表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので、念願の筋肉留学をします!~王太子に捨てられた怪力悪役令嬢、辺境の最強騎士団長に拾われて幸せです~  作者: 九葉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/14

第3話 か弱い令嬢は、馬車を担いで山を越える

山賊との遭遇からさらに二日が経過した。

私たちの馬車は、王国の北限を分かつ「氷竜の背骨」と呼ばれる大山脈に差し掛かっていた。


気温が急激に下がり、吐く息が白い。

窓の外は、切り立った岩壁と、うっすらと雪化粧をした針葉樹の森だけ。

時折、遠くから狼とも魔獣ともつかない遠吠えが聞こえてくる。


「……寒いですね、お嬢様。毛布をもう一枚お使いになりますか?」


御者台から降りて休憩中の老御者、ハンスが心配そうに声をかけてきた。

彼は寒さで鼻を赤くし、ガタガタと震えている。


対して私は、ドレスの上に薄いショールを一枚羽織っているだけだ。


「いいえ、ハンス。私は大丈夫よ」


強がりではない。

これにはきちんとした科学的根拠マッスル・セオリーがある。


私の身体は、常に基礎代謝が一般人の数倍のレベルで燃焼している。

筋肉量が多いということは、それだけ自家発電能力が高いということだ。

今の私は、言わば歩く暖炉。

むしろ、これくらい冷やしてもらったほうが、オーバーヒートしなくてちょうどいい。


それに、この標高の高さも素晴らしい。

空気が薄いということは、心肺機能に負荷がかかる「高地トレーニング」の状態が二十四時間続いているということだ。

ただ座って呼吸をしているだけで、赤血球が増え、持久力が向上していく。


(酸素が薄い……最高だわ。ミトコンドリアが活性化している音が聞こえるようだ)


私は恍惚の表情で薄い空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「お嬢様、顔色が真っ青ですが……やはり酸素が足りないのでは……?」


ハンスが勘違いしてオロオロしている。

違うのよハンス。

これは酸欠じゃなくて、集中状態ゾーンに入っているだけなの。


 ◇


休憩を終え、再び馬車は険しい山道を進み始めた。

ここからは下り坂だが、道幅は狭く、片側は断崖絶壁だ。

しかも昨夜の雨でぬかるんでおり、わだちが深くなっている。


私の乗る馬車は、通常の貴族用馬車よりも遥かに重い。

なんと言っても、私のトランクには総重量数百キロに及ぶ「ダンベルコレクション」と「鉛の拘束具」が満載されているからだ。


二頭の馬たちが、鼻息を荒くして踏ん張っている。


「頑張れ、もう少しだ……!」


ハンスが鞭を入れず、優しく声をかけて励ましている。

私も心の中で馬たちにエールを送った。

(いいわよ、その大臀筋の張り! ハムストリングスを使って地面を捉えて!)


その時だった。


ガゴンッ!!

メリメリメリッ……!


嫌な音が響き、馬車が大きく右側に傾いた。

私の身体がふわりと浮き、壁に叩きつけられそうになるのを、体幹でピタリと制止する。


「ど、どうしたの!?」


「お、お嬢様! 申し訳ありません、ぬかるみに車輪が!」


慌てて外に出ると、惨状が明らかになった。

右の後輪が、泥に隠れていた深い亀裂に嵌まり込んでしまっている。

しかも、重さに耐えかねて車軸が岩に乗り上げ、完全にスタックしていた。


「なんてことだ……。これでは馬の力だけでは抜け出せない……」


ハンスが青ざめた顔で車輪を確認する。

泥は深く、車輪の半分近くを飲み込んでいる。

おまけに、ここは断崖絶壁のカーブ。

下手に動かせば、馬車ごと崖下に転落する危険性もあった。


「どうしましょう、ハンス」


「くっ……私が近くの村まで行って、救援を呼んできます! ですが、一番近い村でも往復で半日は……」

「その間、お嬢様をこんな山道にお一人で残すわけには……」


ハンスが苦悩に顔を歪める。

魔獣が出るかもしれないこの場所で、令嬢一人を置いていくなど、忠実な彼にはできないだろう。

かといって、彼一人の力でこの重量級の馬車を持ち上げるのは不可能だ。


(困ったわね。半日も待っていたら、今日の分のプロテイン摂取タイミングを逃してしまう)


