第7話 安形龍
「お前、名前は?」
「……ナミ、です」
どうして私は、この男の車に乗っているんだろう。
ナンバーはもちろん控えた。――いや、そういうことじゃない。
無言でずんずん先を歩かれると、勝手に帰るのもためらわれた。2人きりなのだから、離れればすぐに分かる。
公園から数分歩いた場所に車を停めていた男は、顎で助手席を指し、乗れと促した。
ハシバミツルと何を話したのだろう。
男は私を一瞥するだけで、ほとんど言葉を発しない。
「名前、聞いても」
「龍」
「リュウさんですか……」
会話にならない。というより、会話にするつもりがないんだろう。
無言は嫌いじゃないけれど、今は妙に気まずい。
「ハシバミツルさんの友達なんですか」
「そんな大層なもんじゃねぇ」
「……そうですか」
もはや苦痛になってくる。
こんなにも沈黙が嫌だと思ったのは久しぶりだった。
車が停まったのは、それから約10分後。
私は気まずくて仕方ないのに、リュウはそうでもないらしい。笑いも怒りも浮かべない真顔のままエンジンを切り、こちらを振り向いた。
「降りろ」
返事を待つ気もないらしい。短い言葉は、命令そのものだった。
車から降りてリュウを見ると、私が来るのを待っているのか、立ち止まってこちらを見ている。そそくさと近づき、リュウが歩き出すのを確認して1歩後ろを歩いた。
ロータリーでは女の方が強い立場なのに、そこから離れた途端、男の方が強くなる。
「えっと、リュウさんは、何の仕事をしてるんですか」
汚れたツナギから想像するに、整備士か何かだろうか。
沈黙に耐えられなくなって尋ねると、リュウは少しだけ首を回して私を見た。
「配管工」
「え?」
「……耳悪いんじゃねぇの」
「は!?」
聞き取れなかっただけなのに、いきなり馬鹿にされた。驚いて見上げれば、今度は呆れたような顔を向けられる。
「ビクビクしてんじゃねぇ。うぜぇんだよ、そういうの」
「……」
首筋に手を当てながら、リュウは吐き捨てる。
「……別に、ビクビクしてませんけど」
少し経ってから言い返せたのは、それだけだった。
リュウは目を瞬かせ、私を見下ろす。
「お前、普通に話せ。それができないなら黙ってろ」
「――別にビクビクしてないから!」
「してるだろうが」
「してない!」
「じゃあ隣歩けよ。何で後ろにいんのか意味が分かんねぇ」
本当はビクビクしていたけれど、それを認めるのは癪に障る。
言われた通り隣へ並ぶと、ふっとリュウが笑った。
「最初からそうしてろ」
うるさいな、と言ってやりかけたけれど、初めて表情が変わったのを見て言葉を飲み込んだ。
「どこに行くの?」
問い掛けで不満をごまかす。
「お前でも行けそうな場所」
返ってきたのは、意味の分からない言葉だった。
もしかすると、ハシバミツルは私の年齢を伝えていないのかもしれない。
「私、これでも一応社会人なんだけど」
「見た目の問題だな」
「子供に見えるってこと?」
「……自覚も無ぇのかよ。鏡見てねぇんじゃねぇの」
「何でそんなに刺々しいの?」
「あ?」
駄目だ。さっきよりは会話になっているけれど、まるで楽しくない。
まともに相手をしていたら、すぐに腹が立ちそうだ。
「何でもない」
「喫茶店」
「……え? あ、いや、聞こえてる。何で喫茶店? 開いてないんじゃない?」
こんな深夜に開いている喫茶店なんて、この辺にはないはずだ。
もしあるなら珍しいし、それなりに知られていてもおかしくない。
リュウは答えず、前方に見えてきた建物へ近づいていく。
そこには確かに喫茶店があった。ただし外灯は消え、入り口には『CLOSE』の札が掛かっている。
それを無視して、リュウはドアを開けた。
「ちょっと、閉店って書いて――」
「――どうかしたか?」
私が止めるより先に、中から低い声が届いた。
「オンナ? 安形のか」
「違ぇ」
店内で煙草をくわえた男が、興味深そうに私を見ている。
リュウは私が入るのを待っているのか、ドアを押さえたまま動かなかった。恐る恐る中へ入ると、リュウも後に続く。
「何を飲む? 酒は――駄目だな。飲ませたら都合が悪いんだろう」
厳つい顔の男はリュウを見て、何かを察したように自己完結した。
「紅茶、珈琲、オレンジ。他にも色々あるが、何がいい?」
私への質問なのかリュウへの質問なのか分からず、ちらりとリュウを見る。
「見るんじゃねぇ」
「……リュウが見たかったわけじゃないし」
「さっさと決めろ」
「――じゃあ、紅茶で。お願いします」
少し悩んで紅茶に決めた。いつもならミルクティーだけれど、なんとなく言い出せなかった。
「ミルク? ストレート? レモンも――できるな」
言われてから気づく。そうだ。喫茶店なのだから、ミルクティーくらい頼める。
