エピローグ
その日。地蔵堂の宮司は、人形師円乗音次郎氏の訪問を受けた。
「年を召されても鷹は鷹」
それが久々に再会を果たした。
円乗氏に対する感慨だった。
炯炯とした眼光に木炭のような寡黙さ。冬でも仕事着にしている、白紬織りの作務衣に雪駄。
求道者然とした風貌に、彼を取っつきにくい「変こつ者」と揶揄する者もいる。
しかし、宮司はいつも円乗氏の訪問を心待ちにしていた。
彼と話す時間は楽しい。
円乗氏は、宮司を不快にさせた事など一度もない。人形や、亡き友の話をする時の彼は魅力的であり。
人形の用向き以外で、彼がここを訪れる事はないからだ。
「肺を患われたそうで…もうよろしいのですか?」
「この年での肺炎は、命取りになりますな」
「『夜なべ仕事も程々にして下さい』と息子夫婦にたしなめられました」
挨拶もそこそこに、宮司と円乗氏は二人連れ立ち、地下一階への階段を降りた。
円乗氏の「ぜひ確かめたい」という要請に促されての事だった。
「先日、製作をお願いした花嫁人形は、御遺族様から感謝の御言葉を頂きました」
「こちらにも、身に余る感謝の御手紙を頂戴しましたよ」
死者とその遺族、そして、人形師である円乗氏を取り持つ縁というものについて。神主は思う。
死者と人形の縁組み。
通常、幸せな生活を送る人々には、奇妙にも映るであろうこの縁結び。
しかし、一つ縁組みが成功する度。宮司はこの職に就くことが出来た。感謝の気持ちを神前に捧げた。
円乗氏は、死者に手向ける花嫁人形の専門家では、本来はない。
それは今から30年以上前の話だ。
海に墜落して命を落とした。
飛行機乗りの青年がいた。
彼の御両親の意向により。
故人の親友であった円乗氏。
彼の手による最初の人形。
壱師が遺影と共に飾られた。
円乗氏の好意で、羽女という人形が寄贈された事もある。
数多の人形の中でも別格。
群を抜く美しさと繊細さ。
気品を兼ね備えていた。
それは傑作と呼ぶに相応しい。
彼の人形を見た遺族の多くから「是非円乗先生に花嫁人形を!」そう依頼する声も多くあった。
円乗氏は元来寡作な作家。
作品の数は驚く程少ない。
「自分の作品は、多くあれば調和を乱す」
そんな彼にしか分からない理由で、依頼は丁寧に断られた。
その円乗氏が、今回は遺族の依頼に応え、人形を製作した。それに宮司は驚いた。
以前仕事で、この神社を取材した故人の父親が、円乗氏の人形を見て深い感銘を受けた事が、起因するという話は後に聞いた。
故人の父親は当時雑誌記者であり、円乗氏に取材した事もあったそうだ。何某かの親交もあったのだろう。
高校生だった息子さんが、不幸な事故で亡くなられた後で、御夫婦で何度かこの地を訪れた事もあるという。
夫婦連名の手紙に心を動かされた、円乗氏が花嫁人形瞿麦を製作した。
若者の死には、何時如何なる時も、胸が詰まる思いがして。けして慣れる事はない。
しかし晩年を迎えた円乗氏の瞿麦。
あれを目の当たりに出来た事。
僥倖であったと宮司は思う。
扉を開け遺影の間に入る。
円乗氏は、神棚に飾られた羽女をちらりと一瞥しただけで、辺りを見回す仕草を繰り返す。
神棚の人形羽女は、他の人形とは異なる。白の唐衣と行灯袴を履いている。以前、円乗氏に羽女の衣装について質問をした。
「あれが神官服に見えますか?」
「日本で最古の花嫁衣装なんです」
そんな答えが返って来た。
羽女は遺影と花嫁を見守る。
この場所の女神的存在であり。
以前は壱師を置いた事もあった。
「やつは…大人しい男だったが、それは悪そうな女が好みでね!」
円乗氏は御両親と泣き笑いしながら。壱師を友の遺影に置いた。
今思えば懐かしい記憶。
此処で宮司の仕事をしていると。不思議な事に出会す事も少なくない。
大きな地震に見舞われ。人形や、遺影の多くが倒れた事もあったが。
羽女だけは倒れなかった…とか。
「瞿麦はどちらに?」
「そちらを真っ直ぐに」
