようやく倒せるのだ。
それでも、一縷の望みを託した。どの道、それしかないのだ。
包丁を構えて、地面を蹴った。
「――《屠殺》」
ぼそりとつぶやいた刹那、ベルの全身が光る。
音よりも疾く。
ベルは飛び上がると包丁を左右に薙ぎ払い、まず角を切断する。オークはトロルにこそ及ばないものの、高い生命力と再生能力があり、その源は角だ。まずそこを潰してから、急所である頸動脈を切る。
舞い散る、血飛沫。
ベルはそれを浴びるより早く着地してバックステップし、血の雨を回避した。
どしん、と重い音を立てて、オークが仰向けに倒れる。
若旦那は、ただ茫然とその様子を眺めていた。
「嘘……だろ?」
零れる、微かな声。ベルは、僅かに血のついた包丁を振って、若旦那に向けた。
「……次は、あんたか?」
「あっひゃああああああああ――――っ!!」
ベルが問うと、若旦那は尻餅をついた。じんわりと股間が水分で濡れていく。
その間に、馬車は若旦那を置いて逃げていった。まさに脱兎のごとく。
「あ、お、おいっ!? まて、なんで逃げるんだっ! お、おお俺を、置いていかないでっ!? ぷりーずっ! かむばあああああっく!」
若旦那は必死に叫ぶが、むろん馬車が止まるはずもなかった。
あまりに情けない醜態だ。
ベルは呆れて、視界に入れたくなくなった。すぐに振り返り、チャコの方へ歩む寄る。まだぐずるチャコの頭を優しく撫でてやった。
「チャコ。大丈夫か」
「うっ、よかったぁあああああ……」
ぎゅっと抱きしめられて、ベルは安堵した。
「スゴい、スゴいね、おにいちゃん。いつの間にあんな攻撃を?」
「攻撃は、してない。《屠殺》の技術を使った」
「それって、料理人っていうか……お肉屋さんの技術よね。それでオークを倒すなんて……できたんだ」
「俺も、初めて」
素直にいうと、チャコはふふ、と笑った。
釣られて、ベルも微笑む。
「規格外っていうか、裏技っていうか。おにいちゃん、傭兵になれるんじゃない?」
「傭兵、か……」
この《屠殺》スキルは、一撃必殺だった。
もしこれが他の魔物にも通用するのであれば、一考の余地はある。
「まぁとりあえずでも、良かった。おにいちゃんが無事で」
「俺も、チャコが無事でよかった。それで、どうする?」
「え? ああ、あのエロガキ?」
ぐすぐすと鼻をすすりながら、チャコは口から泡をふきだした若旦那を睨む。
「放置でいいと思う。あんなの手にかけたら、おにいちゃんが汚れる」
「……そうか、そうだな」
チャコのいう通りだ、と、ベルは納得した。
「あ、でも。オーク……おにく……だ」
チャコがきらきらした目で訴えていた。よだれも漏れている。
オークの肉は高い。養殖もされているとはいえ、豚と違って高級食材だ。チャコは今まで口にしたこともない。ベルもだ。取り扱ったことしかない。
美味しい高級食材、と思うと、とたんに見る目が変わってしまった。
チャコはやや遠慮がちに、ベルの袖を引っ張った。
「……うん。美味しいトコだけ持っていこう。もったいない」
ベルは微笑んでから、素早く解体作業を済ませた。質の良い部分だけを切り取って風呂敷に包んだ。それでもずっしりと重かったが、ベルは平気な振りをして歩きだす。
チャコを心配させたくなかったから。
どこで食べようか、どうやって食べようか、と思いを馳せながら、二人は道をゆく。
程なくして、狼の遠吠えと、誰かの悲鳴のようなものが微かに聞こえた気がした。