12.老人と恩
ピッポはしばらく走るうちに、道の脇に鎮座する大きな切り株を見つけた。通称『憩いの切り株』、樽村からパタフルで一番栄える村・パタフル村まで歩く際の、ちょうど中間地点に存在するモニュメントである。ここまで来たということは、生まれ育った樽村を完全に離れることを意味していた。この先は人生で数回しか訪れたことのない土地になる。ピッポは切り株に座って休憩したくなったが、しかし現実はそれどころではなかった……後ろからラプターの駆けてくる音が聞こえてきていた。しかも複数。
「きっと魔王の子全員が僕を追っているに違いない。奴らは速い、それにバルガロスは何らかの方法で人の居場所を読めるらしい」
ピッポは先ほどの経験からそう思った。
「だから隠れるだけじゃだめだ……回り道でもいいから、パタフル大通りを離れなきゃ」
ピッポはこう考え、道を外れることにした。ピッポは道の脇に広がる土手を下ると、林の中に入っていった。
「止まれ……」
バルガロスが呟くように言った。エルバッドとゲルシュニッヅはラプターの手綱をふるい、直ちに止めさせた。
「ポップスが近い……このあたりで……」
そして彼は右を見た。道の右側には土手があって、その先には林が広がっていた。
「道を外れたな……なるほど、私の能力に気づいたというわけか……そして林の中に入っていったと」
バルガロスは無言でラプターから降りると、土手を少し下り、土手の上の二人に言った。
「この先はラプターには無理だ……そもそも我らはピッポ・ポップスだけに手こずるわけにはいかぬ。私に考えがある」
このあたりで、パタフルとその周辺の地勢について、少々の説明を加えておこう。パタフルにはピッポたちの暮らす樽村のほかにも、多くの町村が存在する。そのなかでも人口が多く栄えているのが樽村、パタフル村、飴村、鞭村だ。まとめて「四大町村」と呼ばれるこれらは、すべてパタフル平野にあり、それぞれパタフル大通りによって接続されている。樽村から東へ10キロ離れたところにパタフル村、その南に飴村、鞭村が位置している。先ほどピッポが通ったあの十字路を南にいけば、飴村と鞭村につく。
ピッポが鴉に導かれ、向かうこととなった「ベッポン街」はパタフル村のさらに東、パタフルの国境を越えた先にあると言われていた。パタフル人はあまり外向的でないので知るものは少なかったが、「ベッポン街」は議会国家アルデマンドの土地である。ピッポは「ベッポン街」がパタフル村の東に位置すること、パタフルの土地ではなく「アルデマンド」の一部であることくらいは知っていたが、具体的な道は知らなかった。とりあえずは魔王の三人の子にみつからぬようパタフル村へ急ぎ、誰かに「ベッポン街」までの道を教えてもらうほかはない、とピッポは考えていた。もちろんエレンを探しながら、である。
ピッポはまずパタフル村にたどり着くべく、林の中を進んだ。しかしあまり知らない土地を、なるべく大通りを使わずに歩くのは至難の業である。ピッポはまたも、道に迷ってしまった。パタフル村に住む友人ポット―と歩いた記憶を頼りに歩いているのだが、いつのまにか方角が分からなくなっていた。奴らに見つかる危険を冒してでも、パタフル大通りに戻るべきか? ピッポはこうも思ったが、それも見つからない。あたりは非常に暗く、数メートル先は闇だ。ピッポはあくびをして、今が真夜中であることに気づいた。
「宴会が始まったのが20時。樽村を出たのが22時過ぎだとすると……いまは0時をまわったころかな」
こう考えると、一日の疲れがどっと押し寄せてきて、ピッポは眠くなった。ペップとパタフル収穫祭を楽しんだのが今日だとは、とても思えない。ピッポは耳を澄ませた……何も聞こえない、あたりは静寂そのものだった。少なくとも魔王の子たちは近くにはいないようだ。ここで野宿する、そんな案がピッポの脳内に浮かんだ。もちろん危険性は承知している。しかしながら、眠気がその上に来てしまうのだった。
「これからずっとあいつらに追われることになるんだ。今のうちに寝てしまえ」
ピッポは決意した。そしてなるべく、見つからなそうな場所を探した。
木の中でも、立派で葉の多いのがあった。ピッポはこの木に登ることにした。ごつごつしていて足場も多く登りやすく、ピッポは簡単に枝の上に座ることができた。なかなか太い枝で、落っこちることはなさそうだ。ピッポはため息をつき、目を閉じると、あっという間に眠りに落ちてしまった。
