第37話 まず、ちゃんと止まれるようになってきなさい
「あなたは多分、Dランクに昇格よ」
真琴の言葉に、朔は一瞬固まった。
「……多分?」
「まだ正式な審査前だからね。でも、今回の実績まで入ればまず大丈夫だと思う」
真琴は端末を操作しながら答える。
ダイアウルフの討伐。
第四階層への階段の発見。そこに今回の上級個体の2体討伐と、未登録区画の発見が加わる。
「ええやん朔! 先に上がるんか!なんかお前は違う思うてたんや」
堂本が嬉しそうに朔の肩を叩いた。
「堂本さんは悔しがると思ったんですけどね」
成瀬が緩んだ表情で言った。
「なんやそれ。朔が上がったからって、俺のランクが下がるわけちゃうやろ。そんな器ちぃちゃっちゃないわ」
二人のやり取りを見ながら、樫村の表情も緩む。
Dランク。夜間学校へ入った目的の一つだったが、思っていたより早かった。嬉しいか嬉しくないかで言えば、嬉しい方に入るのは間違いない。
ただ、いざ言われてみると実感がなかった。もう少し学校で皆と頑張って、そのうえで手に入るものだと思っていた。
「ほな、Dランク昇格祝いも兼ねて祝勝会やな!」
堂本がそう言って、三人を見る。
「朔はこのあと残ってね」
真琴が端末から目を離さず言った。
堂本が朔と真琴を交互に見る。
「なんや、空気重いで、説教でもするつもりか?朔は今日は凄い頑張ってくれたんやで」
堂本がそう言うと、真琴は端末の操作をやめて、堂本の方を真っ直ぐ見た。
「朔のこと気にかけてくれてありがとうございます。頑張ってるのは私もわかってるつもりです。でも、心配なんです」
堂本は真琴の顔をしばらくじっと見て「そうか、そんならしゃあないな」といって、話を終わらせた。
「ほな今日はやめとくか」
「三人で行ってきてもいいですよ」
朔が言うと、堂本は眉を寄せた。
「お前の、昇格祝いもかねてるんやで、四人で倒したんやから四人でやるに決まっとるやろ。つまらんこというな」
「じゃあ、また予定合わせましょう」
樫村が言う。成瀬も頷いた。
「俺もその方がいいです。今日はもう疲れましたし」
「よし、決まりや。絶対やるからな」
三人と別れ、朔はギルドの待合で真琴の仕事が一段落するのを待った。しばらくして真琴がカウンターの奥から出てくる。
「こっち」
案内されたのは、小さな面談室だった。机と椅子が四脚だけ置かれている。真琴は向かいの椅子へ座ると、腕を組んだ。
「で」
嫌な予感がした。
「ヘイスト使ったんだって?」
「……はい」
「初めて?」
「はい」
真琴が目を閉じて、そのまま数秒黙る。
「初めて使ったヘイストで、中衛なのに、トロルと一人で戦ったの?」
「……はい」
真琴は大きく息を吐いた。
「どうだった?」
「着地でよろけて、距離も詰めすぎました」
「他は?」
「視界が身体についてこなくて。あと、止まろうとしても上手く止まれなくて」
「それで?」
「何回か動いてたら、少しずつ慣れてきました」
真琴は一瞬眉間に皺をよせた。
「普通は最初の時点でやめるのよ」
「樫村さんにも、解くか聞かれました」
「何故解かなかったの」
「……もう少しでいけそうだったので」
言った後で、朔は少しだけ視線を落とした。あの感覚を思い出す。速すぎて扱えなかった身体が、少しずつ自分のものになっていく感覚。
いままでどれだけ筋トレをしても見えなかった世界。止まれなかった身体、ぐらついて倒れそうになる体をどうにか制御していく過程。
もう少し。もう一度。そう思って、強敵に向かう感覚。届かなかった領域に、確実に足を踏み入れている感覚がたまらなく心地よかった。
「朔」
呼ばれて顔を上げる。
「ヘイスト、また使うつもり?」
そうだといえば怒られるのかもしれない。でも使わないとはいえない。
