散華と羽女
「姉様」
散華は羽女の声に振り返る。
「羽女はまだ両の足で立っています」
昔から諦めの悪い妹だ。
「姉様は敵に背中を向けるつもりですか?」
叶わぬと知りながら。何度も何度も、この姉に挑むことを。けしてやめなかった。諦めなかった。
「放っておいても、少しでも体を動かせば死ぬような、死に損ないの口でも。妹は姉に文句ばかり言う」
散華の爪先が宙に浮く。
「今黙らせてやろう」
見つめる散華の右腕が鉾に変わる。
それでも足りぬと斬馬刀に変わる。
「たかが千!たかが億!たかが那由多の己が業など!!」
「さぞや苦しかろう」
「今楽にしてやろう」
突然、散華の全身に、予期せぬ重圧がのし掛かる。自らが改變した重力と、新たな高重力の狭間で。散華の首と背骨が悲鳴を上げる。
驚きと怒りに見開かれた眼。
眼下の羽女に向けられる。
「羽女、貴様!」
「如何ですか?初めて背負う己の心の重さ」
羽女は立っている。
既に虫の息に見えた。
「私の改變を何時…」
「切り札は…最後…まで。姉様は…私の…」
激しく咳き込んだ。
その咳に血の飛沫。
放っておいても。
何れ死ぬだろう。
いや此奴には鳳凰の加護がある。
その天羽々斬も使わせて貰おう。
「業使いの力まで取り込むとは…」
やはり生かしてはおけぬ。
散華の口の端がつり上がる。
「それは嘘です」
いつもの鈴を鳴らす音色。
しかし現に改變は起きた。
羽女は散華の改變を起こした。
「私には…姉様の重力改編は、真似しようとしても…出来ませんでした…だから、神速の源である鳳凰を解き放ち、今自ら依代となりて…」
思いもよらぬ妹の言葉。
散華は初めて蹌踉いだ。
「想兼を召喚致しました」
「馬鹿な…想兼だと!?あれは知と深謀遠慮を司る神だ!戦とも重力とも何の関係もない…それに羽女、鳳凰の力を手放せばその体、二度と再生は出来ぬぞ!」
羽女の胸もとから、依代にしたセキレイの金色の羽が一片零れ落ち。散華の目の前で大気に溶けて消えた。
「オモイカネ…だから重いのか?」
そこさすが脳筋クイーン!
近くにいたら突っ込みて〜
「さすが姉様、説明の手間が省けまして、ございます。そして…もう一つだけ申し上げたいことが、羽女には…」
羽女は、散華の言葉を待たずに続けた。もはや、言葉ーつ息を吐く度に意識が遠のくようで。その瞳から、徐々に光も失われつつあった。
「姉様が、今背負っておられるのは、実は重力ではございません。姉様の想いの重さです」
「なんだと…」
「祭主として…この国の民を見守って来た姉様の想い、愛するあの御方に姉様が寄せた想い、それらすべて人の持つ深い慈悲の心!」
「それを今一度、思い出して頂きたく、想い兼を召喚致しました」
「それを人は業と呼ぶのだ!」
「私の体も、今はそれを等しく背負いました」
「己の業の重さなら充分に知っている!」
右腕を弓をつがえるようにして。引き絞る。剣を逆手に間合をはかる。
「ならば誘われるまま」
「この身共々墜ちるまで!」
目にみえぬ空気の壁を蹴り。
荷せられた重力すら味方に。
散華は羽女を仕留めに向かう。
「たかが千」
散華は自らの体に千の重力を荷す。
思考よりも早く。脳裏に閃く絵巻があった。今と変わらぬ自分と羽女。
最初から二人だけだった。
「届きました!ほんの僅かだけど…姉様の衣に触れました!」
あの時、私はどんな顔をして、どんな言葉を妹に。今も真っ直ぐに、自分を見据え、拳一つで挑もうとしている妹。幼き頃と、何も変わってはいなかった。その妹が、神の為とは言え。人の道を違えるはずがあろうか。
変わってしまったのはこの私だ。
重加速した散華の到達速度。
羽女のそれを遥に凌ぐ神速。
羽女は迎撃の拳を下段に構え。
静かに散華を待ち受ける。
肩は既に上がらぬはず。
もうそれしかなかった。
予測通りの電車道。
繰り出す羽女の右拳。
首を僅かに反らし。
散華はそれをかわす。
突き出した鉾の先。
羽女の姿はない。
幼子の頭を撫でるように。
羽女の左手がふわり。
散華の髪先に触れた。
「届いた」
「よくぞ届いた羽女」
散華姉さんが私の髪に触れ。
あの時私に微笑んでくれた。
あの時の姉様の笑顔と言葉。
「誇りの妹だ」
「羽女」
羽女はけして忘れません。
生まれ故郷の山河。
そこに暮らす人々。
人の喜びや悲しみ。
そこに生きる人々。
その思いのすべて。
そして散華姉さん。
互いの耳と心に。
「届いた」
その言葉を耳にした刹那。
全体重をかけた羽女の左手。
散華の顔を強引に下に向かせ。
「姉様」
あらゆる物理法則もなしとして。
己の拳の骨が砕けるのも厭わず。
その手弱女の腰に背に肩に。
彼女は背負って生きて来た。
「この国の神輿」
円乗羽女は拳を強く握った。
なお強く握りしめたその拳。
「この円乗羽女の拳が!!!!」
「今背負っております!!!!!」
散華の知る正確無比な軌道を描く。美しい羽女の打撃ではなかった。
むちゃ振りもむちゃ振り。
大振りも大振り。
大盤振る舞い。
ただ力まかせ。
くそアッパーカットだった。
砕けたのは、己の顎か、妹の拳、それとも。姉と妹どちらの業であったのか。おそらくは、そのすべて。
しかし散華にはどうでもよかった。
もはやどうでもよかった。
互いの体が反り返る。
落ちて叩きつけられ。
体がバウンドする。
それほどの衝撃、それほどの一撃をくらい。倒れ込んだ散華は二度と起き上がる事はなかった。
風に流された榊がひとつ。
崩れ落ちた羽女の目の前を転がる。
彼女はそれを右手で掴み。
天に翳した。
彼女の知らぬ至る所から。
歓声が巻き起こっていた。
そうして白鷺武踏会は幕を閉じた。
僕の声は君にはもう届かない。
けれど届いて欲しいと願う。
仮令君が神嫁であっても。
もし君が神嫁でなくても。
僕は君を好きになった。
それが神と宇宙の法則。
これからもずっと。
君だけが。
僕の嫁。
。。。。
僕の言葉は飛沫と消えた。




