10 魔王の謀略
わずかな時間稼ぎをするかのように、むむむ、と王が唸っていると、
ロランの後方から荒げた声が聞こえてきた。
「王!王よ!
惑わされてはなりませぬ!」
「ガノ様、いけません!いまシスターを呼んでいますから!安静に!」
振り返ると、壁の穴から這い出ようとするやせ細った義父の姿が目に入った。従者の声も聞こえる。
「あなたのお父様、いつもあんな感じなのかしら?」
いつのまにか全員が義父に注目していた。
マコの素朴な疑問が胸に刺さる。
「いや、魔王城から帰還してからというもの、様子がおかしいのだ。」
「城に来てたの?」
義父と魔王が会ったことを知らないようだ。
すこし意外だった。魔王と連絡を取り合ってはいないのか。
いや、この距離では連絡を取り合うすべが無いのか。
「同伴した部下を失っている。
心に傷を負ってしまったのかも知れない。」
「それは、ご愁傷様ですわ。
それで様子がおかしく……。
あー、つまり、状態異常ってこと?」
「……何?
毒や麻痺は無いと思うが。」
「いえ、怯えとか、恐慌とか、恍惚とか、色々あるでしょう。」
……色々あるらしい。
しかし、それらは状態異常と言えるものなのか。感情の一種ではないだろうか。
疑問はあるが、詳しく尋ねる時間は無いようだ。
「王より離れよ、魔族の斥候めが!」
こちらの状況を確かめもせず、義父が猛進してきた。手にはロングソードを握っている。
「義父上!
お控えください!
彼女は王と話しています!」
「だから止めるのだ!
王を誑かす悪魔を!」
乱心とも言える行動をする義父を、痛ましく思うような恥ずかしく思うような感覚に襲われながら、ロランはマコの前に立った。
過ちを重ねる前に止めねばならない。
武器を使用人に預けたままだったのを後悔した。
やむを得ない。
体当たりで制圧するしかないと、ロランが姿勢を低くしたのと同時、義父の剣が漆黒に染まっていくのが目に入った。
「王の前でそこまで……。
何をもって、彼女が敵であると確信しているのですか、義父上!」
目前に迫る義父の動きを捌こうと、一歩踏み出した。
「私がダメージ食らった技なのよ。貴方じゃ死ぬんじゃない?」
すぐそばから声が聞こえた。
同時に、ロランの脇を白い影が駆け抜け、義父に向かって飛んでいく。
暗黒の剣を振りかぶった義父の胴体に、白い影から二本の槍が飛び出たように見えた。
目の前にあったのはマコの後ろ姿。
義父を両手で突き飛ばしたのだ。
義父は軽く浮いて、そのまま石畳に尻もちをついた。手放したロングソードは義父の後方でガランと落ちた。
「かなーり手加減したわ。感謝してね。」
そのまま流れるように歩を進め、ゼヒゼヒと辛うじて息をしようとしている義父の頭に右手を置いた。
そして、右手が優しい魔力の光を帯び、手の甲に魔法陣が浮き上がった。
つい先刻もギルドの応接室で見た、回復魔法の光景に近い。
「ほとんどの状態異常は『ヒール』で治ると思うんだけど。」
みるみる呼吸が整っていく義父。
だが、直ぐに頭に乗せられたエルフの手を払いのけた。
いや、正確には、払いのけようとした。である。
義父が振り回した腕がマコの腕にぶつかったはずだが、頭の上に置かれた右手はびくともしていなかった。
「何を考えている!」
「魔王に何をされたか教えてくれないかしら?治療のヒントになるかも。」
「貴様に話すことなどない!」
「あら、そう。
それでも教えてもらうわ。
この世界の状態異常については、私も知りたいからねっ。」
今度は、マコの肩のあたりに白い魔法陣が現れた。
マコの肩幅より大きいそれは、瞬く間に灰色の靄に代わり、義父の頭にまとわりつく。
「『ドミネイト・モンスター』 。
私の言うこと、聞いてもらうわ。」
魔力の靄は、義父の頭部に薄く張り付いたかに見えた。
「言うことを聞いてもらうって、まさか、行動を操る魔法なんてあるのか!?」
背後から聞こえた驚きの声は、アストルのものだった。
気持ちは分かる。
ロランもそんな魔法の存在は聞いたことが無かった。
だが、マコなら使えても不思議ではない気がする。
とにかく、今は見守るしか無かった。
だが、次の瞬間。
音もなく、だが薄氷が砕けるかのように、灰色の薄膜が割れた。そして、空気に溶けるかのように義父の周りから消えていった。
「んん?」
不思議なものを見たとき特有の、微かな戸惑い声がエルフから漏れた。
「……ミスした?
『ドミネイト・モンスター』 !」
マコが、先ほどよりは少し力んだ声で魔法の名前を口にした。
同じように魔法陣が現れ、同じように灰色の薄い膜が現れたが、やはり同じように消えていった。
義父は相変わらず暴れようとしているが、頭を押さえられては立ち上がることもできない。
「耐性でもあるのかしら。」
「そうでは無いのう。」
背後から聞こえたのは、今度はモージの声だった。
「呪いの類を重ね掛けしようとすると、そのように魔力が掻き消えることがあるのう。
つまり、耐性があるのでは無い。
むしろ、もう魔法に掛かっているということじゃろう。」
老いはあっても芯の通ったその声色は、モージが弟子の魔術師見習いに授業をするときの口調だった。
ゆっくりと振り向いたマコの表情は、分かっているのか分かっていないのか曖昧なときの、魔術師見習いの顔だった。
モージの言葉はロランでも理解できた。
だが、では誰がその魔法を掛けたのか。
無論、魔王だろう。
「……『ディスペル・マジック』。」
マコの肩の辺りに、また魔法陣が現れた。だが、今度はやわらかい光だった。
すると、義父の顔の皮膚の下から、それは浮き上がるように現れた。
灰色の靄。
そして、さっき見た光景と同じように、空気に溶けて消えていった。
エルフの右手の下で、まるで生き返ったかのように、義父の顔つきが柔らかになっていく。
抵抗するのをやめ、強張っていた全身から力が抜けていくのが分かった。
まるで世界の全てを疑っているかのような爛々とした目が掻き消え、ロランの記憶にある義父が戻ってきていた。
「何考えてんの……いや……会った時何か言ってたわ……。」
マコが、か細い声でぼそぼそと呟いている。そうして、右手を義父の頭から離して、露骨に肩を落とした。
「呪いか何かを受けていたのか、私は……。
頭に響いていた声が、魔王の声が、消えた。」
ロランは急いで駆け寄り義父を助け起こした。
貸した肩の異様な軽さで、痩せこけた体までは元には戻らないことを悟った。
節々の具合を確かめながらゆっくりと立ち上がり、義父の無事を実感した。
だが、笑顔にはなれない。
また別の問題が起きている。
目の前でマコが立ち尽くしている。
当然である。
義父と魔王は遭遇し、おそらく、だがほぼ確実に、一戦は交えているだろう。
魔王は義父の実力を把握したはずである。
そんな義父が、魔王に操られていた。
そして、義父はマコに斬りかかった。
それも、致命傷になり得る奇襲であった。
誰もがほぼ同じ結論を得るはずだ。
明らかに気落ちしているマコに対して、それを口に出すのは憚られた。
だが、訪れそうになった静寂をあっさり破ったのは、アストルだった。
「お前、魔王に裏切られてるじゃねえか!」