私は馬車の状況を冷静に分析した。

右後輪が嵌まっている。

つまり、車体を持ち上げて、少しだけ横にずらせば解決する。


単純な物理の問題だ。


「ハンス。向こうの茂みに、手頃な丸太が落ちていたような気がしますわ」


私は適当な嘘をついた。


「えっ? 丸太、ですか?」


「ええ。テコの原理を使えば、少しは動くかもしれません。見てきてくださらない?」


「な、なるほど! 確かにそれなら……! すぐに探して参ります!」


ハンスは一縷の望みをかけて、私が指差した茂みのほう(実際には何もない)へと走っていった。


彼の姿が完全に見えなくなるまで、私は三秒待った。


「よし」


私はドレスの裾をまくり上げ、ニーソックスとガーターベルトで留めた太ももを露わにした。

誰に見せるわけでもないが、可動域の確保は重要だ。


泥だらけの車輪のそばに立つ。

馬車のフレームの下、一番強度が強そうな部分に手を差し込む。


「ふーっ……、ふーっ……」


呼吸を整える。

腹圧を高める。

足幅は肩幅よりやや広め。

つま先は外側に向けて。


これはただの力仕事ではない。

デッドリフトとスクワットを複合させた、究極のコンパウンド種目だ。


馬車自体の重さが約五百キロ。

そこに私の荷物が数百キロ。

合計で一トン近い重量だろうか。


前世の私なら諦めていたかもしれない。

だが、今の私には魔力強化ブーストと、長年ドレスの下でいじめ抜いた筋肉がある。


「マッスル……」


私はカッと目を見開いた。


「リフトォォォッ!!」


全身の筋肉が爆発的に収縮する。

脊柱起立筋が鋼のように固まり、大腿四頭筋が岩のように隆起する。


ズズズズッ……!


泥に埋まっていた巨大な馬車が、浮いた。

軋む車体。

驚いていななく馬たち。


「ふんぬぅぅぅっ!!」


私は歯を食いしばり、一トン近い鉄と木の塊を、腰の高さまで持ち上げた。

ドレスの背中が悲鳴を上げているが、今は構っていられない。


そのまま、私は横にカニ歩き(サイドステップ)した。


一歩。

二歩。


固い地面の上まで移動する。


「せいっ!」


ドスゥンッ!!


