誰彼
「烏舟…祀る者なく、廃れたと聞いたが。姉様は翼まで手に入れたか」
合戦の後を見るようだった。累々と並ぶ。矢に貫かれた巫女達の屍。
息ある者に円乗さんは声をかける。
「傷が癒えた者から立て」
「順次社に戻れ」
怜悧な言葉に感情はない。
まるで何事もなかったかのように、彼女は歩きだす。
呼び止めようとする僕に。
「私は、抜けなかったのではなく、抜かなかった。何故なら、姉様の言う通りこれは戦だから…」
「私はそういう女だ」
「リア充ばっかなんで…僕学校行かないで、テレビばっか見てるんだけど。この間教育テレビでやってた、円乗さんは観たかな?」
「テレビは観ない」
素がなく素っ気なく答えた。
「この場から立ち去って欲しい」
そんな彼女の心情が感じ取れる。
僕はこの通り空気読めない男だ。
「人間なら、視覚で捉えた物体が、視神経を通り、脳内にある視覚視野にたどり着く。そこから、さらに別の神経を通り。何がしかの反応を起こすためには…およそ何秒かかるか知ってる?」
彼女は何も答えなかった。
「0.5秒!何と!0.5秒もタイムラグがあるんだ!つまり、散華がどんなに凄いやつでも…視覚で円乗さんを認識しても…0.5秒は無防備なわけ…」
「…識以下」
「え?」
「つまり、相生君が言いたいのは…大脳中枢や、脊髄からの反応反射の事であろう?」
「まあ…そうかな」
「私達の円乗流は…鍛練によって、無意識の界層に蓄積された、経験や予測により、防御や技を繰り出す。無意識とは…乃ち脳が造り出したと仮定される「受動意識こそが心」という仮説とは異なる。大脳の働きとは、別の領域にある無意識こそ心であり、魂であると。私達は考える」
「はあ…」
脳や、脊髄の反射を遥かに越えた動き。円乗流は可能という事なのか。
「神速とは、それすらも凌駕せんとするものだ。もっとも、未だ私はその域に達してなどいないが」
最初から、とんでも過ぎる話だ。
僕みたいな、ど凡人の出る幕じゃない…って事なのか。
それでも、円乗さんの話を聞いていると。超越者を目指す者の言葉ではない。寧ろ彼女の言葉は自嘲気味。
僕の心にはそんな風に響いた。
このままでは…彼女は散華の前に為す術なく敗れ去る。
そんな予感さえした。
「その…魔法の呪文とかっていうのも、あれかな?無意識とかで使えたりするもんなのかな?」
「魔法の呪文?」
「円乗さんも唱えるだろ?神様にお祈りする時とかの呪文」
「祝詞のことか」
円乗さんは少しだけ俯き。
言葉を選ぶように話した。
「異教の呪文にしろ、私達の祝詞にしろ…音を発する事により…大気や万物と共鳴させ…!」
はっとしたように。
僕の顔を見つめ返す。
「無意識に改變を起こす事なんて、理論上は不可能なんだよね?」
ほんの少しだけど。
その表情に光灯る。
そんな気がした。
少なくとも、円乗さん自身に、それが不可能な事であるなら。
そう証明出来るはず。
「円乗さんに出来ないなら、無意識に重力を改變出来るなんて、それは眉唾だと思うんだ」
「それが可能だ」
おそらく散華は僕達に言いながら。
会話の中に仕込んでいた。祝詞に相当する音節を鳴らしていたんだ。
靴だって足だって。
指の関節でだって。
音を鳴らすもの。
いくらでもある。
「肉体の改変が可能な姉様ならば、頭の中で祝詞を唱え、共鳴は可能!それでも…」
「音節を唱えるには時間を要する。その前に円乗さんを認識してから…タイムラグはあるはず。」
散華も円乗さんと同じ人間なんだ。
根拠はある。
散華は円乗さんを苦しめるために、段階を踏み1…7と数字を唱えながら負荷をかけた。
同時に、僕にも同じ事した。
そんな事が瞬時に出来るなら。
彼女は神様だ。勝ち目はない。
神と同格の人間が、神を憎み苦しむはずがない。まず神と戦えばいい。
改變でも何でもして。
世界を変えればい。
僕の論理は穴だらけ。
自分でわかっていた。
辻褄?そんなもん合ってなくていい。このままでは帰せない。
円乗さんをこんな姿のまま。
帰すわけには行かなかった。
「相生君」
振り向いた彼女は僕に言った。
「私は…君の気持ちに答える事は、許されない身だ」
「ああ」
それが円乗さんの答えなら。
「祭りにも一緒に行けない」
「うん」
「私が住む、高砂神社の前には、千本鳥居がある」
「知ってる。見事なものだ」
「鳥居の内と外に住む者にとって、その意味合いは違う。外に暮らす者には、鳥居は結界である。結界とは、神社を守るためのものではなく。外の人間に対する警鐘なのだ」
「つまり」
「神であれ何であれ、鳥居を潜ったその先は、人ならざる者の土地。命の保証は出来ないという事だ」
散華が去った後の夕暮れの空。
灯り始めた星を見を上げて。
彼女は僕に言った。
「見たであろう。あの姉の力を…私は鳥居に囲まれ、社の屋根の下に暮らす。故に、人々から信仰され崇められもする。しかし、姉のように神の後ろ楯がないのなら…私は、私は、姉と同じく」
見つめ返す瞳。
「化け物だ」
夜空の星々を映していた。
そんな、そんなことはない!
