デュアルバ商会
セドリックはザイードと共にセリーヌの病室に向かう。
そこにはすでに、五十歳前後の老紳士が到着していた。
きっちり整えられた口髭と皺ひとつない茶色の三つ揃えのスーツを着ている。
金のタイピンやシャツの時計から見える金時計から、彼の財力を伺うことができる。
デュアルバ商会代表であり、セリーヌの父のジャン・デュアルバだ。
ヘンドリクセン商会で買いつけてきた他国の織物を、デュアルバ商会に降ろしているため、ヴァルターは何度か食事の招待を受けていた。
セリーヌとはそこで知り合ったのだろう。
「これはどういうことですかな、セドリック殿。娘は怪我をしたというのに、ヴァルター殿はお帰りになられたとか」
「もうしわけないことですが、ヴァルター様も怪我をされました。頭を打ってしまったせいで混乱がひどく、先に家に戻らせていただいたのです」
「娘を傷物にしておいて!」
セドリックはできるかぎり、いつもの冷静さを取り戻すように心がけた。
元々セドリックは、気が強いほうではない。
強いのはヴァルターで、セドリックは彼にただ従っていただけだ。
彼の強さはセドリックの憧れだった。
孤児院から逃げようと言われたら怯えながらついていき、養護人たちにみつかり連れ戻され、セドリックのぶんまで折檻を受けるヴァルターを泣きながら見ていた。
ひたすら彼についていったら、ここまで来てしまった。
ヴァルターがいるからこそ、セドリックはなんとか彼の傍で働いてきたが、頼れる兄のような存在がいなくなってしまうと途端に駄目だ。
けれど、少し精神状態が立ち直ってきている。
エリカテーナがいるから大丈夫だと、思えるようになっている。
貴族令嬢だと心の中で馬鹿にしていたくせにと、自分自身の変わり身の早さがもうしわけなくもあるが、しかしエリカテーナがいてくれてよかったと、心底思う。
セドリックひとりでは、この状況をどうにもできなかっただろう。
「そうよ、愛しているって言ったのよ! エリカテーナと別れられないから、私とは結婚できないのですって。私が大切だから、いつもお話をするだけで、朝には家に帰してくれるぐらいに、ヴァルター様は私を愛してくれているのよ」
セリーヌが口を挟み、ジャンは何故かやや狼狽えながらぎろりと彼女を睨んだ。
「黙っていなさい、セリーヌ」
「でも、お父様」
「黙っていなさい」
セドリックは心の中でにんまりと笑んだ。
セリーヌというお嬢さんは、どうにも口が軽そうだ。
体の関係がないという言質がとれた。これでは傷物にしたというジャンの主張は通らない。
ヴァルターは慎重な男だ。情報を聞き出すために甘い言葉は言うが、それは演技である。
そして一晩共にしたとしても、巧みに酒をすすめて酔わせて寝かせるか、優しい言葉をかけて女を先に寝かしつける。
そのまま去ることもあるし、朝まで共にいることもあるが──直接的な接触はしない。
しないはずだと、セドリックは思っている。
それでも別の女と過ごすのだから、エリカテーナにとっては浮気には違いないだろうが。
「どうして、お父様。ヴァルター様は私と結婚してくださるのよ。エリカテーナと別れることができたら。でも、貴族のご令嬢でしょう? なかなか難しいと聞いているわ」
「口を塞げと言っている」
「は、はい」
厳しく叱られて、セリーヌは体を小さくした。
思わぬ修羅場に、ザイードが腕を組んで嘆息する。そろそろ朝の患者が来る時間だろう。
あまり長居して、迷惑はかけられない。
「幸いにして、レディ・サワガ……いえ、セリーヌ嬢も、我が主も大きな怪我はなかったようです。ですが、危険な目に合わせてしまったことに変わりありません。奥様と相談して、慰謝料は後日届けさせていただきます。また、セリーヌ様に主は愛を囁いたといいますが、主は誰にでもそういうことを軽々しく言いますので、あまり本気にされないほうがいいかと」
「な、なんですって……! あなたになにがわかるのよ!」
「ヘンドリクセン商会の代表が、一人の女性だけを一途に愛するとお思いでしょうか。ヴァルター様はなんでも手に入れることができるのですよ」
「でも、愛していると言ったもの!」
「体の関係はなかったのですよね?」
「そ、それは……」
余計なことを、と、言う目でジャンがセリーヌを睨んでいる。
大方、ヴァルターの浮気を理由に大金を慰謝料としてせしめようとでもしていたのだろう。
ヴァルターがセリーヌと交流を持っていたのは、なにかしらの不穏な計画をデュアルバ商会から感じていたからなのだろうが、今のヴァルターでは、引き続きの調査は無理だ。
ここは一度関係を斬ったほうがいいだろうと、セドリックは判断した。
「それでは、後日またお会いしましょう」
そう言い、セドリックは礼をする。
「あまりにも不誠実では」
「どこがでしょうか」
「娘を騙した」
「騙したわけではありませんよ。主は友人として、セリーヌ嬢とつきあったのでしょう。馬車の事故はこちらの責任。慰謝料はお支払いします。怪我で結婚ができなくなった──などの苦情があるとしたら、セリーヌ嬢の相手もヘンドリクセン商会が責任をもってお探ししましょう」
セドリックは淡々と、いつもの口調で告げた。
なんとなく。
なんとなくだ。
他意は、ないけれど。
エリカテーナに「よくやったわね、上出来よ」と、よしよししてもらうことを想像すると、若干興奮した。
セドリックは「では、馬車の片付けがありますので」と、ザイードに挨拶してから退室する。
ジャンの隣を通り過ぎるとき、はっきりとした舌打ちが聞こえた。