私は馬車を、安全な地面の上に優しく(といっても地響きはしたが)下ろした。

車体は水平を取り戻し、車輪は自由に回転できる位置に収まった。


「ふぅ……」


私は額の汗を拭い、乱れたドレスを整えた。

心拍数が心地よく上がっている。

いい無酸素運動になったわ。


「お、お嬢様ー! 丸太はありませんでしたー!」


タイミングよく、ハンスが息を切らして戻ってきた。

彼は手ぶらで、申し訳なさそうに肩を落としている。


そして、元の位置に戻っている馬車を見て、目を丸くした。


「えっ……? あ、あれっ!?」


ハンスは馬車と、元の穴を交互に見た。

深々と抉れた穴から、馬車は数メートル横に移動している。


「ど、どうなさいましたの? 馬車が……直っていますけれど」


私は涼しい顔で小首をかしげた。


「えっ、いや、私が離れている間に……いったい誰が……? まさかお嬢様が?」


ハンスが疑いの眼差しを向けてくる。

当然だ。

か弱い令嬢が馬車を持ち上げるなど、常識では考えられない。

しかし、ここでバレて「筋肉ゴリラ令嬢」の噂が広まるのは避けたい。

まだ婚約破棄の傷心(という設定)が癒えていないことになっているのだから。


私はとっさに、馬たちのほうを見た。


「きっと、この子たちが頑張ったのですわ」


「は?」


「私が『お父様とお母様に会いたい』と願ったら、馬たちがそれに呼応して、奇跡的な馬力パワーを発揮してくれたのです。ね?」


私は馬の首を優しく撫でた。

馬は「ヒヒィン(逆らったら殺される)」と怯えたように鳴いた。


「そ、そんな馬鹿な……。泥に嵌まった馬車を、馬だけで横にずらすなんて……」


ハンスは混乱している。

そこで私は、もう一つの切り札を切ることにした。


「それとも、また『突風』かもしれませんわね」


「……突風」


ハンスは空を見上げた。

山の上空は、相変わらず風が強い。

しかし、馬車を持ち上げて移動させるほどの風など、竜巻でも起きない限りありえない。


だが、ハンスは自分の中で葛藤した末、深く頷いた。


「……そうですね。山の天気は変わりやすい。突風で馬車が浮くことも、あるかもしれません」


彼は考えることを放棄したようだ。

人間、理解不能な現象に直面すると、脳が防衛本能として思考停止を選ぶらしい。


「さあ、行きましょうハンス。目的地はもうすぐよ」


「は、はい……!」


こうして私たちは、物理法則を無視した「奇跡」を背に、再び馬車を走らせた。


 ◇


峠を越えると、景色は一変した。

眼下に広がるのは、荒涼とした灰色の荒野。

そしてその先に、黒い城壁に囲まれた巨大な要塞都市が見えてきた。


北の辺境伯領、その本拠地である「鉄壁のアイアン・フォート」。

魔獣の侵攻を食い止める、人類最後の防衛線。


「すごい……」


私は窓に張り付いた。

王都の華やかな城下町とは違う。

煙突からは黒煙が上がり、行き交う人々は皆、屈強な体つきをしている。

建物も質実剛健。

無駄な装飾を排し、機能美に溢れている。


まるで、街全体が巨大なジムのようだわ。


「お嬢様、到着いたしました。ここが辺境伯様の治める砦です」


馬車が巨大な鉄の門をくぐる。

門番の兵士たちは、鋭い眼光でこちらを見ていたが、公爵家の紋章を見ると敬礼をして道を開けた。


馬車広場に降り立つと、そこには独特の熱気があった。

鍛冶場の熱、兵士たちの汗、そして微かに漂う血と獣の匂い。


(いい匂い……。テストステロンの香りがする)


私がうっとりと深呼吸をしていると、突然、砦の奥から鐘の音が鳴り響いた。


カンカンカンカンッ!!


けたたましい警鐘。

それと同時に、地面が小刻みに揺れ始めた。

遠雷のような音が、地平線の彼方から近づいてくる。


「な、なんだ!? 敵襲か!?」


ハンスが馬にしがみつく。

広場にいた兵士たちの顔色が変わり、怒号が飛び交い始めた。


「総員、戦闘配置!」

「魔獣だ! スタンピード(大暴走)の兆候あり!」

「数は!?」

「数百! 大型も混ざっているぞ!」


スタンピード。

魔獣たちが群れをなし、津波のように押し寄せる災害級の現象。

到着早々、いきなりの大ピンチだ。


普通の令嬢なら、悲鳴を上げて気絶する場面だろう。

だが、私は違った。


私の瞳は、かつてないほど輝いていた。


「数百……?」


私は思わず舌なめずりをした。


数百匹の魔獣。

それはつまり、数百食分の良質なタンパク質の塊が、向こうからデリバリーされてきたということだ。


(素晴らしいわ。歓迎会ウェルカム・パーティーにしては、派手すぎるくらいね)


私は震える手で(もちろん武者震いだ)、ドレスの袖をまくり上げようとした。

ついに、私の筋肉が火を吹く時が来たのだ。


だがその時、一陣の風と共に、黒い影が私の前に躍り出た。


「下がっていろ、貴族の令嬢」


低く、よく響く声。

見上げると、そこには漆黒の鎧を纏い、身の丈ほどもある大剣を背負った巨漢が立っていた。


身長は二メートル近いだろうか。

鎧の上からでも分かる、圧倒的なバルク。

丸太のような首。

そして、兜の隙間から覗く、氷のように冷たく、鋭い瞳。


彼こそが、この北の地を統べる「氷の騎士団長」シグルド・グランツ辺境伯。


そして、私の運命の推しとなる男だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