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五話 親睦会


 会議室には、饐えた鉄臭さとコンクリートの粉塵が混じった臭いが残っていた。

 壁には巨大な亀裂。

 天井の一部は崩落し、窓の向こうには、迦楼羅によって切断された上層階が見えている。

「ハァっ、…………クッソ」

 現場責任者の男は、血の付着した手で小型の携帯電話を握っていた。

 名義貸しのプリペイド回線。

 番号を入力すると、自動音声に繋がった。

「………頼むっ」

 多段転送回線を通じて、"本来の通話相手"に繋がる。

 

『お疲れさん、……どうした?』


 低く、ハスキーな女性の声が聞こえた。

 場違いな声音と、仕事終わりのような台詞だった。

 責任者の男は、荒い息を抑えるように唾を飲み込む。

「か、迦楼羅が来ました」

 電話の向こうで、僅かな沈黙。

『おお、そうか』

「流石に、抑えきれない……っ、応援をお願いしますッ」

『いや、必要ない』

「なぜっ! もう大半が死んだッ」

『諦めろ。アレは止められん』

「…………ふざけるな!」

『なぜ抵抗する、君らは役目を終えたのに』

「は? 役目……?」

 電話越しに、押し殺したため息が聞こえた。

『君らは、末端の可処分ノードだ。私からすれば、バッファに過ぎん』

 男は、言葉を失った。

「……ここが、潰れる前提だったとでもッッ!」

 血痰が絡む呻き声を吐きながら、歯を食いしばる。

 だが、女性の声はどこまでも軽く、休憩中の軽口のように落ち着き払っていた。

『ああいやいや、正確には違う』

「じゃぁなんだよ……っ!」

『潰れても問題がないようにしていた、当然だろ?』

 女の声は、妙に穏やかだった。

『中継ノードはいくらでもある。物資の搬入経路も、連絡網も、資金の流れも一本にはしていない』

「……ッ!」

『一つ切られたところで、全体が止まるような構造にはしていない。馬鹿じゃないからな』

 男は会議机を、悔しさ紛れに叩いた。

 握りしめた拳は、関節が赤くなるほどに力が込められている。

「ふざけんな、ふざけるなぁッ! じゃあなんだ、俺らは捨て駒かっ?!! あのデポも、あんたらにとって替えの効く表層だとでも?!」

 喉奥がささくれるほどに、怒声を響かせた。

 女の声は静かだった。

『……知ってたか? タコは自切する』

「……あぁ?! タコ?」

 男が「何の話だ」と叫んでも、女の口調は変わらなかった。

『外敵に捕まった腕を、自分から切り離すことがある。腕はしばらく動き続けるんだ』

 崩れた会議室を見回した。

『その間に本体は逃げる』

「…………——!」

『しかも、切り離した腕は再生する』

 女は、少しだけ間を置いた。

『面白いだろ?』

 まるで雑談のような声音。

『しかも腕には、ある程度の判断を担える神経系がある。頭だけが全てを動かしているわけじゃない』

「……そ、それが、何だって——」

『つまりだ』

 女の声から、温度が消えた。

 

『腕を一本失ったところで、タコは死なない』


「…………。」

『まぁ、そういうことだ』

「……俺らは、」

 唇が震えた。

 肩透かしのようにか細い息が漏れる。

『ん?』

「俺たちは、その……腕、だと」

『違う』

 即答だった。

 一拍の沈黙の後、淡々と、冷え冷えと言ってのける。


『腕ですらない。指先だ』

 

