プロローグ
プロローグ 賽の河原終着駅
父と母と僕の三人だけだった。
カルデラの上に敷かれた砂利の坂道。昨日の雨でやたらと滑る。
父と母の、大学時代に登山で鍛えた健脚は未だ現在で。一番若いはずの僕。すぐ置いて行かれそうになる。
母は、自分の名前が平仮名で書かれた風呂敷包みを胸に抱き。
一つ一つ息を吐くよう。
隣の父に思い出を語る。
昔に父が誕生日にネットで買った。母の好物の菓子を包んでいた、名入りの風呂敷。今も母は大切にして。
大事な物は必ずこれに包む。
「あれからもう17年も経つのね」
母が呟く。
「まさか目的がこうなるとは」
人の未来は誰もわからない。
父が言葉を噛みしめる。
両親が大学時代に訪れ。
心に深く刻まれた。
思い出深い場所。
道端の其所俐で音を立てて回る風車。優しげに微笑む石の地蔵達。此処が恐ろしいという感情は不思議と湧いて来ない。
ただこの場所には哀しみだけが吹き渡る。風の溜まり場のように。
吹き溜まり蹲り動かない。
ひなびた石の鳥居を潜り、両親が社務所で用件を告げるが、返って来た青森弁に困惑するばかりだ。
東北の忘れ去られた山の中にある、
不自然に拓かれた場所。
賽の河原終着駅。
駅舎を思わせる地蔵堂の本殿。
境内に親子三人取り残され。
異国のような言葉。僕達家族は途方に暮れる。やがて内線で呼ばれた。
中年の宮司さんが漸く《ようやく》顔を出して。
その柔和な笑顔に迎えられた。
社内を案内してくれる、宮司の耳馴れた標準語が嬉しい。ここが、異国でもあの世でもない事を教えてくれる。
聞けば昔、東京の神道系の大学に通っていたらしい。
父に促され渡した、菓子折りが入っていた伊勢丹の紙袋は、今は所在なく、ぺちゃんこにへこんでいた。
「袋ごと渡せばよかった」
そんなつまらない事を考えながら、僕は三人の後をついて歩く。
宮司の話に耳を傾けながら。
簡単な参拝を済ませる。
神社参拝が目的ではない。
僕達が向かう目的地。
神社の裏側にあった。
神社の裏側と聞くと。如何にも神秘的な秘密のベールに包まれた。そんな場所を想像しがちだ。
でも僕たちが案内された場所。
早い話バックヤ-ドに過ぎない。
アルバイトをした経験がある人なら分かるはず。まさにそれだ。
綺麗に掃除された、お店の裏側にある配電盤や、電気のコンセントや、家庭用エアコンが備えつけてあったり。ロッカーに貼られた、古びたステッカーなんかが、無造作に散らばる空間。さすがに神社だから。
そこまで雑然とはしていないけど。
日頃神社では見かけないような。
日常的な品々が置かれた場所。
そこから地下に降りる階段も壁も、明るい白で統一されていて。
普通の事務所裏と変わらない。
神社は台所を、忌火屋と呼んだりするらしい。けど、案内された地下の部屋には、何の名称も但し書きもないようだ。
扉には通常の鍵ではなく。錠前がかけられていた。神主さんは、慣れた手つきで錠前を開け。鉄の扉を内側に開く。
「こちらになります」
神社の社と、境内の広い敷地を利用して造られた地下室。学校の体育館くらいの…広さはあるだろうか。
段々に組まれた棚には、端から端まで。数えきれない数の遺影が飾られていた。飾られた遺影に映る人々。
そのすべてがまだ若い人。
男性のものばかりだった。
遺影の横には必ず寄り添うように、花嫁衣装を着た人形が立っていた。
「お若くして…不幸にも命をおとされた男性に『せめて人形でも花嫁を…添い遂げさせて上げたい』という御家族の思いから…この場所に遺影と人形を飾られる方は少なくありません」
この領域全てに立ち込める空気。それは、死者の、生に対する執着や、恨みや哀しみとは異質の、遺された家族の哀しみ、閉ざされてしまった未来への思い。死者に対する葬る事の出来ない思い。
親が子を思う心。子を失った親の哀しみ。それが何時までも浄化される事なく。この地に遺されていた。
そうして残された人の思い。
強く感じさせる場所だった。
冥婚もしくは人形婚。
古く江戸時代から伝わり。
密やかに継承される葬儀。
父が僕に教えてくれた。
「宜しくお願い致します」
母が恭しく頭を下げ。
風呂敷の結びを解く。
十七年前に学校の帰り道で、交通事故に遇い。僕の兄裕太は他界した。
兄の遺影を愛しむように見つめる母。
案内されて地下室の中程まで進む。
「こちらに後遺影を」
兄のために開けられたスペース。
そのすぐ隣には、茶髪の何処かの高校の制服を着た少年。その遺影が置かれていた。
「少々お待ち頂けますか」
暫くして宮司は桐箱を持って現われる。桐箱から出された白無垢姿の人形を見て。両親は思わず声を上げた。
「なんて綺麗!」
「素晴らしい!」
「やはり、円乗音次郎先生の作品ですな!御無理を言って、お願いして本当に良かった!こんなに素晴らしいお人形は私も見た事がありません!」
「その言葉を聞いて、円乗先生もさぞかし喜ばれるでしょう」
「貴女に名前はあるのかしら?」
そっと桐箱から人形を取り出して。母はその人形に優しく囁いた。
「箱には瞿麦と書いてあります」
宮司が桐箱に書かれた文字を見て言った。
母は頷いて。瞿麦という名の人形を兄の遺影の横に置いた。
僕は兄の嫁である。
人形の瞿麦を見た。
初めて嫁と視線が合った。
その時僕の中で何かが。
音を立て崩れた。
その時から僕と彼女。
それは月並みではない。
恋に落ちてしまった。
簡素な結婚の儀式の後。宮司と両親は、長々と話をしていた。
「お人形の服、このメイド服に変えられますか?」
「お前それは…」
「着せ替えではないので…それは、ちょっと」
「息子の部屋を遺品整理した時、大量に、何と言いますか…その関連の書物が出て来ましたので」
「飾るだけでも何とか」
僕は彼女を伊勢丹の袋に入れて。
神社から逃げた。
走って走って。
すぐ息が切れて。
立ち止まる。
石ころだらけの、何もない場所。
積み上げられた石と、風に吹かれた風車が、カラカラ音を立てて回る。
そんな場所にいつか出ていた。
袋の中の瞿麦。
僕だけの瞿麦。
兄さんの嫁。
でも僕の嫁。
少なくとも出逢った時は瞿麦。
そういう名前で呼ばれていた。
それが全ての始まりだった。




