三話 目を閉じる
「はよ追え」
「っ、はい!!」
圓の声を後に、縁琉は直様駆け出した。
ジルの横を通り過ぎる瞬間、
「いやさせねぇよ?」
2本のマチェーテが伸びる。
しかし、縁琉の足は止まらない、何故ならば——。
「それをさせんっちゅうわけや」
ゴぃン——
重苦しい音。
伸びたジルのマチェーテを、腕ごとハンマーが叩き潰していた。
「ありがとうございます!」
遠くなる縁琉の背を見ながら、圓はハンマーを持ち直した。
ひび割れた床。
ジルの左マチェーテは刀身が半分に折れている。
「……マジぃ?」
その刃を眺めながら、彼は今一度圓を見据えた。
「そんな重苦しい武器で、そんなスピードだせんの?」
「おう、はよ来いや」
構わないように、圓はハンマーを前に掲げていた。
「クソぉあ、……めんどくせぇって……。」
顔を顰めるジルだったが、
「なぁ?」
その身体は、圓の目の前に迫っていた。
しかし、
「うぶ——」
ドッ——という衝撃音が走り、ジルの身体は横に吹き飛んだ。
貨物を何列か突き破り、飛んで行く。
圓は冷静に柄を握りしめた。
「よぅし、俺もお仕事開始やな」
*
——……何処だ、何処に逃げた……!
発砲音と金属音が鳴り響く倉庫内を、縁琉は汗と血を流しながら駆け抜けていた。
——できるだけ、戦闘には遭遇しないルートを行ったはずだ。
荒くなる呼吸が、思考を邪魔する。
一向にバッグの男性は見つからない。
「フゥッ、冷静に……、クールに」
先程の圓の言葉を思い出し、大きく息を吐いた。
——正規の出入口は人が多い、……データが多く、裏口に近い場所……。
駆けながら、周りを見渡す。
目の前に、倉庫内に併設された小型のオフィス区画が現れた。
その横にある扉から、ガチャガチャと音が反射していた。
「……!!!」
ドクンと脈が跳ねる。
震える手で、扉の施錠を開けようとしている男が二人いた。片方は肩に黒いバッグ、先程の壮年の男だ。
「お前!!」
足を速めながら、大声で叫ぶ。
男性は振り返り、焦燥の顔を湛えた。
「あっ?!! くそ、ジルのやつ!」
掠れた声を出しながら、乱暴にバッグを漁る。
「止まれ! 大人しく、投降を——」
縁琉の叫び声は、瞬時に途切れた。
目の前の光景が、彼女の言動を全て停止させた。
「お、おい……、良いのか? お前が止まった方がいいぞ」
「や、や辞めて、ください……!」
壮年の男性は、隣にいた男性の頭髪を掴み、その首元にタクティカルナイフを当てていた。
——人質……?! 何を……ッ。
涙を流し、懇願する男性をよく見れば、
「一般、社員を……ッ!」
ワイシャツにネクタイ、社員証のネックストラップ。涙と鼻水が滴る頬には殴られた後があった。
自然とネックストラップの名前に目が行く。
山崎 真汰。
縁琉は無意識に、その名前を読んでいた。
おそらく、オフィスに隠れていたのか、それとも強制的に残されていたのか。
「クソっ……!」
苛立ちと遣る瀬無さを抑えるように、奥歯を噛み締める。
「助け、助けてっ! お願いします……!」
「黙ってろ!」
思いも寄らぬ人質に、縁琉の額から冷や汗が流れ続けた。
——……なんで、なんでこんな事にっ……。
何か打開策は無いか、警棒を強く握りしめ逡巡する。
——証拠品確保を、優先……、命令は、証拠品を……!