最初の選択肢になかっただけで、注文に遠慮する必要なんてない。
閉店後というのは、相変わらず気になるけれど。
「あの、ミルクでお願いします」
「茶葉には好みがあるか?」
「ないです」
「分かった」
カウンターの向こうに立つ男は、見た目に似合わない丁寧さで注文を受けた。
ボックス席へ座ったリュウに倣い、私も向かいへ腰掛ける。
しばらく沈黙が続いても、リュウは何の反応も示さない。表情はずっと真顔で、にこりともしなかった。
さっき少しだけ笑ったのが嘘みたいな仏頂面。
しばらく眺めていると、ようやくリュウの視線が私へ向いた。
「見てんじゃねぇよ」
「……じゃあ、何か話してよ」
「知るか」
「なら見る」
「……」
他に何をしろというのだろう。
ハシバミツルはリュウへ会わせるために私を公園へ呼んだのに、当の本人はほとんど喋らない。
観察するくらいしか、やることがない。
「ミツルとどういう関係かは知らねぇが、こんなことは1回きりだ。覚えとけ」
ボックスシートにもたれたリュウは、煩わしそうに言った。
けれど、まるで私が望んでここに来たみたいな言い方に、少し腹が立つ。
「別に私からお願いしたわけじゃない。断れなかっただけだから」
そう言うと、リュウはじろりと私を見て、内ポケットから煙草の箱を取り出した。
20歳未満には買えないはずのものだ。
となれば、リュウは20歳を越えていることになる。
「リュウって何歳?」
「煩ぇな」
「そんなんじゃ、会話にならない」
話したくて話しているわけでもないのに、と文句を言いたくなった。
リュウは明らかに面倒そうで、こっちまで気が滅入ってくる。
帰りたいと思いながらカウンターの向こうを見ると、不意にリュウが口を開いた。
「……お前は?」
低くて耳に残る声だな、なんてどうでもいいことを思いながら、視線を戻す。
「20歳。見えないってよく言われる」
「見えねぇな」
「……目の前で言われると、なんかムカつくんだけど」
「1個上には見えねぇ」
「……は?」
リュウの口からこぼれた言葉に、思わず口が開いた。
「……19?」
「だから何だ」
「本当に? サバ読んでない?」
「読む必要がねぇだろうが」
ということは、リュウは年下。しかも19歳。
この図体で19歳。
「嘘でしょ……」
呆気に取られ、出てきたのはそんなありきたりな感想だった。
世も末だ。
こんな大きな男が19歳で、私みたいな女が年上。
並んで歩けば、年の離れた兄妹にでも見えそうだ。
そういえば、先輩も身長は低かった。
それでもハシバミツルと並ぶ姿は普通に恋人同士に見えたし、何より、ハシバミツルが先輩へ向ける表情を見れば2人の関係は一目で分かった。
思えば私は、先輩の年齢もハシバミツルの年齢も知らない。
「あの、さ。……ハシバミツルって、何歳なの?」
「俺の1個上だから、お前とタメになんじゃねぇの」
「タメ!? あれが!? あの男が!?」
「煩ぇ」
まさか同い年だとは思わなかった。
「何だ、羽柴とも知り合いなのか?」
トレイを片手にボックス席へ近づいてきた男が、私とリュウを見比べる。
「知り合いというか……せんぱ、ハシバミツルの彼女と知り合いで……」
「ああ!?」
突然のリュウの声に、びくりと身体が跳ねた。
何、と顔を上げれば、恐ろしいほど眉間に皺を寄せている。
「な、なに?」
「テメェ、りんごの知り合いか」
「りんごって……あ、先輩?」
さっきまでとは違い、明らかに怒っている。
カウンターの男はそんなリュウを一瞥し、テーブルへグラスを2つ置いた。
私のミルクティーと、白い飲み物。牛乳だろうか。
「鈴子の知り合いが何で安形と会ってるんだ?」
男の問い掛けを無視し、リュウはテーブルを強く叩いた。
「クソッ、ミツルの奴……! 俺を嵌めやがった!」
「落ち着け、安形。あー……アンタ、名前聞いてもいいか?」
「あ、ナミです、けど」
グラスを掴んで一気に飲み干したリュウは、口元を乱暴に拭った。
それから携帯電話を取り出す。
「……出ねぇ」
耳へ当てたまま、力が抜けたようにボックスシートへもたれた。
「行き違いがあったみたいだな。……羽柴にとっては、行き違いじゃないんだろうが」
一連の様子を見ていた男は、同情とも呆れともつかない視線をリュウへ向け、それから私を見る。
「久住だ。ここの店長をやってる。――鈴子の上司に当たるな」
「上司って……?」
「聞いてないのか? 鈴子はここの従業員だろう」
さらりと告げられた内容に驚きながらも、妙に先輩らしいと思った。
喫茶店で働く姿が、すぐに想像できる。
静かで、それでもさりげなく優しくて。
必要以上に踏み込んでこない先輩は、ここにも自然に溶け込んでいそうだった。




