三歩目 本当の幸せ
「そこ! 汚れが残ってる!」
「はいっ!」
僕は雑巾を握りしめ、床を必死に磨いていた。しかし、いくら拭いても終わらない。さっきまで確かに綺麗だったはずなのに、後ろを振り返ると、また別の場所に汚れが見つかる。
「掃除って、こんなに大変だったのかよ。」
冒険者だった頃は、ドラゴンとか魔物を倒して依頼を達成すれば感謝された。けれど、掃除は違う。誰かを倒すわけでもない。特別な力が必要なわけでもない。ただ汚れを落とすだけだ。
正直、最初はそう思っていた。
「何ボーッとしてるんだい!」
「す、すみません!」
「掃除ってのはな、汚れを落とすだけじゃあないんだよ!」
そう言って、僕の目の前にいた掃除のおばさんは、床に落ちていた小さなゴミを拾い上げた。
「ここを使う人が快適に過ごせるようにする。それが私たちの仕事さ。」
彼女はここの宿の掃除を何十年も続けているらしい。僕は改めて周囲を見渡した。綺麗になった廊下、整えられたベッド、磨かれた窓、その全てが、誰かが気持ちよく過ごすために作られている。
(これも、誰かのためになる仕事なんだな。)
その瞬間だった。胸の奥で、何かざわめいている。殻が破れるような……不思議な感覚で。
「はぁ………最近こんなのばっかりじゃないか、今日は枝に引っかかった服取って。もっとこうさ、でっかいドラゴン倒すとかないの?」
まだ冒険者を正式に名乗る前、自称冒険者をしていた僕はオーディスに愚痴った。オーディスは嫌な顔一つ見せずに常に笑顔でやっている。それが逆に気味悪くてしかたなかった。
「ドラゴンを倒すことだって服を取ることだって結果は誰かを幸せにする。手段は違うけど同じでしょ。そりゃあドラゴンを倒せば多くの人が幸せになるけど俺は幸せに数って関係ないと思う。そういうのは自分がチヤホヤされたいっていうエゴでしかないし本当に善行とは言えないんじゃないかな。」
正直このことには賛成できなかった。一度の行いで一人が幸せになるのと百人が幸せになるのならもちろん後者に決まってる。それに自分たちにしか倒せないものを倒せば一番手っ取り早いだろう。
(あぁ、あの時のオーディスはそういう意味だったのか。)
気づくのに時間がかかりすぎた。でも、辛い経験をした今ならわかる。こういう小さな行いでも誰かを幸せにできるということに。
――もっと綺麗にしたい。
――この場所に来る人を笑顔にしたい。
そう強く願った瞬間、目の前に何かがだんだんと現れている。
(この感じ……またか。)
そこには、一枚の仮面が浮かんでいた。手にとってそれを被る。だが鏡を見ると昨日みたく見た目が変わっているわけではない。それでも手段は違えど誰かを幸せにしたい、そういう思いは昨日と変わらなかった。
その後は心構えが一気に変わり、不思議と雑巾を握る力が入った。ただ、さっきまで面倒だと思っていた仕事の先にいる人たちが、今ははっきりと見えていた。それだけじゃない、さっき見えなかった汚れがどんどん浮き上がってくる。
「あんたどうしたん?急に道具の使い方が様になってるわね!」
この気持ちはおばさんにも伝わったようでこの調子で頑張って!と言われた。さらに客にも「頑張ってくれてありがとね。君たちのおかげで快適だよ。」なんて言葉を言ってもらえた。魔物の討伐でも同じ言葉は言ってくれたが今回は違う。自分が苦労したからだろうか乾いた心臓を潤すかの如くすぅーっと染み込んでいった。
おばさんに言われた細かいところまで見る力の影響でどこか床の反射が良くなったような気がする。
「ちょっと待ちな!」
おばさんの声がした。
「その部屋、もう終わったのかい?」
「はい!」
「……さっき始めたばっかりじゃなかった?」
僕も部屋の中を見渡す。
ベッドのシーツはシワ一つなく整えられ、床には埃一つ残っていない。
「……僕がやったんですよね?」