歩きだした円乗氏の足。
はたと途中で止まる。
氏の親友の遺影と、壱師人形のある場所だった。
「そうなんですよ。以前は黒髪だったのに、ある日急に…髪の色が落ちてしまいまして」
円乗氏は顎髭をさすりながら。
壱師の人形を暫く見つめ呟いた。
「悲しい事があったか」
道の辺の 壱師の花の いちしろく
人皆知りぬ 我が恋妻は
「私も友も好きな歌だった」
暫く会話でもするかのように。壱師を見つめていた。円乗氏は再び、瞿麦が飾られた場所に向かう。
あるべき場所に。
瞿麦はなかった。
「なるほど」
「電話でご説明した通りです」
「瞿麦は消えてしまいました」
宮司は生真面目に話した。瞿麦をここに置いた時の状況。式を済ませ、扉を閉めるまで中にいたのは、遺族と自分だけ。途中で、故人の弟が飛び出すように出て行った事。
「しかし、私は信じたくないんですよ。身内にしろ、他人にしろ、人形を盗み出すような…そんな酷い仕打ちをする人がいるなんて、とても」
円乗氏は真面目な顔で答えた。
「よくある話です」
「よくある話…ですか?」
「私達人形師は、精魂込めて人形作りに没頭します。作る人形にも、勿論魂がこもります。だからこそ、人様の元に人形をお渡しする時は、魂を抜くか因果を与えるのです」
「因果とは?」
「お前は人ではない。自分を人と思うな。人に愛でられ、飽きられ、やがて捨てられよ。それが人形だと」
「なるほど」
「実は、出荷前に肺炎で倒れてしまいまして…それ瞿麦にはやってないんですよ」
そんな事を言われても。
宮司は当惑するばかりだった。
「そう言えば!」
宮司は、一枚の紙切れを円乗氏に差し出した。
ばいばい みんとちゃん
いいおよめになってね。
たどたどしい子供の文字。
「孫娘です」
円乗氏の顔が緩む。
「孫娘は、瞿麦がお気に入りでしてね。自分で、そんな名前を人形につけては呼んでいましたな」
「そうでしたか」
円乗氏はすたすたと、年齢のわりには軽い足取りで入り口へ急ぐ。
「やはり人形の紛失は、御家族に連絡しませんと」
円乗氏は黙って神棚の前に立つと、羽女をそこから降ろした。
「夢を見ました」
「夢ですか?」
以前自分が作った羽女と。それと同じ衣装を着た。それは美しい少女が夢の中に現れた。
「神様」
彼女は円乗氏に言った。
「これでいいのか?羽女」
私は神様などではないが。
これくらいの事はしてやれる。
お前達は大事な私の娘だから。
円乗氏は羽女を手に取る。
優しく微笑む少年の待つ。
その遺影の前に置いた。
僕の嫁 【完】
ここまでお読み頂き。感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。 六葉 翼
真夜中の僕とミント
「もう!むちゃらくちゃらに!吹き飛ばされたのです~!」
僕とミントちゃんは気がつけば、
家の塀の壁にめり込んでいた。
「あの女~!むちゃくちゃしやがるのです!今度会ったら~容赦しないのです!」
「でも…無事に帰ってこれて良かったね!」
僕はミントちゃんを助け起こす。
「裕君の部屋に、ミントの本体がある限り!大概は戻れますよ…いたたたです!」
「なら僕も、これから迷子になる心配はないね!」
「ほえ?」
「だって!ここにミントちゃんがいる限り!!僕は必ずそこに戻って来るから!!!」
「裕ウ~」
ミントちゃんの目に波が溢れる。
「向こう行ってる間ずっと『やっべ-こいつ、このまんまモブ以下で終わんのかよ!?』と思ってたら…最後にちょっといいことも言えたのです」
「ははは…おうち入ろうか?」
「はい!裕君!私ね!私ね!吹き飛ばされた時に、羽女姉様のお声を聞いたんです!!」
「なんて言ってたの?」
「それはですね…」
彼女の言葉と真夜中の空気。
仄かに柑橘の甘い香りがした。
家の玄関の扉を開ける。
家に帰ろう。帰って話そう。
そしたらゆっくり眠ろうね。
ミントちゃん。




