第3話 売人
金曜日。
鉄矢からの連絡はなく、私はロータリーへ向かった。
鉄矢を探しに行くわけじゃない。これまで土曜の夜は鉄矢と食事をしていたから、そのぶんロータリーへ行かなくなっていただけだ。
鉄矢とどうこうなるつもりもないし、付き合ってもいない相手のことを考えてロータリーへ行かないほど、私は乙女でも勘違い女でもない。
ロータリーのコンビニに入り、飲み物とガムを買う。粒ガムを1つ口に放り込み、コンビニの壁にゆっくりともたれた。
今日も盛況なこの場所で、ぽつりと佇む私へ向けられる視線は少なくない。1人で来ること自体が珍しいのだと、その視線の数から知っていた。
「なにしてんの?」
声を掛けてきた男はキャップを後ろ向きに被り、私の前にしゃがみ込む。眉にはピアス。指にはいくつかの指輪を嵌めていた。
「なにもしてない」
素っ気なく答えると、男はぴくりと顔を歪める。
「そう。暇?」
「今はね。お腹空いたから、ご飯連れてってくれる人探してる」
「……ナミね。お前のことか」
「噂になってるんだって?」
「カナエ君が持ち帰ったって聞いた。それなら話は別。俺には無理だから」
ひらりと背中を向けた男は、そのまま立ち去ろうとした。
「ちょっと待って」
男の言い方がなんとなく気に掛かり、呼び止める。男は「あ?」と面倒そうに振り返った。
「『俺には無理』って、どういう意味?」
「……だから、俺の手には負えねぇって言ってんの」
「どういうことか教えて。カナエがなに?」
「はぁ? お前……」
ぴたりと男が止まる。何かを考え込むように、数秒間黙り込んだ。
「カナエ君に持ち帰られたんだよな?」
首を横に振って否定する。持ち帰りなんてされていない。
「じゃあ、お前は遊ばれたんだな。なんでもねぇ、忘れろよ」
「カナエが何なの?」
「知らねーよ」
そそくさと背中を向けた男は、少し離れた場所で友人らしき男と話し始めた。
一体カナエが何なのか。残った疑問は解消されず、もやもやと胸を曇らせる。
混雑してきたのは、それから20分ほど経った頃だった。
何やら揉めているらしく、ロータリーの端へ人が集まり始める。次第に大きくなる人だかりに興味を引かれ、ゆっくりとそこへ歩き出した。
囲まれているのは誰なのか。
人の隙間から覗き込んだ瞬間、背筋が冷えた。
「……う、そ」
地面に倒れていたのは鉄矢だった。男に押さえつけられ、一方的に責め立てられている。
なんで、と口にしようとして、視界に入った男を捕まえた。
「――ちょっと!」
「うおっ」
ぐい、と腕を引いて人混みから連れ出す。
「何だよ、お前か」
さっき話し掛けてきた男は、私を見るなりため息を吐いた。
そんなことはどうでもいい。
「なんで鉄……カナエがあんなことされてるの!?」
「……知らねぇよ」
目を逸らした男を睨むと、掴んでいた腕を振りほどかれた。
「カナエ君が悪ぃんだろ。最近は嗅ぎ回ってたみたいだしな」
「嗅ぎ回ってた……?」
「ま、ずっと探してたんだろうけどな」
ぼりぼりと頭をかきながら、男が人混みを一瞥する。
「お前、なんも知らねぇんだな。――カナエ君は売人だ」
ヒュッ、と喉が鳴った気がした。
「売、人?」
「大声で言うなよ。じゃーな」
男はすぐに身を翻し、車へ戻っていった。
取り残された私は、鉄矢が気になって無我夢中で人を掻き分ける。
「鉄矢っ」
私の声が聞こえたのか、鉄矢がわずかに顔を向けた。
ようやく人垣の前へ出て、鉄矢を押さえつけている男を見る。
――見たことがある。
この男を、私は知っている。
「吐けよ。なんで探った?」
男は低い声で鉄矢へ問い掛けていた。手には刃物が見えた。