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ピッポは鳥のさえずる声で目を覚ました。まず木だらけの周りを見渡し、自分が枝の上に寝ていたことに気づき、危うく落ちそうになった。どうして樽村の我が家のふかふか布団に寝ていないのか思い出すのに、ピッポは数秒費やさなくてはならなかった。
「よかった、今夜は見つからなかったようだ。とりあえず下に降りよう」
ようやく状況を理解したピッポはこう思い、地面まで降りた。朝の新鮮な空気を吸い込んだピッポは、とても腹ペコなことに気づいた。考えてみれば、最後にちゃんとしたご飯を食べたのはパタフル収穫祭の昼でのことだった。何か食べようと思ったピッポは、自分がバッグも水筒も、何も持っていないことを思い出した。「こりゃ、まずいな」 ピッポはとりあえず、水の流れを探すことにした。
歩き出すとすぐ、ちょろちょろと水の音が聞こえてきた。間もなく、細い川の流れ、恐らくはパタフル川の支流が発見され、ピッポはごくごくと飲み始めた。パタフル川はきれいなことで知られていたので、大変良い味である。これを飲むと、ピッポはますますパタフル饅頭が恋しくなるのだった。しかしのんびりしてはいられない……依然として道はわからず、追手はどこにいるのかわからないのだから。ピッポは十分な水分を摂取し終えると、顔を洗ってから再び出発した。
ピッポはパタフル大通りを探し、歩き続けた。
空腹をこらえながら数時間歩いたところで、ピッポはようやくそれを見つけた。太陽に照らされて、長く長く、パタフル大通りが広がっていた。ピッポは左右を見渡し、奴らの姿が少なくとも目視できる範囲には認められないことを確認してから、通りに出た。真昼間のはずだが、人の姿は全くない。鳥のさえずりを除けば、あたりは静寂そのものだった。
ピッポは道の端に、看板を見出した。
パタフル村はこちら⇒
⇐樽村はこちら
飴村に向かわれる方はこの先一キロにある分岐点で右に曲がってください
ピッポはこの通りに戻ってきてよかったと思った。というのも彼が今まで向かっていたのはパタフル村の方角ではなく、飴村の方(つまり南)だったのだ。
パタフル大通りはまっすぐ、どこまでも続いており、ピッポははるか遠くまで眺めることができた。魔王の子については、影も形もなかった。こうして鳥のさえずりを聞きながら、自然豊かな、太陽の温かい道にたっていると、魔王の脅威などまるで夢のようだ。
しかし現実はそう甘くない。ここは周囲から丸見えだ、奴らが近くに来ようものなら、すぐ見つかってしまう。ピッポは方角を確認し終えると、速やかに大通りを離れた。
その後もピッポは歩いた。何時間も何時間も、空腹をこらえながら歩き続けた。魔王の子の動きは全くなく、ピッポは逆に不安になったが、今彼にできることはなるべく早くパタフル村を通過し、アルデマンドのベッポン街にたどり着くことだけだったので、とにかく歩き続けた。
気づけばあたりが暗くなってきていた……ピッポが逃避行を初めて24時間が経過していた。つまりピッポは丸一日、何も食べていないことになる。ピッポは今にも倒れそうだと思った……だがその時、ピッポは一筋の煙を見た。誰か住んでるに違いない!ピッポは喜び勇んで走り始めた。間もなく見えてきたのは、古い小屋だった。煙が煙突から出ている。
「ごめんください……」
ピッポは扉の前に立ち、ノックをするとこう言った。すぐに扉が開き、老いた男が出てきた。
「大通りから外れた、こんな辺鄙なところに何の用がある……若いの。早く家に帰るんじゃ」
老人は見たところ80歳をこえているようで、ひげは真っ白、腰も曲がっていたが、その喋り方には芯が通っていた。
「ちょっと事情がありまして……お腹がすいてるんです」
ピッポの言葉は正直あまりにうさんくさく、老人を不審がらせたようだったが、彼はピッポの瞳を見つめるとこう言った。
「……ポッポ・ポップスの息子じゃな。わしの目は何歳になろうと変わらんわ……わしはあんたの父親に借りがある。入りなされ」
数分後、ピッポは小屋の中のテーブルにつき、台所で鍋を煮る老人の話に耳を傾けていた。
「……ポップス殿は冒険好きでの、よくここらの森を散歩しておった。わしは猟師としてこの森を歩いてたから、よく会って話をしたものじゃ。いい人じゃった……今も元気かね?」
ピッポは顔を曇らせ、答えた。
「両親は僕が幼いころに亡くなりました……火事で」
老人は料理の手を止め、無言でピッポを見つめたが、やがて話を続けた。
「あんたの父上は、わしの命を助けてくれたんじゃ。命の恩人じゃ。事故で亡くなるとは……ここ10数年は音沙汰がなかったから、まさかとは思っておったが……何か恩返しをしたかったなあ」
