和魂荒魂
「アイスが溶けちゃってえ…台無しにするのは犯罪!人妻のお色気にくらくらするのは重罪!!相生裕太ァてめえはあ…死刑だお!!!」
「また偽物か!?」
一瞬そう思ったが。目の前も目の前にいるのは…正真正銘円乗羽女だ。
それが証拠に、いつもの親衛隊の巫女達もいる。ホクロもない。
「相生裕太、あんたは犯罪者、取り締まるべきよ!そおして..」
「そして?」
「こんなものはこうだ」
僕の手からハンカチを奪い取ると、ベンチ横のゴミ箱に叩き棄てた。
「アイス美味しそう」
今度はソフトに釘付けだ。
酒臭い!ろれつ回ってねえ!
あんた未成年だろ。
「この有り様は一体?」
僕は彼女の取り巻きに尋ねた。
「あんた達は、円乗さんより年上の人もいるんだろ!?いくら偉いからって…彼女は未成年なんだぞ!」
「それが…」
高砂祭を半月後に控え、神社の長たる円乗羽女。地元の各自治体や、商工会議場巡りに日参していた。
その日も、町内の有力者や青年団の団長を交え、打ち合わせに訪れた。
一通り打ち合わせが済むと、神社からお神酒の入った樽が振る舞われ。
「今年も宜しくお願いします!」
「力を合わせて、良い祭りにしましょうぞ!」
場は終始和やかな雰囲気で進んだ。
「私は、円乗様とお神酒を酌み交わす日が待ち遠しいです」
「私は飲めませんが…お酌くらいなら出来ますよ、」
「いや、そんな滅相もない!?」
「罰が当たりますよ!」
冗談で「円乗様も一口」等と勧められても。彼女も慣れたもので「次がありますので」場の空気に水を注さぬように、柔らかな笑顔を浮かべ。
暇を告げた。
「ああ、そう言えば円乗様、先日鈴掛の大通りで騒ぎがあったとか?」
「おう!聞いた聞いた!店の窓硝子が割られたって騒ぎだろ?俺、実はその場に偶然居たんだよ」
その話題に触れた時。
彼女の表情が一変した。
御付きの巫女達は、彼女が賊を取り逃がした事に対し、非常に不快感を持っている事を知っていた。
なので気が気ではなかった。
「女だってな?」
「女だ!」
「俺は、偶然その場にいたんだ。なんというか、鬼神のような走りでな…あれは捕まえられねえ。触れる事も憚られる!」
「どんな風体なんだ?」
「風体か…あれは…何というか、たまらんな!」
「たまらんとは、つまり」
「いい女だった」
「これ!円乗様の前で、控えよ!」
「構わぬ、続けよ」
「円乗様」
「顔は長い髪に隠れ一瞬でしたが、表情が思いを秘めてというか、憂いというか…勿論!円乗様には到底及びませんがね!」
「世辞はいらぬ」
「しかし、あのプロポーションは、ヤバかったなあ!何か変てこな服着てけど…まあ俺はカミさん命だけどね。もし独身だったらと思うと…」
酒に酔って滑らかなめらか。
調子のいい軽口が止まらない。
「あんな女に出会って…もし嫁がいなかったら、どんな男もイチコロだろうて!」
かたり。
空の湯飲みを置く音がした。
「円乗様?」
湯飲みの酒は空になり。
彼女は皆を見て言った。
「神の巫女たる私が、御神酒を口にしてはならぬのか?」
「そ、そうですよね」
「さすが円乗様いける口で!」
「ならば、いつまで私の杯を枯らすつもりだ?」
「注げ」
「え…円乗様!残念ですが…次の予定が、時間が推してございます」
「なんと興醒めであるな」
巫女達に背中を押された彼女は、
煌めくような笑顔を皆に向けた。
「良い祭りにしようぞ!皆の衆!どうした!?楽しくはないか?楽しければ腹から笑わんか!皆の衆!」
高笑いの後に投げキスとか。
したとかしないとか。
「皆の衆ったら!皆の衆!」
「そっからは、もう手がつけられなく…なっておしまいになって」
「酔い醒ましに公園に来たわけか」
「確かに我らは賊を取り逃がした。しかし、円乗様は許して下さった」
「どこで逆鱗に触れられたのか」
巫女達は項垂れるばかりだ。その間も円乗さんは「アイス!アイス!」と目の前で手足をバタバタさせている。
「わらしなんかさ~神様のお仕事毎日頑張ってもさ~『俗世間の穢れた食べ物は駄目』だってえ!?甘い物とか私だって食べたいのよ~」
草履の先で足元をほじくり始めた。
「アイスでも…酔醒しにどう?」
「いいの!?」
瞬間移動も出来るか!?
