18話
夜、案内された部屋で無機質なベッドに腰を下ろす。
窓のない狭い部屋を照らすのは、天井のはめ込み式ライトが放つ、青白い人工的な光だけ。船底から響く重低音のエンジン振動が、床を通じて足の裏に絶え間なく伝わってくる。地球での静かな夜とは、何もかもが違っていた。
重苦しい沈黙を破ったのは、私の心にずっと引っかかっていた疑問だった。昼間、甲板で平八の後ろ姿を見つめていた時の会話が、鮮明に脳裏に蘇る。
「ねぇ、平八」
「なんだ」
「魔都で拉致事件があったらしいんだけど……平八は何か知ってる?」
「……」
一瞬、部屋の中の空気が凍りついたように止まった。
「平八?」
「……あの場所の連中を引きずり出したのは俺だ」
平八は沈黙のあと、隠そうともせず吐き捨てるように言った。
「昔は文字教えてくれたり優しかったのに……」
ぽつりと小さく漏らした私の言葉に、平八の眉がピクリと跳ねた。
「おい、どーゆー意味だ。返答次第じゃ怒るぞ」
「いやぁ、なんも」
相変わらず容赦のない口調なのに、どこか不器用な言葉の端々に微かな優しさが滲んでいて……まるで、あの地獄のような戦場で互いを頼り合っていた頃の感覚が、少しだけ戻ってきたような気がした。
「ああ、そうだ。重治から桃李を見てないか聞かれた。知ってるか?」
「知らない。夜風にでも当たってるんじゃない?」
「夜風ねぇ……」
そう吐き捨てながらも、平八は壁から背を離すと、無造作にドアノブへ手をかけた。去り際、彼は部屋を出る手前で足を止め、振り向きもせずに言葉を投げかけてくる。
「……冷める前に食っとけ」
平八は無造作に木箱からいくつかの缶を取り出し、机の上にポンと置くと、そのまま部屋を出て行った。バタン、と静かな音を立てて扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
彼の気配が完全に消えたのを見計らって、私はゆっくりと廊下へ出た。重治から頼まれていた通り、桃李を探すために船内を移動し、小さなミーティングスペースのような部屋へと向かう。
扉を開けると、そこにはすでに重治が腕を組んで待っていた。
机の真ん中にぽつんと置かれているのは、ひとつの焼きそばパン。
「何してるの?」
「桃李ホイホイだ」
真面目な顔で返されてしまい、私は思わず脱力してしまう。
なんというか、いつも冷静で切れ者に見えるのに、たまに少し抜けているというか……。
「こんなので来るわけないじゃん」
「そうか?俺と平八は『来る』に飴を賭けたぞ」
「飴って……子供じゃないんだから」
私は呆れて溜息をついたけれど、重治の表情は大真面目そのものだった。
「紫乃は『来ない』にするか?」
「……来るに飴一個」
「なんだ、お前も同じか」
重治はフッと僅かに口角を上げると、ポケットから小さな果物飴の袋を取り出して、その中からイチゴ味のものを一つ私に手渡す。
「よし、隠れるか」
私達は物陰に素早く身を潜め、息を殺してドアの方を見つめた。
重治が真顔で呟いた直後、廊下から足音が聞こえてきた。
「〜♪」
能天気な鼻歌とともに、ガチャリと扉が開く。入ってきたのは期待通りの桃李だった。
鼻をくんくんと鳴らし、机の上の焼きそばパンに目を留めた瞬間、パッと表情を輝かせる。
「うおっ、焼きそばパンじゃん!誰の置き土産か知んないけど、いただきまーす!」
何の疑いもなく無防備に手を伸ばしたその瞬間。
「確保」
物陰から躍り出た重治が、どこから取り出したのか虫取り網をポンッと桃李の頭に被せた。
頭から網をすっぽりと被せられた桃李は、焼きそばパンを大事そうに胸に抱えたまま、目を丸くして固まってしまった。
「なんだよー、重治。人を虫みたいに捕まえて」
