第6話 普通の男
「とりあえず、明日の23時にここに来て」
ハシバミツルはそう言って、私を車から降ろした。
押し付けがましい言葉に不満を漏らそうものなら、何を言われるか分からない。
断ろうとはした。けれど、向けられた瞳に何も言えなくなった、という方が正しい。
結局、私は頷き、不本意ながらもハシバミツルに従った。
コンビニへ寄って飲み物だけを買い、数分間雑誌を立ち読みしてから帰宅する。携帯には着信もメールもなかった。
鉄矢は私に連絡しただろうか。
着信もメールも拒否した私の携帯は、ずっと沈黙を守っている。
一人暮らしの静かな部屋で、携帯を片手に寝転んだ。
――寂しい。
漠然と抱いた感情は、行き場もなくさまようだけだった。
翌日。朝から気分はずっと沈んでいた。
夕方からのバイトへ向かうため、起きて準備を整える。16時には家を出て、バイト先のコンビニへ向かった。
ダメージ加工のデニムに、シンプルなグレーのチュニック。派手さのない格好でコンクリートの道を歩く自分が、ひどく色褪せて見えた。
きっと気分のせいだ。日々が充実していないから、何をしていても楽しくない。
「……嫌だな」
今日の23時。
私は、知らない誰かに引き合わされる。
余計なお世話に他ならない。それでも、あんな暴力的な姿を見せられたあとでは、嫌だと言い切る勇気もなかった。
ハシバミツルが『普通の男』だと言った相手は、一体どんな人なんだろう。
憂鬱になりながら、深く長いため息を吐く。見上げた空には夕焼けが広がっていた。
鮮やかなはずのオレンジ色が、私にはセピアに見えた。
アルバイトが終わって家に帰れば、まずシャワーを浴びる。それから遅い夕飯を食べ、横になってぼんやりする。
そんなつまらない毎日に刺激を与えていたのが、ロータリーだった。
楽しくないから、出会いを求める。
寂しいから、人に会いに行く。
ただそれだけの行動も、大人たちから見れば立派な非行なのかもしれない。
深夜をうろつく若者。紛れもなく、私はその中の1人だった。
バスタオルに身を包み、浴室から出て狭い廊下を歩く。キッチンと呼ぶには頼りない小さな調理台の前に立ち、冷蔵庫を開けた。
2Lのミネラルウォーターを取り出し、蓋を捻る。逆さまに置いていたグラスを取って水を注いだ。
冷たい水で喉を潤し、冷蔵庫の上に置いていた携帯を開く。
「……もうこんな時間?」
約束の時間は、刻一刻と迫っていた。
部屋着のまま行くか外出着へ着替えるか迷い、結局、部屋着の上にパーカーを羽織ることにした。部屋着とはいえ、そのまま外へ出てもおかしくない程度の服だ。
財布と携帯、鍵だけを持って玄関を出る。
公園までの道のりを歩きながら、ぼんやり考えた。
いつから『いってきます』と言わなくなったのだろう。
『ただいま』も口にしない。
玄関で踏み潰していたスニーカーの踵を、途中できちんと直した。いつでも走れるようにしておこうと思ったからだ。
少し歩けば、公園が見えてくる。
昨夜はハシバミツルが立っていたけれど、今日は誰もいなかった。
入り口にある自販機を横切り、人気のない公園内を見渡す。
――あれ、かな。
ベンチへ気だるそうに腰掛けている男が、大きなあくびを1つ漏らした。
違っていたら恥ずかしい。けれど、近づかなければ分からない。
なるべく足音を立てないように近寄り、ごくりと唾を飲み込んだ。
「あ?」
突然こちらを見た男に、思わず1歩後ずさる。
「あの、わた、私……ハシバミツルさんから、来るように言われて」
ものすごく話し掛けづらい。
睨みを利かせる男へ、どもりながらも来た理由を伝えた。
「……おい」
「は、はい」
「ハシバミツルっつったか?」
「……はい」
「チッ」
うわ、舌打ちした。
しかも、何だか目つきが悪い。
どこが普通の男なんだと、ハシバミツルへ抗議したくなる。
「お前、嵌められてんぞ。帰れ」
「……は?」
いきなり意味が分からない。
男は私へ手をかざし、しっしっと追い払う仕草をした。
「ミツルは来ねぇ」
「はぁ……」
「だから帰れ」
「いや、あの」
「何だ」
「それは知ってます。というか、来るとは聞いてない……ですけど」
私の言葉に目を見開き、男は訝しむように目を細めた。続いてポケットから携帯を取り出す。
「待て」
短く告げられ、仕方なくベンチの端へ腰掛けた。
汚れたツナギに、無造作な黒髪。
何気なく見ていた私は、男が電話をするため立ち上がった瞬間、思わず目を見張った。
――でかい。
座っている間は、足が長いとしか思っていなかった。
身長156cmの私と、180cmは優に超えていそうな男。肘までまくった袖口からは、引き締まった腕が覗いている。
やっぱり声を大にして言いたい。
どこが『普通』なんだ。
「――テメェ、ふざけんなよ」
凄みのある低い声で、男は電話の相手へ吐き捨てた。
多分、ハシバミツルだろう。そして、この男は何も聞かされていなかったらしい。
なんとなく状況を理解し、電話が終わったら帰ると伝えようと決めた。
迷惑なのは向こうも同じだ。実際に会ったのだから、ハシバミツルも満足だろう。
一応、これで『借り』とやらもなくなるはずだ。
馬鹿の集まるロータリーは、馬鹿な私には似合っている。
こんな出会いは、どう考えても不釣り合いだと思った。
通話を終えた男が、ゆっくりと私を振り返る。
「――ついてこい」
「……は?」
出てきたのは、素っ頓狂な声だった。