「父はどうやってあなたを助けたんですか?」
ピッポが尋ねる。
「あれはわしが57の時。わしはあの日、信じられぬほど……この家ほどあろうかという巨大な熊にあってしまった。勿論、わしは猟師じゃ。熊にあった時の対応も知っとる。だが、あれは大きすぎた、わしは逃げた。だが木の根に躓き、転んでしまった。熊はまっすぐわしにつかみかかってきた……もう駄目かと思ったよ」
老人はピッポに山盛りのシチューを差し出し、自分も席に着くと話を続けた。
「その時、あんたの父が来た。彼が斧を一振りすると、……もう熊は死んでいた。わしは驚いたよ。ポップス殿は熊の死体を尻目にわしを助け起こすと、斧を私に返した(それは私が取り落とした物だった)。だが忘れられんのは、わしが感謝を言った時の彼の言葉じゃ。
『いえ、人助けをするのは当然のことです。誰も一人では生きられませんから』
本当に素晴らしい人じゃった。人として完璧だった。まさか早逝されるとは……」
老人は言葉を失って沈黙した。ピッポも自分の親がどんな人だったのか初めて知らされて、黙りこんだ。小屋は静寂に包まれた。
「……まあ、それはそれとしてじゃ」
静寂を破ったのは老人だった。
「わしが知りたいのは、なんでポップス殿のご子息がこんなところにいるのかじゃ。パタフル村に行くなら、大通りを行けばいいのじゃよ。なぜ、こんな森奥に」
ピッポはその理由を正直に話すべきか大いに迷った。エレンには、魔王やゼズノゴールのことは気軽に他人に話すなと言われていた……パタフル人は話しても信じないだろうし、むしろ無駄な混乱を招く可能性もあるからだそうだ。だがピッポはなぜだか、この老人なら信じてくれる、助けてくれると思った。
ピッポはこれまでのことを簡潔に話した。ゲルシュニッヅの襲撃、エレンという男について、自分がパタフルを離れなければならないこと……話を聞き終えた老人は深く考え込み、そして呟いた。
「そうか……パタフルまでも、暗黒軍に狙われているのか」
ピッポは一寸驚いた。
「あなたは暗黒軍……ゼズノゴール暗黒軍のことを知っていたんですか?」
老人は頷き、言った。
「知っていたよ。それを教えてくれたのも、君の父上だった。旧い友人から聞いたと言っていたよ。その危険性を民に知らしめねば、とも言っていた、結局詳しい話は聞けずじまいだったがね」
ピッポは皿に残ったシチュー(もう三杯目)をすすりながら考えた。
「僕の父さんはいろいろ知ってたんだなあ。旧い友人とはだれのことなのだろう、ペレン・ポップスのことも知っていたのかな?」
老人はピッポが三杯目を完食するのを見届けると、言った。
「ところでピッポ殿。もう夜も遅い、今夜は泊まっていかないか」
ピッポはこのありがたい誘いに乗りたかった。布団が恋しかったのだ。だが……
「ありがたい誘いですが、僕は出立します……さっきも言った様に、ぼくは追われる身です。ぼくがいると、あなたまで奴らに狙われてしまう。それにぼくは昨日たくさん眠ったのでまだ頑張れそうです。夜のうちに、この森を越えようと思います」
「そうか。残念だが、仕方ないか……ではせめてもの恩返しとして、あんたに少々の贈り物を授けよう。少し待っていてくれんかの」
老人はこういうと、扉を開け、奥の部屋に入っていった。間もなく老人は大きな麻袋と水筒を持って戻ってきた。
「この袋の中にはいくらかの食料が入っとる。多いとは言えぬ量じゃが、少なくともパタフル村までは持つじゃろう。それから」
老人は服のポケットから何か取り出した。それは小さな袋で、老人が開けると中には黒い石が何個か入っていた。
「これは『煙石』と言って、強い衝撃を与えると、自然に煙を発生する。パタフル大森林の奥深くでのみ発見される、とても珍しい代物じゃ。手放したくはないが……君の方がわしよりこれを必要としているのは確かじゃ。万が一、奴らに襲われるようなことがあっても、こいつらが少しは時間を稼いでくれるじゃろう」
ピッポはこれらの贈り物をありがたく受け取り、繰り返し礼を述べた。『煙石』は金のペンダントと共に、ポケットにしまわれることになった。
「これで父上からの恩を少しは返せたかな」
出発直前、玄関口に立ったピッポに老人は言った。
「十分すぎるくらいです……本当にありがとうございます。僕の父も喜んでると思いますよ」
ピッポがそう言うと、老人は不器用に笑った。ピッポは会釈をし、老人の家を後にした。老人はピッポの姿が見えなくなるまで、見送り続けた。




