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第38話 元A級に教わるのは、普通に歩くこと

 翌日の午後。真琴に指定された場所へ向かうと、そこは住宅街の中にある少し大きめの公園だった。遊具のある場所と、その隣に広めの広場がある。


 日曜の昼間だからか、子ども連れの親子が数組いる。


 そういえば長いこと、公園なんて来ていないな、なんて思った。年の離れた弟である湊を連れて、昔はよく公園に来ていたが、湊もかなり前に公園を卒業している。何度も同じ遊具で遊ぶ湊を見てると、なんで飽きないんだろうといつも思っていた。


 なんだか懐かしくて、公園で遊ぶ子どもたちや遊具などを観察していると、少し遅れて真琴がやってきた。


「ごめん、待った?」

「いえ、今来たところです」


「あ~、もう来てるみたいね」

 真琴が公園の奥を見る。


 ベンチの近くで、一人の女性が小さな男の子とボールを蹴っていた。髪を後ろでまとめ、動きやすそうな服を着ている女の人を真琴が指さす。特別身体が大きいわけでもない。余分な贅肉はないが、街ですれ違っても、探索者だとは思わないだろう。


「あの人ですか?」

「そうよ」

 真琴が歩き出す。


 こちらに気づいた女性が、転がってきたボールを子供へ蹴り返してから手を上げた。


「真琴、久しぶり」

「久しぶり。急にごめんね」

「いいよ。たまには違う事しないと、あっという間に年取るからね」


 女性が朔を見る。

「その子?」

「うん」

 朔は頭を下げた。


「後藤朔です。今日はお願いします」

「榊千尋。よろしく」

 千尋も軽く頭を下げる。


「ママー!」

 男の子が遠くから呼ぶ。

「なにー?」

「見て!」

「見てるよ。道路の方行かないでね」

「はーい!」


 返事をして、他の子ども達とサッカーもどきのボールの取り合いをしてはしゃぐ。朔はその姿を見たあと、千尋を見る。どう見ても普通の母親。どちらかといえば質素でシンプルな服装をしている。


「……A級になると、もっとセレブな生活出来るのかと思ってました」

 何気なく朔の言葉が漏れてしまった。


 その一言に、千尋はたまらず吹き出した。

「探索者の夢壊しちゃってたらゴメンね。そういうことに気をかける人も多いけど、私はチビ達の相手で手一杯だから、そんな勢いないかなぁ」

「すみません」


 真琴にだけ聞こえるように言ったつもりが、千尋にまで聞こえていたので、朔はすぐさま頭を下げた。

「別にいいけど。よく言われるし」

 千尋は気にした様子もなく笑った。


「それで、ヘイスト使ったんだって?」

「はい。一度だけ」

「どんな感じだった?」


 朔はトロルとの戦闘を思い出しながら話した。最初は着地で身体がぶれたこと。

 いつもの感覚で踏み込むと距離を詰めすぎたこと。身体の動きに視界が追いつかなかったこと。

 それでも何度か動くうちに、早めに速度を落としたり、歩幅を調整したりして、少しずつ止まれるようになった。方向転換も試した。


 千尋は途中で何度か頷くだけで、口を挟まなかった。


「ふーん」

 話し終えると、それだけ言った。しばらく朔の足元を見る。


「一回目でそこまでやったの?」

「はい」

「いい感じにイカれてるね」

「そうなんですか?」


 朔の返答を聞いて、朔の顔をマジマジと見つめてから、真琴の方に視線を向ける千尋。真琴は何かを悟っているように、頭をうんうんと縦に振った。その仕草を見て、千尋は新作のゲームを手にした子どものような笑みを浮かべる。


「普通、一回目でそんな色々試したりしないの、ヘイスト童貞は絶対失敗して、凹むの。私もそうだったけど、探索者なんて厨二病患者のあつまりだから、失敗に弱いのよ。ポッキ、ポッキ自信折れるから」

「だから、普通は途中で解除するのよ」

 真琴が答えた。


「そうなんですか」


 千尋の言葉のチョイスにちょっと引っかかり、朔の方からは距離を取れないタイプの人なのかなと思うが、悪い気はしない。

 最近、圧の強い堂本と共に行動するようになって、こういうタイプでも少しの時間なら目を見て話す事ができるようになっていた。


「じゃあ、やってみよっか」

 千尋が広場の方へ歩いていく。朔と真琴も後を追った。


「真琴、かけてあげて」

 真琴が朔へ手を向ける。


《迅速付与(ヘイスト)》

 薄い緑色の光が身体を包む。


 昨日と同じ感覚。聞いてはいたが、真琴が掛けてくれたら妙に新鮮に感じる。同時にもっと早くこの感覚を教えてくれていたら、なんてこともことも思ってしまうが、千尋を紹介してくれている時点で十分世話になっていると自分に言い聞かせる。

