夏の思い出
夏の思い出くらい僕にだってある。
炎天下の街。僕が、嫁を求めて歩き回っていた頃。夏の暑さとは別に、街は熱気に包まれていた。
誰もが心待ちにする高砂祭の開催、
一月後に控えていたからだ。
街は早くもお祭りムード一色。
一方の僕はといえば、既に飛ぶ力も失せた、地面を這いまわる蝉。
死にかけた蝉の歩みだ。
蝉の死骸も夏の風物詩。
でも蝉とて子孫は遺す。
夏。
茹だりながら歩道を歩く。
滂沱たる汗が額を伝う。
そんな僕の横を、ジョギングウェア姿の男女が颯爽と追い越して行く。
見渡すと、そこかしこにそんな風体の二人連れを見かける。
けれど和やかな雰囲気はない。
いつものいちゃいちゃもない。
その表情はロ-ドワ-クをこなす、プロボクサーのように真剣だった。
公園では組手や打撃練習の声が響き。無心にサンドバッグを蹴り。
ミット打ちする男女の姿。
そんな男女ペアが多く見受けられる。祭りの日が近いのだ。
「あの人達は【夫婦無双】に出場する人達なんだな」
祭に縁のない僕でも分かる。
夫婦無双は世間の俗称であり。
正式な名称は違っていた
白鷺武踏会
元々は、祭りの日に神社の境内で、優雅な能や狂言・社交ダンスに加え。武道の演武を披露した。
それが発祥と言われている。
高砂神社が奨励する武道。それは多岐に及び。学校の体育の授業や、部活動に取り入れられ。この地域に根差している。
そこかしこに看板を掲げた、神社公認道場を目にする。そこから発展した、夫婦無双こと白鷺武踏会。
文字通り三國一の最強夫婦を決める
。高砂祭の一大イベントだ。
ただ強いだけではなく、精神や知性に加え、社会的に優れた文武両道と認められた夫婦が、優先的に参加を認められる。
勿論希望すれば、当日の飛び入りも参加も可能。しかし、街中のドクターが、会場である神社の境内にかき集められる。文字通りセメント勝負であるため。おいそれと素人が参加出来るものではないと聞く。
主催者ではある高砂神社から、見事優勝した夫婦には、それは破格の豪華商品が与えられるらしい。
世界一周旅行だとか、お城のような豪邸だとか、一生生活に困らない金銭だとか。あるいは、それら望むもの全てであるとか。
噂を数え挙げたらきりがない。
人々が、その報酬の噂に信憑性を見い出すのは…やはり後ろ楯にある、円乗グループ。その存在の巨大さだろう。
なんと厳つい円乗さんの実家。
神社にも祭りにも縁がない。
そんな僕でも白鷺武踏会について、多少なりとも語れる知識がある。
それに理由がある。
実は昨年の白鷺武踏会の優勝夫婦。僕の住むマンションの住人だった。
それまで面識など一度もなく。其処俐で大変な話題になってはいたが。
あれは昨年の夏。
部屋のインターホンが鳴った。
「僕に客なんて」
怪訝に思いながら応対に出た。
「205の時田です」
品の良さそうな中年夫婦。
聞けば、白鷺武踏会に優勝した御祝いにと、紅白餅を近所に配り歩いているのだそうだ。
話をしたのは5分ほどだった。
聞けば旦那様は地方公務員。奥様は、セミプロの声楽家らしい。
休日だというのに、ワイシャツにネクタイ姿。事務用の腕宛まで着けた旦那。少々奇妙にも見えた。
地方公務員て休日でもこの格好?
とても夫婦無双旦那には見えない。
見るからに生真面目そうな優男。
「あなたほら見なさい!」
婦人は旦那を窘めるように言った。
「うちの人のこの格好ったら!」
「そうかな…一番落ち着くんだけどな」
「もう、仕事する必要がないのに『未整理の仕事が残っているから』と在宅勤務にしてもらったんですよ。おまけに家でもこんな格好で、Tシャツに短パンで構わないのに…」
「本当におかしな人!」
そう言いながら、旦那を見る奥さんの眼差し。優しさに溢れていた。それを今でも覚えている。
「優勝出来たのは妻のおかげです!」
この旦那さんもいい人みたいだ。
「全試合不戦勝での優勝です」
「今までの大会初らしいですわ!」
「全試合不戦勝って…そんな事ってあるんですか!?」
「私のヘタクソなオペラを聞いて、出場者全員戦意喪失で、不戦勝です」
白鷺武踏会…がちの舞闘会のはず、
僕にはまったく見えて来ない。
まあ観たことないから当然だけど。
一体どんな大会なんだ!?
