稀人と神嫁
まずは【嫁】について話そう。
僕が住む世界について語る事。
それは嫁について語ると同義。
そう僕は考える。
朝部屋のベッドで目覚めた時。
僕は1人を痛感する。
また長い1日が始まる。
嫁のいない僕の日常が。
夢の最中、微睡みの途中。
確かに僕の隣には嫁がいた。
朝霞のような儚い微笑みの記憶。
頭の中にずっと残ってはいるが。
僕に嫁がいたという事実はない。
これまでの現実の中で一度もない。
にも関わらず確かに嫁は夢の中にいて。
僕に微笑んでいてくれた気がするんだ。
嫁。
浅ましい無い物ねだり。嫁欲しさのあまりに、さもしい。とことん惨めな。この気持ちがそうさせるのだ。
首を振り。
頭に吹き溜まる妄を追い払う。
拳で上掛けを叩き。
ベッドから抜け出す。
朝食も食べず。
高校の制服に袖を通す。
朝食などあるはずがない。
制服のワイシャツにアイロンがけなど。望むべくもない。
だって僕には嫁がいないのだから。
「マック寄ってく時間あるかな」
洗面所の鏡で髪を整えながら。
1人呟く。
夫唱婦随が当たり前の、この世界に於いて。マックであろうが、コンビニであろうが。
僕を出迎えてくれる。
朝の太陽より眩しい。
夫婦ツインの笑顔。
『いらっしゃいませ!』
たとえ高校に行っても同じ。
夫婦揃いの夫婦茶碗ならぬ。
夫婦机がずらりと並ぶ。
嫁がいない僕の席。
隣の椅子にある日。
テディベアが置かれていた。
軽く泣きそうになった。
「こういう!イジメみたいな事はダメ!」
「絶対よくないと思います!」
HRの議題に取り上げられ。
結構な議論になった時は。
マジで死のうと思った。
嫁がない人間は首がないのと同じ。
そんな世界に暮らしている。
間界に紛れ込んだ文字通り首なしか…ゾンビか吸血鬼のような存在に等しい。
いや、映画のゾンビも吸血鬼さえ。
つがいの夫婦の世界なんだけどね。
世間の奇異な物を見る目にも。
腫れ物に触るような扱いにも慣れた。
でも孤独には慣れない。
一向に慣れないのだ。
それでも僕は身支度を整え。
学校に行く準備をする。
「いつの日にか!僕にも嫁が来るさ!頑張れ!!ファイトだ!!!」
そう1人自分を鼓舞して。
マンションのドアを開けた。
「いよお!ど・く・し・ん!朝から冴えねえ面だな!?」
玄関のドアを開けるやいなや。
いきなり狙撃弾を眉間に喰らう。
【独身】
そのアダ名を聞いた途端もうダメ。膝から崩れ落ちそうになる。
前を向いて強く生きて行こうと。
立てた誓いが無残にも崩れ去る。
マンション隣の部屋から、ちゃらい顔を覗かせるやつ。僕と同じ高校に通うクラスメートの滝田だ。
「その呼び方やめてくれ…一向に慣れないし、受け入れ難いし…その…ひどく哀しい気持ちになる」
青息吐息で僕は滝田を見上げる。
「あ…地雷踏んだ?わりぃ!」
茶髪の頭を軽くかき上げながら。
滝田は悪びれる様子が全くない。
「遼君ってば!置いてかないでよう」
ドアから制服姿で飛び出して来た。内股でニ-ソの可憐な乙女。
同じクラスの三咲ちゃんだ。
「三咲〜おせえよ!」
「だって、お化粧まだなんだもん…遼君…ん…」
三咲ちゃんは、滝田の前で踵を浮かせた姿勢のまま目を閉じて。その唇をつきだした。
「行って来ますのキスゥ」
これが噂の朝のキスのおねだりか。
いや…あんたも行って来ますだろ…学校。
ていうか俺は空気?