「そのかたちがあるから、円乗さんは、祭主という立場に拘ったりもするんじゃないのか?」
まだ、まだ、普段の円乗さんの笑顔には程遠い。このままでは、彼女は本当に手の届かない星のように。遠い場所に行ってしまう。
僕の手の届かない場所に。
神社や神様の存在。それは間違いなく、円乗さんの一部だ。それが彼女を彼女たらしめている、なら僕は。
ああ…上手く言えなくて。
なんてもどかしいんだ。
「神社の事だって、円乗さんの事だって!僕はもっと知りたいんだ!」
「相生君」
「それに円乗さんは!!絶対に、絶対に化け物なんかじゃない!!!」
それを僕は証明したくて。
僕は彼女の髪に手を伸ばす。
彼女は首を振って。それを拒んだ。
「私は守りたいんだ」
僕が守りたいのは。
彼女は唇を強く噛みしめた後で。
決意だけが悲しく宿る。
強い思いのを秘めた。
その瞳を僕に向けた。
「相生君や、この国の人々が暮らすこの世界を、私は守りたい!」
「僕は君だけを守りたい!」
もしそう言ったら。
彼女は僕を軽蔑するだろうか?
円乗さんが、大切にして、守りたいものなら、それもきっと、円乗さんの一部なんだろう。
「力になりたい」
自然に言葉が口をついて出る。
一端口をついて出た言葉は消えない。僕の胸の中で燃え盛る。
消せない焔となった。
何も持たない。
力も無い。
戦う事が宿命で、避けられないと言うなら。鉾になれない僕だって!
彼女の盾ぐらいなれるはずだ!
「君が、どんな人か私は知ってしまった、今はダメだ!」
「円乗さん」
「尚更連れては行けない」
「宮様」
声がして振り向く。
「全員帰社の準備が整いました!」
矢を受け倒れ伏す者たち。
もう誰1人いなかった。
「嬉しかった」
彼女は巫女を引き連れ。社へ戻る。
「すべてが嬉しかった」
「円乗さん!待って…」
「君に相応しい縁は、やがて結ばれるはずだ。この円乗羽女の名にかけて約束しよう。今夜だけは、神に背いてでも、私は君の幸せを祈る!」
お互いを思う気持ち。
祈る気持ちが同じと分かっても。
彼女はけして立ち止まらない。
振り向くこともしない。
「夫婦の縁とは、死よりも強い絆。君もやがて…本当のよき連れ合いに巡り会えば分かるはずだ」
「私はいつも社に座して」
「君の幸せを願う」
その時の彼女の姿と振舞。
僕は一生忘れる事はない。
暮れゆく陽を背に、一度だけ此方を振り向いた。彼女の言葉と笑顔。
今も深く心に刻まれている。
「私を一度でも嫁と呼んでくれた、それだけで私には充分だ…」
「それで死地に赴ける」
僕は彼女の名前を呼んだ。彼女は、二度と振り向いたりしなかった。
僕達は互いの運命が待つ。
自分の家に帰る道を辿る。
家に着くと扉を開け。
やがて夜を迎えた。