鉄矢は荒く息をしている。このまま放っておいていい状態には見えない。
「や、やめて……」
思わず声が出た。
「あ?」
男がこちらを見る。
「お願い、やめて」
視線を向けられただけで、背筋に悪寒が走る。
「――それ言っていいの、俺のオンナだけなんだよねぇ」
冷たい笑みが落ちてきた。
怖い。それでも、この男が誰なのか思い出した。
「先輩がいれば、いいの?」
「センパイ?」
「柏木鈴子。私のバイト先の先輩」
男がわずかに興味を示す。
いつだったか、先輩を迎えに来ていた男だ。
「……へぇ」
「どうして、こんな……」
「俺のオンナに探り入れてたからさぁ。出てきてやったワケ」
「……先輩に?」
鉄矢は先輩を知らないはずだ。それなのに、どうして。
嫌な予感が浮かぶ。
「私が……寂しいって言ったから?」
そうだという確信はない。けれど、他の理由も思い当たらなかった。
「鉄矢……」
血の気が引いていく。否定も肯定もできないまま、立ち尽くすしかない。
「ねぇ、キミさ。こいつのカノジョ?」
「違う……けど」
「まぁ、なんでもいいけど後よろしく。それからさぁ、目ぇ覚ましたら言っといて」
男はうっすらと笑った。
「――久住は2度と現れねぇ。待っても無駄だって、絶対に伝えろよ?」
私は頷くしかなかった。
「それから、キミの『先輩』にもしどっかで会ったとしても……今日のコトはヒミツにしといて」
「……分かった」
「じゃ、バイバイ」
男は軽い足取りで、その場を離れていった。待たせていたらしい黒いバンへ乗り込み、そのまま消えていく。
残った人混みの中で、小さく『ハシバ』という名前が囁かれていた。
「病院、連れてく」
人混みを掻き分けて入ってきたニット帽の男が、鉄矢へ肩を貸す。
「誰……?」
「カナエ君の知り合い」
鉄矢を支えながら歩き出した男を、思わず睨み付ける。
もっと早く出てきて止めてくれればよかったのに。
「なに? なんか不満?」
「なんで間に入ってくれなかったの」
「入れたらスゲーよ。あれ、ハシバミツルだぜ?」
「誰それ」
「俺が通ってる学校の元センパイ。カナエ君もだけど、ハシバミツルは最近卒業したばっかのセンパイだな」
「……カナエの方がだいぶ年上だよね?」
「名前の売れ方はハシバミツルの方が上だろうな。カナエ君、在学中は大人しかったらしいし。あんま知らねーけど」
ぺらぺらと喋る男へ冷めた目を向けながら、初めて聞く鉄矢の話に少しだけ興味が湧いた。
「ハシバミツルは俺が1年のとき2回目の3年で、話もよく聞いてんだよ。カナエ君は逆にナゾ」
「……そう」
男は鉄矢の車を開け、座席へ休ませた。そのまま我が物顔で運転席へ乗り込み、エンジンを掛ける。
「ついてくる?」
「……いい。帰る」
「近くまで送るかー?」
「遠慮しとく」
駅へ向かって歩き始めても、男は一切止めなかった。
あの男の様子も、どこか妙だった。
薬物を使っているんじゃないか。そんな疑いが頭をよぎる。
ただでさえ売人だと聞かされたばかりだ。そんな相手たちと関わる覚悟なんて、私にはない。
鉄矢を見る限り、表立っておかしな様子はなかった。それでも、売人とつるむ人間へ近づくのが怖いのは本当だった。
――所詮はロータリー。
帰り道で、私は鉄矢からの着信を拒否する設定にした。
脳裏に浮かんだ穏やかな顔に、胸がちくりと小さく痛む。それでも、自分が何かしらの被害を受けるのはどうしても嫌だった。
冷たい女だと思われてもいい。
むしろ、そう思って忘れてくれればいい。
――たまに飯奢るから会わない?
あの笑顔は、とても優しげで、温かみのあるものだった。




