第8話 魔法
「今日はここに泊まりましょう」
日が沈んだ頃、ノルベルトは馬を止めた。昨晩泊まった街とは違い、旅人用の宿が数軒並んでいるだけの小規模な村だ。
「ええ。今日も一部屋でいいわ」
「……分かりました」
受付を済ませ、部屋へ移動する。夕飯付きの宿だが、夕飯まではまだ少し時間がある。
ノルベルトが荷物を置いて座ったところで、ルアーナは口を開いた。
「ねえ、ノルベルト。魔法って、私にも使えるかしら?」
予想外の言葉だったのだろう。ノルベルトは少し目を見開いた。
「……それは、やってみないと分かりませんね」
魔法は全ての人が使えるわけではない。だからこそ、魔法を使える人間は重宝されるのだ。
「気になるなら、試してみましょうか」
「いいの!?」
「ええ」
立ち上がると、ノルベルトは洗面所へ移動し、桶いっぱいに水を入れてきた。
「魔法というのは、精霊の力を借りて行うものです。たとえば……」
ノルベルトが水の上に手をかざす。すると、水がぎゅっとまとまり、大きな球になって空中に浮かび上がった。
「これは、水の精霊の力を借りています。水は空気中にもあるので、水魔法は比較的使いやすい魔法なんですよ」
ノルベルトが手のひらを下ろす。すると、水の球も壊れ、桶に戻った。
「どうすれば精霊の力を借りられるの?」
「正直、相性もあります。天才魔法使いと称されるような人間は、生まれながらに精霊に愛されているんですよ」
「生まれながらに……」
「はい。昔俺が共に旅をした魔法使いは、喋るより先に魔法を使ったそうです」
目を細め、過去を懐かしむようにノルベルトは言った。目立つのは嫌だと言っていたけれど、旅そのものは彼にとって大切な思い出になっているのだろう。
(私の知らないノルベルトがたくさんいる。当たり前だけど、ちょっと寂しいわね)
「お嬢様。手のひらを水の上に置いてみてください」
「分かったわ」
「初めて魔法を使う時は、基本的には精霊に挨拶する必要があります。今から、俺が言ったことをそのまま言ってください」
すう、とノルベルトが息を吸い込む。そして、真剣な表情になって口を開いた。
「水の精霊デルフィーニよ。神聖なる水の力、生命の根源たる水の力を哀れな子羊に与えたまえ」
ノルベルトが言い終わると、桶の中の水がぐるぐると渦を巻いた。手のひらを下ろしたノルベルトが、そっとルアーナに目配せする。
深呼吸し、ノルベルトの言葉をそのまま繰り返す。
「水の精霊デルフィーニよ。神聖なる水の力、生命の根源たる水の力を哀れな子羊に与えたまえ」
手のひらに力を込める。すると、わずかに手のひらが熱くなった。
そして、桶の水が、ほんの少しだけ揺れる。
あまりにも微かな、けれど、確実な変化だった。
「いっ、今の、今のって……っ!」
「ええ。成功です」
微笑むと、ノルベルトはそっとルアーナの頭を撫でた。
「今はまだ少しの変化ですが、続けていればきっと上達します。水の精霊は、精霊の中でも穏やかな性格の持ち主だと言われているんです。優しいお嬢様のことを気に入ったのでしょう」
「ノルベルト……」
「続けていれば、きっと詠唱なしでも簡単な魔法なら使えるようになりますよ」
ノルベルトの大きな手のひらがゆっくりと離れる。突然のことに顔を真っ赤にしたルアーナを見つめ、ノルベルトはまた笑った。
「魔法を使えたのがそんなに嬉しかったんですね」
「ちっ、ちがっ、違わない、違わないけど……っ!」
ノルベルトが不思議そうに首を傾げる。
きっと彼は、ルアーナを恋愛対象として見ていなさすぎて、自分がしたことの意味を分かっていないのだ。
(でもきっと、言ったら、もう頭を撫でてくれなくなっちゃうわよね……)
それは嫌だから、今は言わない。
「わっ、私、毎日練習するわ! もっとちゃんと、魔法が使えるようになるために!」
立ち上がって宣言する。頷いたノルベルトの眼差しは、泣きそうになるほど優しかった。