軽く数回ジャンプをして反応を見る。

身体が軽くなったような、不思議な感覚がある。これだ、この感覚。


「じゃあ、ここまで歩いて」

 10メーターほど歩いて、子どもの縄跳びを伸ばして停止線を作った千尋がいう。

「……歩く?」

「この線でとまってね」


 朔は少し拍子抜けしながら歩き出した。昨日のように速さを活かした動きはしていない。走ってもいない。ただ歩いただけ。


 それでも一歩が普段より速い。縄跳びの線が近づいたので、少し歩幅を狭めて速度を落とす。最後の一歩で縄跳びの線を超えてしまう。


「それが普通?一歩多くない」

「……ヘイストがかかってるので」

「それ、知ってるよね。朔くん。もう一度言うけど普通に歩いて」


 普通に歩く……。できていないのだろか?…わからない。


「普通に歩いて」

 再度繰り返される言葉に朔は意味が分からず真琴を見る。真琴も苦笑している。


「こうなると思った。この人、本当に説明下手なのよ」

「歩くだけなんだけどなあ」

 千尋本人は不思議そうだった。


 朔はもう一度、元の場所へ戻る。今度は意識して足をゆっくり動かしてみた。一歩。次の一歩。


 先ほどより速度は落ちている……はず。だが、これが普通でないことは朔自身がよくわかっている。歩くというより、一歩ずつ足を置いている。動かすより止めにかかっているような感覚だ。


「違うのわかってるわよね」

 千尋が言った。

「遅くしたんですけど」

「いったでしょ。普通よ」


 言われてみれば、脚に妙な力が入っている。ゆっくり動こうとするあまり、普段なら意識もしない動きを一つずつ止めながらやっていた。


「どうすればいいですか?」

「だからね、ヘイストかかってるんだから、あんたまで急がなくていいよ」

「急いではないとは思うんですが…」

「うーん。どういえば良いかな。ヘイストかかると普通が狂うから、狂ってる普通をきちんと普通に戻すのよ」


 わかるようなわからないような、でも朔は何かしら答えを出さなければいけないような気持ちにさせられるが、言葉がみつからない。

 千尋も同じように考えるが、上手く言葉が見つからず思考が固まる。


「千尋、自分でやった方が早いんじゃない?」

 真琴が横から口を挟んだ。

「あ、それな」


 千尋が真琴の前に立った。

「じゃあお願いね、久しぶりだからちょっとあがるわ、家事してる時とか真琴がヘイスト掛けてくれないかなとかよく思ってるもん」

「ネットでそういうサービスさがして、自腹で頼みなさい」


 真琴が千尋へ手を向ける。

《迅速付与(ヘイスト)》


 同じ緑色の光が千尋を包んだ。千尋が歩き出す。


 朔は思わず目を細める。速くないし、遅くもない。公園を歩いている人間と変わらない。


 そのまま数歩進み、地面に転がっていた子供のボールを拾う。向きを変える。また普通に歩く。


 走ってきた男の子へボールを手渡した。

「はい」

「ありがと!」


 その一連の動作のどこにも、昨日朔が感じたような危うさがない。足が流れないし、止まるために余分な一歩も使っていない。


「もう一回いいですか?」

 朔が言った。

「いいよ」


 今度は千尋の足元を見る。一歩、次の一歩。歩幅は普通だ。脚の動きも速く見えない。


 ヘイストがかかっていない状態にしか見えない。


 朔は自分が歩いた時の感覚を思い返す。足を前へ出し、地面を踏んだ。次の足を出す。その一つ一つが、普段の感覚より大きく身体を運んでいた。


 速くなりすぎた身体を、どうやって止めるか、どうやって曲げるか、ずっとそこを考えていた。


 千尋を見る。足音が小さい。

一歩ごとに身体が揺れない。

地面を強く蹴っているようにも見えなかった。


「……力が、入ってない?」

 朔が呟く。


 千尋が止まった。

「俺より、力が入ってないように見えます」

 千尋は自分の足元を見て、それから朔を見る。

「だって、歩いてるだけだもん」


 普通に歩く。だが、千尋の歩き方を見た後では、先ほどとは少し意味が違って聞こえた。自分はヘイストがかかった瞬間から、速くなった身体をどう扱うかばかり考えていた。


 進みすぎるなら歩幅を小さくする。止まれないなら早めに速度を落とす。身体が流れるなら、足を踏ん張る。


 全部、速くなった身体を抑えるための動きだった。


 千尋は違う。抑えているようには見えない。そもそも、速くなっているようにすら見えなかった。


「やってみます」


 朔は元の位置へ戻った。

 今度は遅く歩こうとは考えなかった。足をゆっくり動かすこともしない。普段、ヘイストがかかっていない時と同じように、何も考えずに体を動かす。


 身体が少し前へ出すぎた。次の一歩で無理に止めようとせず、そのまま足を出す。一歩。また一歩。


 まだ普段と同じではない。それでも、足に入っていた余計な力が少し抜けた気がした。


 そのまま縄跳びの線の手前まで歩く。そして、止まる。一歩余らなかった。


 朔は足元を見る。


「……今の」

 後ろから千尋の声がした。振り返る。


「ちょっと早いけど、まあまあ普通かな」

「本当ですか?」

「うん」


 朔はもう一度、自分の足を見る。昨日のような速さもない。ただ歩いただけ。


 それなのに、妙に嬉しかった。


「じゃあ今日は、それ練習しよっか」

「歩くだけですか?」

「歩くだけ」

 千尋は当然のように答えた。


「普通に歩けないのに、普通に戦えるわけないでしょ」

 朔は何も言い返せなかった。


「まず、ヘイストかかってても普通に動けるようにならないとね。速く動くのはそのあと」


 朔はもう一度、最初の場所へ戻った。


 昨日は、速すぎる身体をどうにか扱おうとしていた。今日はその速さを使う前に――。普通に歩くことから始めるらしい。




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