命令は絶対、任務も絶対。
ここで男を逃がせば、今回の事件だけではない。
その背後にいる連中まで追えなくなる。
分かっている。
分かっているのに。
「死にたくない……。」
小さな声だった。
——助けて。
——死にたくない。
一人の人間が助けを求めている。
「…………っ!」
——目の前の、人命を……ッ。
卑劣に笑う男は、後ろの扉を開け放った。
外には、逃走車両が既に付けられている。
「その人を、……離せ!」
そんな言葉が、辛うじて発せられた。
「阿呆……! 俺らを逃がすか、こいつが死ぬかだ!」
——………………。
名前のある、一人の人間だ。
「クっ……。」
奥歯を噛み締める。
——どうする。
距離。
相手の位置。
人質との角度。
ナイフの位置。
頭の中で、覚えた手順を探す。
見つからない。
「そ、それを、武器を降ろせ」
「…………。」
「降ろせ!」
男性の叫び声。
カランという金属音。
縁琉は武器を手放した。
僅かに笑みを浮かべる、目の前の男。
後ろの軽自動車から顔を出した、運転手が叫ぶ。
「ジジイ! さっさとしろ! ソイツは乗んねぇよ!」
後退りをする男を、縁琉は追えなかった。
「何しとんねん、縁琉!!」
「……!」
背後から、圓の声が響いた。
振り返ると、ジルと戦闘しながらこちらに叫んでいた。
「証拠物品優先や! はよ捕まえろ!!」
「しかし、人質が!」
反論するように声を発するが、圓の言葉は止まらない。
「分かっとる!」
圓の声が初めて荒れた。
「見捨てろなんて言わすな! せやけど、証拠とソイツの確保が優先や! 目の前の一人に囚われんな!」
「あぁ、くそ……!」
人命か、指示か。
任務遂行のために、目の前の命を踏みつけるのか。
後ろでは圓がジルの相手に手こずっている。
縁琉が動くしかない。
「…………ッッ」
人命。
任務。
足が震える。
手汗が手袋を濡らした。
動けなかった。
——私は、何を選べば……ッ。
初めてだった。
命令を聞くだけでは、答えが出ない。
「分かりゃいんだよ……。」
壮年の男性は、車両に乗り込みながら吐き捨てた。
タイヤが急回転すると同時に、人質が乱暴に投げ捨てられる。
無線から、「逃走車両発見」という声が響いた。
追えない。実動員は倉庫内に殆ど割いている。
取り逃した。
——……………………。
「……山崎さん。お怪我は、ありませんか」
一般社員の男性に駆け寄り、力無く声をかける。
「ありがとう、ありがとうございます……!」
男性は縁琉の袖を掴み、涙を流していた。
助けられた。
しかし、
——……取り逃した……、私の、せいで。
私は、正しいことをしたのだろうか。
一人を助けた。
なのに、何も出来なかったような気がした。
現場は静寂を取り戻しつつあった。
人質を捜査員に保護してもらい、縁琉は武器を腰に戻す。
開け放たれた扉を、呆然と眺めていた。
「……逃げられたんやな、縁琉」
「…………申し訳ありません。私の、判断ミスです」
横に立っている圓の声。
「ええて、責めんな」
相変わらずぶっきらぼうな言い方だが、その声音にはやんわりとした色が滲んでいる。
「人命を助けたんやろ、お前のお陰で一般人が死なんかった。それは事実」
「ですが……。」
「…………、あー」
億劫そうに、頭を掻きむしる。
「……こればっかりは、個人の正義によるんよなぁ」
曖昧な台詞を、低く漏らした。
「……個人の、正義…………?」
その言葉が引っかかる。
彼を見上げ、縁琉はその単語を繰り返した。
「まあええ。暗い話は、もうちょい後でな。帰ろ帰ろ、人助けしたんや」
「…………はい」
彼の飄々とした声色でも、縁琉の心には檻が溜まったままだ。
「歩けるか? 怪我は?」
「問題ありません。先輩こそ、大丈夫ですか」
圓は手をヒラヒラと振り、そのまま歩き出す。
「あんなカスに遅れを取る俺やない。無傷でのしといたわ」
カツカツと靴を鳴らし、歩き続ける圓。
縁琉はその背を見ながら、ただついて行くしか出来なかった。
*
翌日の検証会議。
「………………——————……。」
会議席に座る切詰縁琉は、呆然と、拳を血が出る程に握りしめていた。
——……なんで………………。
目の前に突きつけられたのは、容赦のない報せ。
昨日逃走した車両が、一般道路に侵入。
追跡車両を振り切る過程で、危険運転。
通行人を跳ねた。
死傷者5名。
「………………っ、……っ」