だから顔が近いって。
「いいの?いいの?アイス食べちゃっていいの私?」
「アイスくらい」
僕はそう言いかけて。
ふいに目頭が熱くなる。
「アイスくらい…好きに食べたっていいじゃないか!」
「円乗様…それでは他の者にしめしが…」
「あによう」
不機嫌そうに頬を膨らませる。
「そうだ皆の者!今日は暑い中、大変ご苦労であった!解散じゃ散華じゃ散れ散れ散るがよい!」
散華は神道じゃなくて仏教。
「ま、まだお勤めが」
「ならば暫し休息を取るがよい」
「皆の労を労うぞ!」
財布から札束。
「お金ならあるわよ~アイスでも何でも!好きな物を買うて参れ~」
うわ…こいつ酒癖悪!!
「アイス…よ、よろしいのでございますか!?」
あれ…
「私はクレープ1択!」
「納豆カフェゼリークリーム!一度食べて見たかったの!」
「うむうむよきに計らえ」
祭主でも巫女でもなく。
お姫様だろそれ。
神職にあるとはいえ。
皆年頃の女の子たち。
巫女たちは、円乗さんに渡されたお札を手に手に。それは嬉しそうに、出店のある方へ駆け出した。
「さあ!円乗さんも、溶けないうちに食べてしまいな!」
「私は、いい」
あれ?この人もしかして酔いとか、本当はもう醒めてたりするのか。
「私だって、泣きたい時とか、辛い時とか、お酒を飲んで忘れちゃえ!…なんて思ったりするのだ」
「しんどい時は甘い物は結構効く」
「そうなのか?でも、いい!」
「なんで」
「だって、それは相生君が食べたくて買ったものだから。さっきも小さい子にあげようとしてたし、人妻にくらくらしておったし」
「食べたかったけど、なんか腹の調子悪いみたいだから。円乗さんが食べてくれないと…捨てなきゃいけないよ!」
「アイスを捨てるのは重罪だ」
「牛にも面目ない!」
「だな」
夏の陽射し。コンクリートの照り返し。逃げ水。手にしたソフトクリームも溶けて滴る。
他の巫女たちとは違う、神官の衣装を着た彼女は、片膝を着いて屈む。
髪を人差し指で掻き上げる指。
口元から覗く薄桃色の舌先。
「一口だけね」
「一口だけ」
ゆっくりと、今にも地面に落ちてしまいそうな、ソフトクリームの渦巻きの先端を舐めた。
「円乗さん、自分の手で持ってよ」
「両手を…地面についてしまったから、そのまま持っていて」
彼女は舌の上にのせたアイスを飲み込んだ。途端に目が真ん丸になる。
赤ん坊をあやすように広げた両掌。やがて輝くような笑顔に変わる。
足が喜ぶ犬のしっぽみたい。
ぱたぱた動いている。
ばたばたぱた。
「相生君、美味しい!これ美味しい!すごく美味しいよ!」
日頃は決められた神社の食事以外、一切口にしないという彼女。
僕を見上げる彼女の頬。残ったお酒のせいか幾分紅潮して。睫毛の先にうっすらと涙さえ浮かべていた。
「全然食べていいんだよ」
「一口でいいの…でも止まらない…相生君…美味しいの..やだ..お口が止まらないの…」
その艶やかな黒髪に触れてみたい。
柔らかな頬に掌をあて。
睫毛の先についた雫。
そっと指で拭いさるだけでもいい。
そんな小さな勇気。
僕にあればと思う。
そしたら今いる僕の世界。
少しは変わるのだろうか。
たとえ変わらなくても。