「…………。」

 ズルリと、携帯がずり落ちる。

 肩の力が自然と落下し、嫌な脱力感に襲われた。

『君たちが守っていると思っていたこのオフィスは、保険の効いた使い捨てだ』

 声がより低く響いた。

 こちらまで落ち着くような、余裕と貫禄を孕む低音。

『ここに捜査資源を集中させれば、執行庁は一つの拠点を潰したと判断する』

「…………。」

『その間に、本物の中継網は別の場所へ移せる』

「……じゃあ、俺たちは最初から、囮……。」

『簡単に言うならな』

 天井を見上げ、頬を引き攣らせる。

「見捨てるのか……、ここにいる大勢を。牽引しておいて、持ち上げて、要らないなら捨てるのか」

『見捨てる?』

 女は、少し考えるように黙った。


『君たちは、私が救うべき人間だったのか?』


「…………。」

『逃げられるなら逃げればいい。投降するなら、それも君たちの自由だ』

 鼻で笑うように、軽やかな声調に変わった。

『ただし、こちらから救出には行かない』

「……残りを、助けることだって——」

『君たちを助けるために別の中継地を危険に晒す方が、組織としては損失が大きい』

 まるで男の声が聞こえていないかのように、説明を続ける。

『私は、人情で組織を運営するつもりはない』

 そこで初めて、男の声が涙に濡れた。

「お、俺たちは……ゲホッ、人、間だ……っ、道具じゃ……。」

 息を吸うたびに胸の骨が軋み、赤い泡が唇から溢れる。

 だが電話の向こうの女は、爪の手入れでもしているかのような淡淡さだった。

『そうだな』

 否定をしなかった。

『だから、君自身の足で逃げろ。生きたいなら勝手に動くといい』

 そして、最後に一言だけ女は残した。

 場違いな一言を。

『お疲れさん、先にあがってくれ』

 通話が切れた。


「……………………。」


 通話の終了音が虚しくも非情に流れ続けていた。

 男はただ、力なく椅子に背を預ける。

 通話相手は、手を差し伸べてくれた指導者だと信じていた。

 しかし、どうやらそれは——得体の知れない"遠くの存在"だったのやもしれなかった。


 *


「建物一棟ほぼ半損。始末書に損壊報告、あと押収品の書類や。昨日の仕事よりこっちの方がしんどいわ」


 オーガナイズのオフィスに、圓のため息混じりの声が響いた。

 第一機動班と書かれた事務室は、やはり簡素極まりない。

「これはぁ……、実力行使報告か。ほな、ここに判子を」

 億劫げな色を隠す気もない彼だったが、デスクに座り判子をポンと押し、ひたすらにペンを走らせているのは別の人物だった。圓はその補助でしかない。

 その人物とは——、

「隊長、上階構造部の切断について、施設損壊報告書が必要です」

 縁琉が追加の顛末書と書類をデスクに置く。

 それを受け取りながら、書類作業員と化した隊長こと迦楼羅は、

「…………そうか」

 と、か細い声で応じた。

 顔は生気の無い青ざめた表情と、嫌悪を丸出しにしたしわくちゃの表情が入り交じった状態だった。

 市松人形のような儚い美貌はどこへやら、梅酒の中に漬けられた梅干しのような顔だ。

「な、なんて書けば」

 仮に馬鹿正直に、

「迦楼羅隊長が建物を壊しました。所有者失踪のため給与から賠償を差し引きます」

 などと縁琉の台詞通りに書けば、大問題不可避だ。

「えっ……、こまる」

「阿呆、隊長をビビらせんなや」

 保護者のように宥める圓。

 そのまま書類に指を置き、迦楼羅へ指示をだした。

「対象施設への進入に際し、上階外壁・構造部の一部を破砕。外壁経由により到達時間を短縮。破壊による二次被害が許容範囲。

 で、ええんちゃいます」

 流暢な文章が、その口から流れ出る。

 その意外な対応力に、縁琉は目を瞬かせた。

「……現場でもそうですけど、先輩って案外頼りになりますね」

「一単語余計やな」

「先輩って案外ですね」

「悪化したな」

「できた」

 二人のやり取りを、迦楼羅の声が遮る。

 達筆な字で埋められた顛末書を、両手で掲げていた。