「なかなか見つからなくてな、最終手段『桃李ホイホイ』を使わせてもらった」
「なんだよ、桃李ホイホイって。人を虫みたいに言うんじゃねーよ」
「でも、それで捕まるお前は虫レベルと同じだ」
一切の揺らぎもない重治の淡々とした返しに、桃李はぐうの音も出ない表情になる。
スポン、と頭から網が外されると、桃李は髪をくしゃくしゃと整えながら、待ってましたと言わんばかりに焼きそばパンの袋を破った。
「で、そんな焼きそばパンまで用意して何かあった?」
「このまま平八の好きにさせるつもりか」
重治の低い声に、焼きそばパンを一口かじりかけた桃李の手がぴたりと止まる。
「いや、好きにさせるつもりはないけどさ……。つーか、この焼きそばパンどこから持ってきたのさー」
「ああ。桃李の居場所を聞いたら『これでおびき出せ』って渡された」
「はぁ!?」
桃李の驚いた声に重治は眉一つ動かさずに、平然と言い放つ。
「え、ちょっと待って……平八が渡してきたって、どういうこと!?」
私も思わず重治に詰め寄った。
「だって、さっきまで私達を脅して、あんな悪役ぶってたじゃん!なんで急に焼きそばパンなんて差し入れてくるの……?確かにお腹は空いてるけど!」
「焼きそばパンだけじゃないぞ」
重治はそう言って、ポケットから温かい缶コーヒーと緑茶の缶や乾パンを取り出し、机の上にゴトンと並べた。さっき平八が私の部屋に置いていった缶と同じものだ。
桃李は焼きそばパンを持ったまま、呆れたように天井を見上げる。
「あいつ……なんなのさ、マジで。脅迫してきたと思ったらパンと缶コーヒーって、ツンデレの方向性が独特すぎるでしょ」
「あいつなりに、俺達の心配はしていたんだろうな」
重治は平然とした顔でそう言うと、手元にあった果物飴をひとつ私に握らせてきた。
「はい、紫乃。勝ち分の飴だ」
「あ、ありがとう……って、本当にこんな状況で何やってるんだろうね、私達」
(心配してるなら地球に帰らせてほしいんだけど…………)
「あいつが本気で俺達を傷つけるつもりがないってことだけは分かったなー。……バイトのシフトどうしよ」
桃李は焼きそばパンを大きくなじり、モグモグと口を動かしながら言った。
「……無断欠勤になるのは避けたいな」
「頑張れー、お金を稼げー」
「応援の仕方、なんか雑じゃない!?」
桃李は焼きそばパンを頬張ったまま、抗議するように声を上げる。
「こっちは生活がかかってんだよ!紫乃だって学校休むことになったら困るでしょ!?」
「それは……まあ、夏休みの宿題配られないのは困るけど……期末テストは終わったからモーマンタイです」
「……なわけあるかーい!」
桃李は焼きそばパンを口いっぱいに頬張ったまま、容赦ないツッコミを飛ばしてきた。
「期末テスト終わったからオッケーとか、学生の思考回路がお気楽すぎるでしょ!?夏休みまだでしょ!?夏休み入ったら良いけど、まだ入ってないから心配されるよ!?」
「まあ……学校に行けなくなったらミカちゃん達も心配するよね」
圏外だから連絡すら取れない現状が、どこか現実味を奪っていくのを感じながら、私は手に握られたイチゴ味の飴を見つめる。
「おい、三人いるか?……やっぱ桃李は捕まったか」
入口の方から声がした。振り返ると片手にコップを持った平八が階段を下りてくるところだった。
「誰が捕まっただ!焼きそばパンの誘惑に自主的に敗北しただけだし?」
桃李が口のまわりにソースをつけたまま抗議するが、平八は鼻で笑って足を踏み入れてくる。
平八は壁に肩を預け、手に持っていたマグカップを机の端にゴトンと置く。
「ただの食い意地に負けただけだろ」
「敗北は敗北だ。諦めろ」
重治がすかさず淡々と追い打ちをかけると、桃李は「味方ゼロかよ!」と大げさに天を仰いだ。