祭が終わる頃には、僕は彼女のいるこの世界から、消えているかも知れない。空を見て思う。
消えるなら今がいいな。
いっそ、それなら今此処で。彼女が舐めたソフトクリームみたいに。
彼女の熱で溶けて。
消えてしまいたい。
「こんな格好ですごくはしたない」
「誰も見てない」
大丈夫。
出店のおじさんじゃないけどさ。
「お口の周りがアイスでべとべと…恥ずかしい…」
大丈夫。
「んく」
目を閉じて喉を鳴らす彼女。どこまでが現実で、或いは全て僕の妄想なのか。暑さのせいで頭が茫っとしている。微熱があった。
座っている、ベンチの木に体が触れている部分が汗ばんでいるのが、自分でも分かる。すぐ小さくなるコ-ンの欠片。
僕の指先から、彼女の唇の中に消えて無くなる。成熟していない。唐黍の実のような、整った小さな白い歯と、白く染まった彼女の舌が。
ちらりと覗いて見えた。
ほんの一瞬だけ。僕の指先は彼女の柔らかな唇の感触にくるまれた。
彼女は残ったコ-ンを満足そうに、
口の中で噛み砕いた。
「こんなに沢山のアイス食べたのは初めてだ…私の舌は白くはないか?」
小さな舌をペロリと見せた。
彼女の舌は白くなかった。
大丈夫だよ。円乗さん。
彼女は暫し俯いて、僕の太股に手を置いた。彼女の重さ。膏薬を塗った湿布のように。じわりと広がる。
「なあ、相生裕太氏。私は今たいそうに酔っているみたいだ」
「うん」
「酔っている私だから、酔っぱらいの戯言だと思って、聞いて欲しいのだ」
「分かった」
「私は先日店で君に会った。その時、普段とても着ないような格好をしていたはずだ」
今でも鮮烈に胸に焼きついている。
「思い出さなくていいから!」
バストアップまでの写真しか。
撮らせてもらえなかったけど。
「御役目だから、別に誰に見られようと構わない。全然平気だと思っていた、だけど違ってた」
彼女は顔を上げて。
僕の目を見て言った。
「なのに私の足は、情けなく震えていたんだ。君の前に立つまでは、全然まったく…平気であったのに!」
「それは、僕か円乗さんの知り合いで、クラスメ-トだから?」
「意地悪者」
彼女は道端の蟻の行列に呟く。
「来月から家賃を上げてやろうか」
大丈夫、大丈夫だよ。
僕なんてずっと。
心が震えたままだ。
あの時が初めてじゃない。初めて会った時、言葉を交わした時からずっと。今も君に心は震えっぱなしだ。
「私は、その、あの、あの女よりも相生裕太氏として率直に見て…」
ごにょごにょ喋るので。
最後まで聞き取れない。
「よく分かんないけど」
「大丈夫!」
「大丈夫なら、良かった。うむ。良かった」
円乗さんはその後、良かった良かったを延々繰り返している。
「出来ればだけど、名前で読んでくれると嬉しいな..その、クラスメートでもあるわけだから..」
「氏」
その呼び方虫けらみたいだけど。
「そうだ!」
右手の握り拳で左手の掌を叩く。
「大切な事を忘れていたぞ、相生裕太!」
いつの間にかのいきなり呼び捨て。気づかないふり。正直嬉しい。
けど、やっぱり、当然というか。
君の名前を呼び捨てに出来ない。
「何?円乗さん」
「うむ。あの場ではこうしなくてはならんと聞いた」
あの場とはメイド喫茶?
