駄目押し
この神殿には、霊場と呼ばれる神聖なる場所が二つある。
一つは、湖の上にせり出した一室。名を精霊との対面の部屋という。
まるで湖底に根を下ろしたように部屋は水に浸かり、その中に入るには神殿内から続く一本の渡り廊下を進まねばならない。湖の底、土の下を掘り進む手もあろうが、そんな面倒なことはしたくない。
もう一つは、精霊の部屋と呼ばれる神殿の最上階である。
私は精霊術に詳しくは無く、母も魔術師であったが為に基本以外の知識は持っていない。そも、精霊術師自体がこの国には少なく、精霊の存在すら眉唾ものと考える者が大多数を占めているのであるから、この部屋もこの国においてはただの飾りである。
事実、精霊というものを辛うじて捉える事の出来る私にしてもこの精霊の部屋からは何も感じない。
この部屋に精霊は降り立たぬのだ。精霊との対面の部屋も然り、私には精霊を感じることは出来ない。
湖自体には何か得体の知れない気配を感じるが、少なくともこの神殿はお飾りなのである。
よって、私がそれらに近付き、入ろうとしたところで、実際に聖なる場所を穢した事による被害は出るはずもない。
「どうか、どうかおやめ下さい!ここより先は神官以外入れぬ場所、如何に陛下の寵を受けし姫君でも、入る事は叶いませぬ!」
湖へ伸びる渡り廊下を最奥にする回廊の入り口で、私を懸命に引き止めようとするのは神官数名。
妾とはいえ王の寵を受ける姫に許可無き男が手を触れてはならぬ決まりによって、その方法は言葉による説得のみ。手に持った白木の槍を交差させて道を塞いではいるが、私が強引に進もうとすれば傷つけぬためにもそれを下げざるをえまい。
私としても実際に精霊との対面の部屋に入りたいわけではない――ただ、もう妾にしておれぬ、という後押しが必要なのだ。
今のままでも十分、そろそろ妾から外される気配が匂ってくるが、2年が経って周囲の不満も天元突破しそうである。もちろん、私も自由にして戴きたいと望む気持ちが日に日に大きくなっている。何より、恐らくこの療養が最後の一線なのであろう。
私がここで、まさしく心洗われて心機一転すれば国王陛下は私に慈悲を賜り、後宮に戻ることが出来る。血筋は申し分ないのだから。
しかしこの神殿で何か失態をしでかせば、このまま出戻りルート一直線、直帰コースまっしぐら。血筋の良さなど霞む――すでに翳りどころではない状態にある。
「…ヴィオラ様。」
咎める声で私の愛称を呼んだのは、私が苦手としている侍女、侯爵家からついてきたアナベラであった。
彼女は私が何をしても、どうやっても辞めず、あろうことか他の侍女には出来ない私を諫めるという役を買って出ている。だから私は彼女が苦手で、彼女の言葉には渋々従わざるを得ない。
そういった風情で了解の旨を口にしようとしたが、思わぬ邪魔が入った。
「よろしいですよ、ヴィオラ様。陛下の寵姫様であれば、湖の精霊もお喜びになるでしょう。」
声は後ろから、好々爺の顔をした司祭からのものである。
この神殿を国王から預かっている地位にあるだけあって、その貫禄は十分。整えられた白髪と眼鏡の奥で柔和に細められる茶色の目が、どことない威風を感じさせる。
「まあ。司祭様はお話がわかる方でよかったわ。陛下の寵姫である私が、陛下の治める神殿で入れない場所などあるはずがないもの。」
なんという乱暴な理論であるか。唖然とした表情の神官たちを笑顔で黙らせた司祭は、私を伴って精霊との対面の部屋へ歩を進める。
渡り廊下は華奢な欄干が左右にある細い橋の形をしており、水面を見下ろすと歩くたびに微かな波紋が広がるのがわかる。こうして初めて間近で見ると、硬質な色合いをしている湖ではあるが、そのたたえる水は真珠を溶かした様なまろみを帯びている。
細かな粒子が舞うように混ざり合うから、複雑な色を描いているのであろう。
「ああ、侍女の方々は申し訳ございません、その場でお待ちいただけますか。」
ふと後ろを振り返った司祭が、付いてこようとしていた侍女たちに一瞥を投げた。
人を従わせる力を持った声である。門番よろしく、私を通した神官たちは侍女たちの目の前で槍を交差させ直す。
驚いた侍女たちに、私は優越感に満ちた表情で手を払った。その場で待て、との指示である。
しかし、この司祭の意図がわからぬ。
寵姫であってもそれを神聖なる場所に入れるなど、神殿を預かる司祭として正気の沙汰とは思えない。
どこまでも正気に見える司祭だが、まさか頭の方が少々残念になっているのであろうか。
若々しく見えるが、それでも60後半であろう。若くしてそうなる者もいると聞く。
「…ヴィオランジェン様はおいくつでしたかな?」
「…14になりますわ。あと1年で本当に陛下から寵が得られるようになりますの。」
あまりにタイミングよく年齢の話を振られ、一瞬返答に詰まる。
とりあえず、馬鹿っぽく頬を染めて寵を得る…つまり、陛下と夜伽が出来るようになる年齢まであと1年であると告げる。それが待ち遠しくて仕方がない、と。
「そうでしたか。…実は、わたくしは貴方様と一度だけ会ったことがあるのですよ。」
「私と?まあ、いつ?」
私が家を出るまでに会ったことがある人間は父母と使用人、それだけではなかったのか。
内心の驚きをそのままに口に出せば、前を歩く司祭はほんの少し顔をこちらに傾けて微笑んだ。
「貴方様がお生まれになった時です。祝言を授けるという大変光栄なお役目を務めさせていただきました。」
「…祝言を…。」
祝言とは、この国の敬う神々・精霊の残したと言われる偉大なる古語の中にある祝福の言葉である。
解読が済んでいない偉大なる古語も多いが、その中でも意味のわかっている数百の中から、生まれた赤子を祝う為に選ばれる言葉だ。
その子を守り、またその子が奉る神を決める重要な儀式でもあり、それが出来るのは精霊か神々と契約が結べた一部の司祭だけであるという。
つまり、この目の前の好々爺は精霊術の使い手であることに他ならない。
「ええ。貴方様は自由の星の元に生まれている。そのため、わたくしは貴方様に自由の女神の祝言を授けました。…思った通り、神の寵愛を受けてお育ちになったのですね。」
それは自由奔放に過ぎる可哀想な姫君のことを指していっているのか、それともそれを演じている私を指しているのか。
妾姫になったこれまでに出会った人物の中で感じたことのない、父母や家の使用人と似た親愛の情が見えるその瞳に、私は戸惑うしかない。
精霊術という、私の知識の範囲外であるそれを扱う男というだけで、自分がこれまでひた隠しにしてきたわたしが見られている気がするのだ。
想定外の事態に弱いのは、知識だけで経験が伴わない若輩に多い。まさに私はそれであるから、自分から言い出したにもかかわらずこの先の小部屋に入りたくないと思ってしまうのは道理であろう。
私の意思に関わらず、もはや目前に迫ったその部屋に入らないという選択肢は初めから無かったのであろうが。
司祭様は某フライドチキンのカ○ネルおじさん、侍女のアナベラさんは某アルプスの少女のロッテンマイヤ○女史を外見モデルにしています。




