商会仮代表エリカテーナ
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貴族社会では、一般的に女がでしゃばるのは悪だと言われている。
政治の話に口を挟んではいけない。男の仕事に手を出してはいけない。女は家を守り、なにがあっても笑顔で鷹揚に受け止める。子を育てて次の世代に繋ぐ。
それが女の役割である。賢さをひけらかすのは愚か者のすることだ──と、エリカテーナは教わってきた。
まぁ、そんなものかもしれないわね、と、思ったものである。
エリカテーナが父の浮気について知ったのは、十五歳の時。デビュタントのための淑女教育を受け始めてから五年後のことだった。
つまり十歳までのエリカテーナは、木の棒を振り回しながら外を走り回るような子供だった。
父には「男に生まれたほうがよかったな」と言われ、母には「ドレスが汚れるようなことはやめなさい」と窘められていた。
父の浮気は、母がエリカテーナを妊娠している最中の、ひとときの火遊びだったらしい。
相手は母の侍女。母が言うには、侍女が主のお手付きにされるのはよくあることであり、主の命令に従ってのこともあれば、侍女が誘惑することもあるという。
侍女というのは良家の子女である場合がほとんどなので、野心を秘めていることも多いそうだ。
母はなにひとつ気づかないふりをしながら、その侍女に結婚相手を斡旋して家から追い出した。
それからなにもなかった顔をして過ごしている。父とその話をしたこともなかったようだ。
それでも母の行動によって父はなにかを察したのだろう、それからは大人しくなったと言っていた。
そこで母が狼狽え、父を責めていたら、きっと家族は壊れていただろう。
そんな話を母からされて、エリカテーナは釈然としないものを感じた。
その辺にあった花瓶を手にしておもむろに立ちあがったエリカテーナを、母は止めた。
『おやめなさい』
そう叱る母は、かなり怖かった。いつも優しくにこにこしている女性の怒りとは、かくも恐ろしいものなのかと、思い知った。
そんなこともあり、エリカテーナはヴァルターに嫁いでからは母の教えをきっちり守っていた。
見知らぬ人と、見知らぬ家。見知らぬ人々の中で過ごすのだ。
もちろん緊張もしていた。嫁いだ時、エリカテーナは十八歳。ヴァルターは二十六歳だった。
年上の男性に憧れはあったし、ヴァルターは見目麗しい紳士だった。
だから余計に、緊張していたのだろうと思う。
初夜もせずに冷たく拒絶されてからは、そんな憧れも粉々に砕け散ってしまったけれど。
ともかく、それでも、嫌なことがあっても、いつも微笑みながらなんでもないような顔をして、楽しく暮らしている──ふりをしていた。
幸いにして、金には全く不自由しなかった。それだけで十分恵まれているといえば、そうなのだろう。
夫は金さえ稼いでくれたらそれでいい──なんて、社交界では密やかに嘯く女も多かったけれど。
でも、それだけではやはり、寂しいものだ。
エリカテーナは色々あったものの恵まれていた。優しい母と可愛い弟が傍にいてくれたからだ。
父についてはよくわからない。兎角、寡黙な人だ。笑うことは少なく、言葉を交わした思い出もあまりない。あんな人でも浮気をするのかと、不思議だった。
女性に愛を囁く姿など想像さえできない。
ヴァルターも同じだ。貿易船に乗り他国で仕事をする彼が家に戻ることは少ない。
その少ない時間、彼はヘンドリクセン家に溜まった支払いや書類の確認などをセドリックと共にしていた。
エリカテーナが寄って行って話しかけても『今は忙しい』などと言われてしまう。
『ヴァルター様は、お元気ですか?』
『見ればわかるだろう』
などと返されて、内心、なんて不愛想な……! と、ぐぬぬ……となったものである。
こんな男でも外で女性に愛を囁いているのだとしたら、よほどエリカテーナが嫌いなのだろう。
もしくは、釣った魚には餌を与えないタイプか、どちらか。
前者なのだろうなという気はしていた。
彼の出自を、エリカテーナは聞いている。貴族の子女で苦労なく暮らしていたエリカテーナを、気に入らないと考えているのは想像するのに難くなかった。
優雅でも、なかったのだが。
母が亡くなる前、領地で疫病が流行り、また、北部で反乱が起こった。
王命で父は軍を派兵しなくてはならず、先代の散財で傾きかけていたヴァルモン伯爵家の財政は切迫してしまった。
従軍した兵士たちに恩賞金を与えると、資金が底をついた。そこに手をさしのべてくれたのがヴァルターである。
彼は時世をよく見ている。ヴァルターの方から父に接触してきて、エリカテーナとの縁談が決まったのだ。
そうして──二年。
「まずは、お疲れ様。よく働いたわね、セドリック」
「は、はい……! お言葉ありがたく思います、奥様」
はじめてヘンドリクセン家の奥方と、ヘンドリクセン商会の仮代表として立つと決意を固めたエリカテーナは、仕事を終えて帰って来たセドリックを出迎えた。
言葉をかけると、やや頬を染めて瞳を潤ませてくるセドリックに、若干の気持ち悪さを感じる。
その姿は冷静な仕事人の面影は最早なく、主人に褒められるのを待っている大型犬のようだった。




