稀人と神嫁Ⅱ
それは認識よりも早く。
シナプス?ニューロン?
なんかよく分からない高速。
リピド-が追い越して行く。
それは叶わぬ夢。
磯の鮑の片想い。
僕が知る限り、僕が住むこの世界で最も美しく、聡明で気高く…
僕が知る限り、僕と同じ唯一の独身。しかも女性。なのに彼女はこともあろうに。あろうことか。
神嫁。
大家さんより、神主様よりも。
彼女にはその呼び名が相応しい。
かつての戦争、敗戦と動乱の時代を経て。政教分離を憲法に謳う。
そんな時代はすでに古の昔。
古神道の古き神々と、日々邁進する現代文明が寄り添い合う時代。
その狭間に僕らは生きている。
わが国第一の宗廟。全国に50万の大小様々な分社を持つ。街の南西にある向去山を背後に頂く。
高砂神社。
苔むした石段と、神明鳥居の笠木を千本潜り抜けた先に漸く見える。茅葺き屋根と神明倉造りの大社。
高さ八丈の偉容を誇る神の社。
そこが円乗羽女さんの生家だ。
神にその身を捧げた神の嫁。それが彼女。高嶺の花の度合いが、摩天楼どころか…成層圏を軽く超えている。マゼラン星雲の女神様だ。
俺と同じ独身でも、円乗さんは偶像なき時代最後の偶像。
そのヒエラルキーと格差。
さすがに溜め息も出ない。
「どうした?相生氏。朝から、そんなしけた面では、来る嫁も逃げてしまうぞ」
現代社会に於いて、彼女の存在と比較対象されるのは、神世の時代の女王卑弥呼ではなく、かつてこの世界に存在したという、バチカンのロ-マ法王。いや、寧ろ両方と言っても過言ではない。
バチカンもロ-マ法王も、詳しく知らない…でも、あまねく世界の信仰の中心の頂きに立ち。世界中の人々から、崇拝称賛羨望の眼差しを集める人は皆…こんな風に口さがないのだろうか。
「円乗…羽女様は」
「円乗でも、羽女でも構わぬ。同じ高校に通う、われらはクラスメートではないか!」
そうなのである。円乗羽女は僕と同じ高校に通う同級生で、クラスメート。
実は席も隣同士。
同じく独身同士。
しかし、彼女は神事や政に日々追われているようで多忙。めったに学校に顔を出さない。
学校に行かないのは同じでも、リア充ばっかで、どこにも身の置き処がない自分とは随分違う。
「ところで円乗…円乗さんは何時からここに?全然気がつかなかったよ」
気を取り直し明るく聞いてみた。
円乗さんは人差し指を唇にあて。
思案するような仕草をして言った。
「日頃から、足音を立てぬような所作を求められるゆえ…ずっと気がつかなかったのであろうな!」
「なるほど」
僕には想像もつかない環境です。
「何時からと言われば…相生氏が、滝田夫妻を見送るまでだ。ずっと、相生氏の背中に潜んでおったぞ」
「華奢な男子に見えるが、どうしてなかなか広い背中で感心した!」
指先で珍しそうに背中をなぞる。
それは、いい。とても、いい。
しかし。
「さっきから、ずっとそこに?」
「うむ」
「一部始終ずっと?」
「うむうむ」
彼女はこくこく頷いた。
「われら若者には、若さ故に、抑えきれぬ衝動もあると聞くが。他人の部屋の扉を無暗やたらに蹴るのは、如何なものかと…」
「すみません大家さん」
俺は頭を抱えた。
代々、高砂神社の祭主を務める円乗家。円乗グループとして、神社分社50万の他に、系列企業20万社を抱える一大コンツェルンでもある。
彼女はその企業の総帥でもある。
この街に暮らす人々、その全てが高砂神社の氏子である。
僕のような、税金も納めないような学生でも、円乗グループの経営するマンションに格安で住む事が出来、家賃は御布施として上納される。
おかげで、市民として様々な行政の恩恵を受ける事が出来るのだ。
つまり、僕は円乗さんの店子で氏子と言う訳だ。
カ-スト制度なら、尖端と末端の最下層。しかし円乗さんは、そんな僕を見下すどころか。クラスメートとして平等に接してしてくれる。
「ドア、すみませんでした!」
「別に凹んでないし大丈夫だよ!」
「相生君」
「え」
「あ…いや、君が敬語で話すから、クラスメートっぽく言ってみたのだ…ダメか?」
そんな風に、曇りない目でじっと覗き込まれると。気恥ずかしさとは別に、胸の中が温かくなる。
久しく忘れていたような気持ちだ。
「何故、僕の後ろに隠れたの?」
もしかして人見知りとか?
僕は円乗さんの事を知っているようで全然知らない。この街に住む誰もがそうだ。
深窓の令嬢とか言うけれど。どんな高級遮光カーテンよりも厚い。神社だから御簾とか神社幕と言うべきか。
「私は何処にでもいる」
「私は何処にもいない」
人差し指を立てチクタク。
相変わらず謎だ。
「間もなく高砂祭の季節だから」
そういや町内にも広告が出ていた。
「私も何かと忙しく」
「でしょうね」
「街で人に会ってしまうと…色々面倒なのだ」
彼女のことを知らない人はいない。
彼女が学校に登校するだけで、教員も生徒も授業そっちのけになる。熱狂と歓喜の渦が巻き起こる。
多忙を極める彼女と触れ合える日。
それは年に一度の高砂祭の日など、神社関連の催しに限定されていた。
氏子であり市民でもある僕だが。
高砂祭りに参加した事はない。
高砂神社は我が国最高社格にして、霊験あらたかな縁結びの神社。
しかし実際は、結ばれていない縁の結びを祈願する神社ではなく。すでに結ばれたご縁に感謝を捧げ。絆の未来永劫を祈願する神社なのだ。
だから僕には縁が無い。というか、そのような場所に於いても。唯一独身の僕は、神の摂理にそぐわぬ【穢れ】に似た存在。
今まで生きて来た、短い人生を振り返るにつけ、神社や祭事から足が遠退くのは自然の成り行きだった。
「昨年も、一昨年も、相生君たら、お祭りに来なかったね!」
なんか、たどたどしいクラスメ-ト口調が新鮮だ。
「部屋からも祭り囃子は聞こえるし…花火だって見れるんだぜ」
あれほどに、内外から沢山の人が訪れて。街中を埋めつくす。そんな祭りの中で。円乗さんは僕が1人で祭りに参加しない事を気にかけている。
なんて優しい女の子だ。
正直神様が羨ま妬ましい。
「僕が行ったら皆興ざめ…」
僕のネガティブな言葉。
彼女の人差し指が止める。
「お祭りは楽しむものだ相生君」
「みんなが楽しんでいいんだよ!」
「円乗さん」
「相生君が、その…もし…今年も、1人で部屋に居るなら私は…」
私は?
私は…なんて言うつもりなんだ!?
なんかもじもじしてるし。
やたらめったら可愛いし。
円乗さん!そっから先は、たとえ勘違い野郎として恥をかいても。ここは一番僕が言うべきじゃないのか?
だめもとの玉砕覚悟で!
それが男子ってもんだ。
「良かったら僕とお祭り…」
思いきって勇気を出して。
彼女にそう切り出した。
「私は君を」
僕は彼女の返事を待った。
「賽の河原に連れて行く」
君が何を言ってるんだか。
よく分からないんだけど。
「連れて行かなくてはならない」
「円乗さん?」
「のだ」