彼女は僕の顔をしばらく見つめて。
「私は御主人様が大好きです」
「はぐ!」
彼女の体の重さと…柔らかい二の腕と…む胸の感触が…いっペんに。
体にダイレクトに伝わる。
「はぐう」
はぐは!大丈夫じゃ…ねえ。嬉しいけど。間違ってるぞ、その知識。
「ベベベべ別にお仕事でやり残した事をば今しただけなんだからね!」
店のオプションにはないはず。
それ属性に地味に効く。
いや寧ろ追い討ちだ。
撃って倒れた相手の頭を撃つ。
それ日本のゲームでは禁止。
「ど、どうした相生君!?急に前屈みになって、やはりお腹が悪いのか!?胃か?膵臓か?それとも腎臓?どれどれ見てやろう!?」
「み見ないでえ」
「どうした?あん?女みたいな声を出して?」
彼女が身を乗り出したせいで。
僕の太股に置いた手が滑る。
彼女がそれを凝視して。
「嘘」
「ごめん」
嘘はついていない。
己自身の正直さ愚直さゆえ。
僕は詫びた。
「ごめん」
「と」
「と?」
「殿方の信じ難き!」
彼女は両手で顔を覆い。
やがて後ろに後ずさる。
「ままま益荒男振り凄まじき」
「め滅相も御座いません」
僕は夏祭りを待たず。この世界から消え失せるかも知れない。何故なら。
「怨」
「卑賤の輩が」
「神敵」
「我らが目の届かぬを良いことに!酔った羽女様を犬のように地べたに膝まづかせ!こともあろうに…ま摩羅をば握らせしめようとは!」
言ってる事は何一つ間違っていないが、誤解だ。諸君これは誤解なのだ。
言い訳する間も与えてもらえず。
茂みから現れた巫女たちに囲まれ。
祓い棒で餅のようにしばかれた。
「六根清浄!」
いた!
「六根清浄!」
いたいって!
「祓い賜え!」
「清め賜え!」
「いててて!」
「こら!お前達止さぬか…」
そう言って制止に入ろうとした彼女は…体を九の字にして。お腹を抑えている。
「相生君が…ぼこぼこに…いやすまない…あはははははははははは」
僕の殴られっぷりが面白くて。
円乗さんのツボに入ったようだ。
日頃表情をあまり変えない彼女が、今はお腹を抱えて笑っている。
「この位で勘弁してやろう」
「羽女様の御学友に免じて」
「さっさと立ち去れ!」
「頼む…もっとだ!もっともっとやってくれ!お願いします…」
「何を!?くむ!ここの、この変態が!!」
僕は携帯端末を出して言った。
「出来れば写真も」
棒で殴られるのは構わない…でも角は止めてくれ。本当に死ぬから。
最終的には、円乗さんが巫女たちを止めてくれて、その場は収まった。
でなければ本当に死んでた。
「円乗さんは、本当に愛されて、崇拝されてるんだなあ」
因みに円乗さんに就いている精鋭っぽい巫女さん達。通称ネギと言うらしい。
どんな漢字で書くのだろう。「ネギ部隊ですね」と軽口をきいたらまた睨まれた。
自宅のベッドに寝転がりながら。フォトを眺める。痣やコブが出来て、あちこち痛む。不思議と気分は悪くない。
ネギの1人が「冥土の土産」と押したシャッター。祓い棒で組伏された僕の写真。
本当はその先にいる円乗さん。
彼女の写真が欲しかったんだ。
円乗さんの姿は写っていなくて。残念だ。でも彼女は確かにそこにいて。確かにそこにいくれて。
弾けるような笑顔。
僕に見せてくれた。
それは忘れられない。
ずっと忘れることのない。
この夏の僕の思い出だ。