「妻の名誉のために、言わせて頂きますと、彼女はヘタクソなんかじゃありません!」
「彼女の歌声はとても美しく…三国一!そう、特別なものです!」
まあこの場合の惚気は許せる範囲。
なんと言っても優勝したのだから。
聞けば大会優勝の報奨に関して。
まだ希望を出していないらしい。
「私の望みと言われましても…いつも妻の歌声を聞けさえすれば…」
「あなた」
「出来れば、末永く妻の歌う姿を眺めていたい…それだけなんです」
「しばらくは神社の好意で、リゾート島に滞在する事になりそうです」
「妻には、沢山の素晴らしいオペラが上演される舞台を見せてあげたいものです。いや、見るだけじゃなくいつかはその舞台に!大勢の人に!彼女の歌声を聞いて欲しいです!」
「それが私の夢なのです」
「この人ったら、いつも自分の事はそっちのけで…」
「私は、以前は彼女の歌声を独り占めしたいと思っていました。けれど、あの殺伐とした闘いの場で、皆が彼女の歌に心を奪われ…涙する姿を見て…気持ちか変わりました!」
「円乗グループが用意してくれるリゾート島なら、さぞや素敵でしょうね」
僕でさえその風景を想像する。
なんかもううっとりしちゃう。
「そこで、思う存分、奥さんの歌声に浸れますね!」
「まったく!夢のような話です!」
「他に望むものなどありません!」
見事に優勝を果たし。三國一の夫婦の称号を得た時田夫妻だったが。
大会終了直後に事件が起きた。
その話も夫妻から聞いた。
大会の会場に黒衣の女が現れた。
「あれは喪服でした」
「彼女は、たった1人で…大会の出場者全員をなぎ倒したんです」
武闘会に集まった猛者たち。
女性がたった一人で倒した。
俄には信じ難い話だった。
「それだけでなく、異変に駆けつけた警護の手練全員も、一瞬で倒されました」
あのマンションに現れた円乗さんの護衛の人たちも。それも1人や2人ではないはずだ。
その人優勝じゃん!?
なんで大会にエントリーしない。
ペアじゃないから?
独身は僕だけのはずだが。
道場破りみたいなものか。
優勝の榊を手にした時田夫妻。
その女はつかつかと歩み寄り。
呟いた。
「逃げろ」
「彼女はまるで、人間の箍が外れてしまったような、鬼神のような強さでした、あれは…鬼です!」
「とても悲しそうな瞳でした…仮面に隠れて…表情こそ、伺う事は出来ませんでしたが」
黒衣の女は、時田夫妻から優勝者に与えられる榊を奪い取り。
審議員長席にいる祭主。
円乗羽女に突きつけた。
「円乗さんは…挑戦を受けたのですか?」
夫婦は僕の質問に揃って頷いた。
受けたのか円乗さん!?
「突然の狼藉者に、神聖な武踏会を汚されたのですから、当然です!」
結果はあっけない幕ぎれ。
円乗羽女の圧勝で終わり。
境内は歓喜と熱狂に沸いた。
「あれを、祭りの余興だと言う人もいます。けれどあの黒衣の女は…」
「けして、仕込みや余興の道化ではなかったと思います」
殺意に満ちていた。
それを円乗さんは一蹴したのか。
やはり彼女は神嫁なのだろうか。
そんな話を聞くとまた遠く感じた。
昨年の祭でそんな事件があったとは。僕は全然知らなかった。
結局謎の女は群衆に紛れ逃走した。今も正体も行方も不明だという。
それから暫く他愛ない世間話。
話が僕の嫁の有無に及んだ時には、いつもの気まずい沈黙を覚悟した。
けれど時田婦人は明るい笑顔で言った。
「でも相生君は、こんなに素敵な男の子ですから!きっと、すぐにいいお嫁さんが来ますよ!」
そう言って励ましてくれた。
御夫婦揃っての温かい言葉。
「私たちにも、いつか貴方みたいな、優しい男の子が欲しいわ!」
「そうだね」
それから週末になると、神社のロゴが印字された大型トラックを見た。
円乗グループ系列の引っ越し業者。マンションの駐車場入り口に停められていた。駐輪場から見えた。
その日に夫妻が引っ越して行った。
これもまた夏の忘れ得ぬ思い出だ。