息ができない心地だった。
血の気が引く。
涙が滲む。
人命を、目の前の人命を助けた。
そのはずだった。
「結果としては、証拠品であるUSBおよび書類確保ならず。摘発出来た連携集積所はたったの2件。デポの管理者は逃走、5名を轢き殺した……。」
「大失態、ではありませんかね」
淡々と、怒鳴ることも、声を荒らげることもなく、席に座っている特別実行部第一支援捜査班の面々が述べていた。
仏頂面のまま、堅いスーツを着こなし、ふんぞり返っている。
「切詰捜査員」
「……っ、はい……ッ」
声を詰まらせながらも、返事をした。
喉奥に、熱い鉄球がせり上ってくるような感覚に、嗚咽を禁じ得ない。
「貴方が、重要人を追っていたと聞きましたが」
「…………、状況が、不利となる事態に発展致しました……。対象は一般人を人質に、逃走幇助の提案を——」
「証拠品確保が最優先、と指示を出しましたが」
「…………ッ」
肩を僅かに跳ねさせ、言葉を詰まらせる。
しかし、引き攣った表情で直様口添えをした。
「人命の保護が、執行庁の本来の目的のはずです……!」
「5人死にましたが? あまつさえ捜査の難航により、さらに多くの被害者が出る可能性を後押ししてしまっている」
「………………!」
その台詞に、歯を食いしばる。
隣の白髪混じりの捜査員が、資料を乱暴に置いた。
「全ての人命ではありません。より多くの、先を見越しての人命保護です。これだから、新人は——」
「失礼、そこまででええでしょ」
圓の珍しくハキハキとした声が、彼の言葉を遮った。
立ち上がり、縁琉の肩に手を置く。
「機動班の指導は私の役目、後で言っときます」
——…………先輩……。
圓を睨み、捜査員らは鼻を鳴らした。
「その指導が行き届いていない。今日の会議も、あなたがた3人しかいません」
溢れるダメ出しに、圓は一切反応する事なく、隣の眼鏡をかけたマンバンの男に声をかけた。
「まあまあ。取り逃しを、そのまま放置する我々ではありません」
「なに……?」
マンバンが資料を捲り、前に示した。
その無表情は終始動かず、無言のままだ。
「車両を追跡しました。逃走先の拠点、内部情報を調べると、本の少しですが"上層組織"の影が見えましたわ」
——……上層組織?!
縁琉は思わず腰を浮かせる。
「デカイ獲物が釣れましたわ。我々の、次なる目標になるのではないかと」
*
会議終わり、食堂のテーブルにて圓と縁琉は空になった皿を眺めていた。
食欲が湧かなかったが、無理やり流し込んだカレーが、胃の中でぐるぐると暴れているかのように感じた。
見れば圓はスマホを触っている。
激しく変わる音楽や音声、ショート動画でも見ているだろう。
「…………申し訳、ありません……先輩」
ぽつりと、縁琉はこぼした。
「もうええて。謝罪多いねん」
スマホから目を離さず、短く述べる。
「……私が、あの時追っていれば」
その台詞に、圓は大きな溜息を吐きながらスマホを置いた。
億劫でも、気怠げでもない、神妙な溜息だった。
「……そうやな」
肯定、なのだろうか。
「でも、人質を見捨てることなんて……」
「そうやな」
またも、低い声を吐く。
「じゃあ、私はどうすればよかったんですか」
「…………。」
圓は答えなかった。
しばらくして、スプーンを理由も無く手に取る。
「あん時の続きやけど、……こればっかりは、個人の正義と良心に従うしかない、なぁ……。」
縁琉は顔を上げた。
「正解は……ないんですか」
「知らん」
圓はスプーンを弄びながら、淡々と言った。
「目の前の命に、一瞬だけ目を閉じるか」
「…………。」
「閉じないか」
圓が尻目で縁琉を見る。
「目は開け続けると、そのうち見えんくなる」
「……どういう意味ですか」
「全部見ようとすんな、っちゅうことや」
「…………。」
「人間一人で、全部は救えへん」
そう言って、圓は立ち上がった。
持ち上げられた食器は、カチャリと音を立てる。
「せやから、自分が何を見るかぐらい、自分で決めぇ」
縁琉はその背中を見送った。
初めて、自分の判断が正しかったのか分からなかった。
彼の、最初の言葉が反芻される。
——ここでは命令を聞くだけじゃなく、何を見て何を判断したかも問われる——
何を見るか、自分で決めろ。
自分の正義に従え。
——私の、正義って…………。
答えは出るのか。
出せる自信がない。
このまま、問い続けるのか。