「知らんよ! あたしが聞きたいくらいだよ!それじゃあ休憩入っていいから酒場のとこでゆっくりしてな。」
「おっと、あぶねー。」
すごく滑りやすくなっていて転びそうになった。今酒場に向かって歩いているこの廊下はさっき雑巾掛けをしたところだ。
酒場に近づくにつれて酒の匂いが濃くなっていき、声が大きくなっている。しかし騒がしいというよりも何人かだけが大きい声を出しているというのが近いかもしれない。さらにグラスがパキンッ!と割れる音や客の悲鳴がそこから響いている。
「テメェ俺の服に何してくれてんだ!」
頬を赤くした男性が若い男の人を怒鳴っている。周りを見るとみんなその男にビビっていて何もできていない。すると男が手を出そうとしていた。
「やめろ!」
考える前に声が出て、僕の手には既に勇者の仮面を持っていた。そして顔に近づけようとしたその時誰かの声が聞こえた。
「止めてくれるのはありがたいが殴って気を失うとかするなよな!極力けがをさせないでくれ!」
店主のその声で僕は躊躇った。木刀はないけどこの力だと確実にけがをしてしまう。じゃあ、どうすればいいんだ?思考回路を巡らせると一つの答えへと辿り着いた。同時にこの仮面がすーっと薄れて消えていき、掃除の時の仮面が現れた。
そうか、さっき身につけた道具ならいけるかもしれない!
しかし慣れていないということを忘れていた。雑巾でパンチを止めることはできたが蹴りを入れられてすぐに倒れてしまった。
「掃除用具なんかで俺を止められると思うなよ!」
そう言ってますます暴れ出した。危ない!っとすかさずやられそうだった人をフェニックスが腕を掴んで止める。フェニックスはこれは倒すんじゃなくて捕まえるんだ!と叫ぶ。この時の僕は重要ではあると思ったが何を意図しているのかわからなかった。
倒すではなく捕まえる…………。なるほど、ありがとうフェニックス!
僕はすぐに近くの床を濡れ雑巾で拭いた。そしてフェニックスに離して欲しいと言う。男は僕を絶対に殺すという強い殺気を出しながら向かっている。
(よし、狙い通り!)
あと数歩と言う時男は足を滑らせて壁に手をついて体勢を整えようとした。彼はもう怒りで周りが見えていない。その隙をついてフェニックスが再び男を拘束しているけどもう我を忘れて獣のような目で僕を見ている。ここで恐れてはダメだ。冷静に冷静に。
「これからとっておきを見せてやろう。」
そう煽り、急いで水に雑巾を入れて床を拭く。獣のように男はバッと拘束を解いて走っている。
「同じことをしても無駄だからな!」
「どっちが馬鹿なのかすぐに証明してみせるよ。」
男はすごい勢いで転び何回転もしている。だけどまだ勝ったわけではない、このチャンスを確実なものにするために即座にバケツを頭に被らせて視界を塞いだ。
「た、助けてくれー。」
手足をバタつかせながら言っているが誰一人と同情していない。
「さっき滑ったのを見て、石鹸水ならもっと滑ると思ったんだ。そしたらこの通り。馬鹿だったのはお前のほうだったな!」
話している間フェニックスが掃除用具の中にあったロープを使って腕に結ぶ。そして数分後治安維持官がやってきた。
「ここの人たちを守ってくださりありがとうございます!」
彼だけでなくここにいる全員が僕達に感謝していた。オーディス、この気持ちがよくわかったよ。
じゃあ、休憩時間はもうちょいあるし休むとしよう。フェニックスと一緒に椅子に腰を下ろそうとした時杖をついた僕と同い年くらいの見た目の男がやってきた。
「なぁ、お前さんたち、強いな。」
「えっ、急にどうしたんですか?」
「頼みがあるんだがオレがよくいる闘技場のある選手について調査して欲しいんだ。もちろん金はここよりも多く出す。どうだ?やってみないか?」
僕はようやく冒険者らしい依頼が来て話に食いついた。フェニックスもなんだか嬉しそうな顔でこっちを見てくる。