お出掛け前のキスにしてはとても濃濃な…2人のキスを目の前で見せつけられ。
滝田に口紅がついた顔で言った。
「今日は学校来るんだろ?」
「まあね」
「先行って待ってるからな!」
親指を立て爽やかに去った。
僕は軽く手を上げて。
さぞや卑屈な笑みを浮かべたまま。
そこに立ちつくしていた。
「朝からけしからん事を!」
なんて言うのは無粋と言うもの。
だって二人は夫婦なんだから。
僕は二人が去るまで顔を上げずにいた。彼女の顔をなるべく見ないようにした。
見たら忽ち好きになってしまいそうで。僕も一応十代の男子なわけであるから。
人様の嫁を好きになるなんて…
この世界では万死に値する。
独身よりもさらに不名誉であり。
恥ずかしい行為と知ったから。
もっとも、三咲ちゃんは最初から僕の事なんか眼中になくて。最初から、夫である遼の顔をうっとりした目で見ていた。
別に、滝田の妻である、三咲ちゃんに思いを寄せているとか、そうではないんだ。
この街には、それは美しい女性や可愛い女の子が沢山いて…多分僕の知る限り。
1人残らず誰かの嫁だという事実。
「今日も学校に行くのを止めよう」
僕は立ち上がると拳を握りしめた。
「この世界の何処かに俺に相応しい嫁が!出逢いが俺を待ってるはずだ!!」
僕だって嫁がいれば…学校に行く時にお出掛け前のキスゥ。目の前に、三咲ちゃんの閉じた睫毛。少しだけ開いた、柔らかそうに潤んだ唇が浮かぶ。
思わずエア嫁を抱きしめた。
唇がちゅ-のかたちになる。
僕の嫁は露と消えた。
「あれ…おかしいな…」
なんだか涙が止まらない。
それは、あまりの惨状に耐え兼ねた、僕の自我が、幽体離脱した挙げ句、俯瞰で今の自分の有り様を見たからに違いない。スピリチュアル。
きっとそうだ。その涙だ。
思わず嗚咽が漏れそうになる。
血が出るくらい手首を噛みしめ。
僕は滝田の部屋のドアを見た。
この扉一枚隔たてた場所では。
朝と言わず夜と言わず。
あんな事やそんな事が!
毎日毎日毎日毎日毎日。
「愛の巣め!」
気がつくと、力まかせにドアを蹴っていた。自分の意思とは裏腹に、ドアを蹴る足が。この足が!
速度が勢いが。
鼻息が止まらない。
「くそ!くそ!くそが!嫁・が・い・る・の・が、そんなにそんなにそんなに偉いのかよお!ふが!死ね!!!」
沸き上がるどす黒い情念。
そして哄笑が止まらない。
今の自分がとてつもなく。
みっともなくて。
哀れで愛おしい。
「先程から1人で何をしておるのだ?」
「相生裕太氏」
背後から肩を指で突かれる。
うじって…今時秋葉原の旧オタクの人でも。絶対そうは呼ばない呼び方をされて。僕は振り返る。
清楚な白を基調にした唐衣の上衣に同じく。白地に赤・黄・緑・黒・紫の尊色五色。色鮮やかに染め分けた巻きスカート。
薄く長い領布を靡かせた。
黒髪には飾り花が一輪。
一目で高貴な身分と分かる。
端正な顔立ちの少女が。
「大家さん!?」
「名前でよいぞ」
「神主様!」
「肩書きで呼ばれるのは…あまり好きではないのだ」
「祭主だがね」
「女性を名前で呼ぶ事に不慣れで」
「哀れな」
円乗羽女。
嫁にしたいなあ。
自分ランク1位。
いやこの世界が異口同音に平伏す。
彼女は俺と同じ高校に通う同級生。
そして神嫁だった。
僕嫁がこんなに可愛いわけがない。
僕嫁がこんなに神なわけがない。
なんかラノベのタイトルみたいだ。