危ないやり方なのだと思う。
実際、頭突きを受けて、一歩間違えば死んでいたかもしれない。
それでも。
「……使えるようには、なりたいです」
真琴はしばらく何も言わなかった。怒られると思ったが、真琴は何かを見定めるように朔をじっと見つめた。だが、返ってきたのは小さなため息だけだった。
「まあ、そう言うと思った」
「すみません」
「謝ってもやめるつもりはないのよね。ほんと頑固よね、あんたは」
真琴は椅子の背もたれに身体を預けた。
「すみません」
朔は本心から謝ってるつもりだった、しかし知ってしまったこの感覚をなかったことにはできない。
「私のクラス、付与術士なのよ」
「え?」
朔は思わず聞き返した。
「言ってなかったっけ?」
「聞いてないです」
「今はほとんど使わないけど、ヘイストも使える。自分にかけたこともあるわ」
朔は少し身を乗り出した。
「使いこなせるんですか?」
「高いところにジャンプしたり、ちょっと早足で歩くくらいならね。でも、あんたがやったみたいに、かけたまま近接戦闘なんて無理、というかやろうとも思わないわ」
「そうなんですか」
「それが、ヘイストの常識」
真琴が呆れた顔をする。
「ヘイストは、かければ速く動けて便利、なんて単純な付与じゃないの。身体の動きだけが普段と変わるから、距離感も、重心も、止まるタイミングも全部ずれる」
朔には全部心当たりがあった。
「慣れれば使えるようになりますか?」
「なる人はなる。でも、そういう人は付与術士本人の場合が殆どよ。自分でヘイスト切れるからね、掛けてもらったヘイストを実戦で使おうなんて思う人はまずいわよ」
真琴にそう言われて朔は沈黙した。せっかく見えてきた可能性。実際、ヘイストをかけられた状態を味わって、改めて思った。自分は強くなりたいんだと。
「実戦で慣れようと思うのは、正直イカれてるわ」
先回りして言われた。樫村さんも朔も専業で探索者をやっているわけじゃない。だから、必然的に実戦の中で覚えていこうと思っていた。
「次もトロル相手に練習されたら困るのよ」
「トロルではだめですか」
「ではじゃない」
真琴はもう一度ため息をついた。それから、少し考えるように机を指で叩く。
「一人だけ、心当たりはあるけど」
「心当たり?」
「ヘイストをかけた状態で、前衛やってた人」
朔は真琴を見る。
「そんな人いるんですか?」
「いる。元A級」
A級。思わず姿勢を正した。
「現役なんですか?」
「今は引退してる」
「怪我ですか?」
「子育て、子どもができた時に現役を辞めたの」
真琴はスマホを取り出す。
「昔から運動系は何やっても異常に覚えるのはやくてね。オリンピック選手に選ばれるような人だから、参考になるかは分からないけど」
その言葉に朔は顔を上げる。どこかで聞いた話だった気がする。
「会ってみる?」
真琴が聞いた。
朔は少し考えてから頷く。
「お願いします」
「分かった。聞いてみる」
真琴がスマホを操作する。送信してから、何かを思い出したように顔を上げた。
「あ、一つ言っとくけど」
「はい」
「多分、教えるのはものすごく下手よ」
「……A級なのに?」
「強いのと、人に教えるのは別だから」
真琴はそう言って笑った。
その直後、机の上に置かれたスマホが震えた。真琴が画面を見る。
「あ、返事来た」
「早いですね」
「ちょうど子ども寝かしつけたところみたい」
真琴は届いたメッセージを読んでから、朔を見る。
「明日の午後ならいいって」
「行けます」
朔が答えると、真琴はすぐに返信を打った。
「じゃあ決まりね」
スマホを伏せる。
「ただし、明日は戦い方を覚えに行くんじゃないからね、まず――」
真琴は机越しに朔の足元を指さす。
「ちゃんと止まれるようになってきなさい」




