春を背に
全てを終え、雪那たちは地下空洞の天井に空いた穴から外へ抜け出した。
妖魔たちが城下へ姿を現せば、混乱は避けられない。それを見越し、一行は秋叡王の提案で、人目のない小高い丘へと場所を移していた。
丘へ辿り着くと、温かな春の香りを運ぶ風が頬を撫でる。
人気のない高台から見下ろせば、長い夜が終わりを迎えたように、頭上には穏やかな青空、城下には麗らかな春の国の景色がどこまでも広がっていた。
地下空洞での出来事との余りの落差に、雪那は思わず空を見上げ、小さく息を吐く。
「……春の国は、変われるでしょうか」
「人間だけの国であった期間が長い分、新たな王が選定されても混乱はあろう」
「……そう、ですね」
選定される王は、きっと人間ではない。
春の国の王や、何も知らない民は、きっとすぐには受け入れることは出来ない。
「だが、大丈夫じゃ。お前や春狼王の心があの武官達に通じたように、きっと上手くやっていける」
「……はい」
雪那は春狼王が眠っていた地下空洞の方を振り返る。二百年という永い孤独。崔冥の歪んだ願い。そして最後に見せてくれた、あの穏やかな笑顔。
「どうか……春狼王様と崔冥様が願った、優しい国になりますように」
誰に届くでもない祈りを、小さく零す。吹き抜けた風が、その願いを攫うように空へ舞い上げた。
その時だった。
大きく風を切る音と共に、明るく爽やかな南風が吹いた。
春の柔らかさとは違う、夏の息吹を含んだ白南風。陽だまりと果実、それから南国の花を思わせる甘い香り。
雪那が顔を上げると、空から二つの影が降りてくる。
「あれは……!」
「痺れを切らしてやってきたか」
冬竜王が空を見上げて、顔を顰める。
藍色の髪を風になびかせた炎竜王が、蓮華を抱えたまま地面へ降り立った。
「雪那!!無事か!!」
「炎竜王様!蓮華様まで……!」
勢いよく駆け寄ろうとした雪那よりも早く、蓮華が炎竜王の腕から飛び降りる。
「雪那様!」
赤い髪を揺らしながら駆け寄ると、そのまま雪那を強く抱き締める。
「ご無事ですか!?お怪我は!?どこも痛くありませんか!?」
「はい、大丈夫です。なぜ春の国に?」
雪那は久しぶりの再会に笑みを浮かべる。その笑顔を見た蓮華は安心したように胸を撫で下ろす。
「冬竜王様から春の国との国境を……って、あら……雪那様、その髪……!」
雪那から身体を離し、言葉の途中で蓮華はふと雪那の髪へ視線を移し、目を丸くした。
長く美しかった白銀の髪はもう無い。陽光を受けて艶やかに輝く濡羽色の髪が風に揺れていた。
雪那は少しだけ照れくさそうに毛先へ触れる。
「……はい。治癒術式を、失いました」
その言葉に蓮華は一瞬だけ表情を曇らせる。けれどすぐに、柔らかく微笑んだ。
「とても、お似合いですわ。白銀のお髪も素敵でしたけれど、今の雪那様も、とてもお綺麗です」
夏の国に滞在していた時も、蓮華はこんな風に雪那を褒めてくれた。蓮華に褒められると、この髪を、愛していいものだと実感できる気がした。
「ありがとうございます、蓮華様。久しぶりにお会い出来て嬉しいです」
「えぇ。わたくしも」
そのやり取りを見ていた炎竜王が、冬竜王と秋叡王に視線を向ける。
「無事なら良かった!!……で、終わったんだよな?」
「あぁ」
「あの、何故春の国に?」
先ほど蓮華が途中まで言葉にしていた続きを促すと、炎竜王はニッと太陽のように微笑む。
「冬竜王に頼まれてな。もし春の国が武力行使に出るようなら、俺が押さえ込む段取りだった。」
「え?」
「……念の為だ」
雪那が驚いたように冬竜王を見上げる。
春の国が雪那を捕え、武力行使に討って出る可能性は確かにあった。途方もない数の人間を犠牲に。
きっと、そうなったら戦になる前に制圧する計画を、冬竜王は頭の中に思い描き、炎竜王にまで協力を仰いでくれていたのだ。
他の誰のためでもない、雪那のために。争う道ではなく、たった一人で春の国に立ち向かった雪那の意思を守るために。
炎竜王が、不意に首を傾げる。
「……ん?」
雪那から漂う気配を改めて見つめる。そして次の瞬間、大きく目を見開いた。
「おい冬竜王……何だ、この気配……」
雪那が首を傾げる。炎竜王は信じられないものを見るように大きく目を見開き、何度も二人を見比べる。
「まさか……血の契りを結んだのか!?」
「あぁ、そうだ」
「お前が!?」
辺り一面に響き渡るような大声だった。
すぱん、と秋叡王の杖が炎竜王の頭を叩く。
「お、翁!」
「そんな大声出さなくても聞こえとるわい」
炎竜王は叩かれた頭を押さえながら秋叡王を見る。呆れたような顔をする秋叡王に怒りを抱いていないあたり、やはり秋叡王が格上なのが窺える。
冬竜王は腕を組んだまま、愉快そうに鼻で笑った。
「まぁ……雪那様、おめでとうございます」
蓮華が両手を口元に当てて驚いたように微笑みながら雪那を祝福する。
「蓮華様、ありがとうございます」
「何だ、その顔は」
「いや、お前が人間と番になる日が来るとは思わなかっただけだ」
炎竜王は豪快に笑いながら肩を竦める。その精悍な顔立ちは、人間嫌いで有名な冬竜王の番成立を祝福していた。
「……お前達もそうだろう」
「あぁ。だが私たちは元々そのつもりだったからな」
「いいえ。冬竜王様。わたくしが口説き落としましたのよ」
冬竜王は炎竜王と蓮華を同じように見比べる。蓮華からは、炎竜王の魔力の気配が滲み出ている。
「こやつはな……豪胆に見えて肝心な時に決めきれん男だからな。蓮華も苦労するじゃろう」
「ふふ、そういうところが愛らしいのですわ。秋叡王様」
そのやり取りに、暁杜が吹き出し、氷雅も白狐も静かに笑みを浮かべる。
雪那も思わず笑ってしまう。そして、夏の国の水路のそばで交わした会話を思い出す。
心を全て明け渡した顔で、炎竜王と共に生きていく覚悟を語った蓮華。その願いが、ついに叶ったのだ。
「蓮華様。おめでとうございます」
「ふふ。雪那様も。これからは番同士、ずっとよろしくお願いしますね」
あれほど死を覚悟していたはずなのに、今自分は大切な人達に囲まれて、こうして笑っている。
隣を見ると、冬竜王の深紅の双眸が、優しく蕩けるように雪那を見つめる。
春は終わった。
二百年続いた春の国の悲劇も、崔冥の願いも、春狼王の孤独も。
すべてを乗り越えた先で、雪那は冬竜王と共に、新しい季節へ歩き出す。