「ご苦労さまでした。終了です」

 書類を受け取り、圓は書籍のように積み重なった書類に用紙を置いた。

 迦楼羅の表情が物語るように、書類作業の過酷さは人材不足と比例して激化しつつある。

「縁琉君覚えとき、隊長は戦闘でしか頼りにならん」

 しれっといい添える圓は、すました顔のまま書類をロッカーの引き出しに収納した。

「えっ。減給するぞ」

 律儀にツッコミを返したのか、それとも素なのか、迦楼羅は無表情のまま言い返す。

「先輩……。」

 制止するように、圓へ言う。

 ——……けど、迦楼羅さんって…………。

 憧れの存在であることに変わりはないが、現在の隊長はどうにも締まらない。

 先日の気迫は現場に置いてきたのか。

 ——親しみやすい。

 オーガナイズ入隊前から、執行庁で噂を良く耳にしていた。

 姫払 迦楼羅。

 最高戦力、国家の剣客。


 ——この人の強さに、近づけば……。


 そして、先日の迦楼羅の台詞。

 ——自信だけで突っ走るな。

 この特殊部隊で、命を削り合う現場で、自分は何が出来るのか、何が正解なのか。

「…………。」

 書類を持つ手に、力が入る。


「お疲れ様でーす」


 快活な男性の声が、オフィスに響いた。

「おう、お疲れ」

 圓が目線を向けた先、オフィスの入口を振り返ると、

「えっ、隊長いるじゃないすか、珍しい」

 ——デッカ……。

 縦にも横にも大柄な、一人の男性。

 上枠に頭をぶつけまいと頭を屈めている程である。

「あ……、初めまして。切詰縁琉準捜査員です」

 一度、彼が居眠りをしていた際に見かけたことはあったが、ほぼ初対面であるため、すかさず敬礼をした。

「新人か! キャンベル・カウリ・ヤマト上級捜査員。名前がこんななのは、ニュージーランドのハーフだからだ。よろしく」

 ツーブロックの短い金髪に、爽やかな微笑みを湛え、握手をする。

 恵まれた体格は、マオリ族の血をそのまま受け継いでいるかのようだった。

「よろしくお願いします」

 大きな掌が、縁琉の手を隠すように握った。

「良かったやん、念願の後輩や」

「そうっすね!」

 横に圓が並び、彼の背中を叩く。

 長身の圓ですら、並べると小さく写ってしまう。

「ってことは、やるんすか? 歓迎会」

「歓迎会?」

 怪訝な表情で縁琉は視線を向けた。

「あぁ、やってなかったなぁ」

 しまったと言いたげに、額に手を当てる圓。

「私はいつでも構いませんが、……皆さんお忙しいのでは」

 嬉しい気持ちは確かにあるが、縁琉は苦笑いを浮かべ、現在の四人以外空っぽなオフィスを尻目でみる。

「いつでもなら、今夜やろか。隊長、予約よろしゅう」

 あまりにも滑らかな圓の物言いに、縁琉は目を丸くした。

「ええっ?! 即決すぎでしょッ。しかも隊長が幹事を?」

「じゃあいつもの居酒屋で」

 書類資料をトントンと整えながら、迦楼羅はあっさりと答える。文句も戸惑いも一切ない。

「こういうのは早い方がええ。危険な現場で働いとる分、親睦を深めるんはめっちゃ大事やねん。ちょーど華金やし、他の隊員も無理やり呼ぶで」

 珍しく真剣な面持ちで言う圓だった。

「っしゃ、飲んだるぜ。新人は無理して飲まなくても大丈夫だからな」

 意気込むヤマトは、縁琉にやんわりと気配りをきかせる。

「お気遣い感謝します」

「NTRの竿役みたいな見た目しといて、酒の心配かいな」

 失言を述べる圓が、ヤマトにリアネイキッドチョークを仕掛けられているのを横目に、縁琉は、

 ——……なんか、印象とは全然ちがうな。

 と、かつてオーガナイズに憧れていた記憶を思い出す。

 激戦の現場、命の駆け引き、屈強な特殊部隊。

 それが今や、目の前で緩いやり取りを繰り広げていた。

「………………。」

 締め上げるヤマト、窒息死する圓、気にもとめないように書類整理を続ける迦楼羅。

 その光景に、縁琉は僅かに笑みを漏らした。

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