血の契り
冬竜王の腕の中で、零れ落ちていく命を抱えながら、雪那の最後の葛藤が溶けていく。
「お前が、俺の生きる理由だ。だから、お前も俺を選べ」
それはあの日、雪那に生きる理由と、終わりの瞬間を約束した冬竜王がくれた言葉。
『俺のために生きろ。俺が、お前の生きる理由だ』
嬉しくて、苦しくて、どうしようもなく幸せで、涙が滲む。
「……私も。私も、あなたと一緒に、生きていきたい」
竜は生涯に一度しか番を選ばない。永い命の中でただ一人だけを愛し続ける。
人間を嫌い、遠ざけ続けた冬竜王の、その永遠の孤独と空白を埋める、ただ一人。
冬竜王は雪那を抱き寄せたまま、心から満ち足りた笑みを浮かべる。
「俺の命を、雪那に捧げる」
深紅の双眸の奥から、蕩けるような喜びが溢れ出る。
そして、雪那の耳元に口を寄せる。
「我が真名は――」
誰にも聞こえないほどの小さな声で、その名を囁いた。
真名。それは竜が、生涯でただ一人にしか明かさない名前。
雪那にだけ捧げられる、冬竜王の魂そのもの。
冬竜王は、自らの手首へ牙を突き立てる。白い肌を裂いて溢れた鮮血が、雪那の唇の前へ差し出される。
「飲め」
「……血を?」
「あぁ。お互いの血を交わらせる」
雪那が溢れ出る血を掬うように、そっと口に含む。命そのものを流し込まれているようだった。
雪那が僅かにそれを飲み込むと、冬竜王はそのまま雪那の首筋へ顔を寄せる。
「……いいか?」
「はい」
壊れ物へ触れるように、白く細い首筋に、そっと牙を沈める。
鈍い痛みと共に溢れ出た雪那の血を、優しく、愛おしむように、冬竜王は大切な宝物を扱うように舌先で掬い取った。
その甘美な血を、冬竜王が飲み込む。冬竜王は雪那を抱き締めたまま詠唱を始める。
「我が真名に誓う」
冬竜王と雪那の身体の下に、氷の結晶のような紋様が広がり、蒼い光が立ち昇る。
「我が命を分かち」
光が雪那を包む。
「我が時を分かち」
身体の中から零れ落ちて、尽きかけた命が、再び満ちていく。
「我が夜を分かち」
二人の血が、魂が、運命が絡み合う。
「その魂を我が魂と結ばん」
冬竜王の身体から溢れ出した膨大な魔力が、地下空洞を満たしていく。
深海の底を思わせる蒼い輝きは、二人を中心に渦を描き、足元へ広がった氷晶の紋様を次々と灯していった。
凍てつく魔力が大地を這い、足元の結晶が花開く。無数の氷の華が咲き連なり、地下空洞は一面の氷原へと姿を変えていく。
天井からは蒼白い結晶が降る。それは光を受けて静かに輝きながら、二人の周囲をゆっくりと舞う。
雪那の身体が淡く光る。濡羽色へ変わった髪が蒼い光を映し、夜のような艶を帯びて揺れた。
王石を失い、奇跡を失い、崩れかけていた雪那の身体に、冬竜王の魔力が根を張っていく。
凍てつくような魔力が血と共に巡り、指先の一本一本まで満たしていく。
魂が震える。冬竜王と同じ時を歩む存在へと生まれ変わっていく。
蒼い光が降り注ぎ、地下空洞を埋め尽くす氷晶の輝きの中で、二人だけが世界から切り離されたようだった。
やがて冬竜王の魔力が雪那の奥深くまで満ちる。
魂と魂が結び合わされる感覚と共に、血の契りは交わされた。
冬竜王は雪那の額へ静かに口付ける。
「共に生きよう」
消えかけていた雪那の命の灯が、その言葉に応えるように再び燃え上がった。
「……ずっと、一緒ですか?」
「あぁ」
雪那はその言葉を噛み締め、破顔する。身体の隅々まで命が満ちているようだった。
「まさか、血の契りを結ぶとはのう」
見守っていた秋叡王達が近付き、蒼い光が星のように落ちてくる光景を見渡す。
「そうなると思ってましたよぉ。いつ覚悟を決めるのか冷や冷やしましたけどねぇ」
「陛下、おめでとうございます」
暁杜は手を広げてその光を浴びるように受け止め、ニコリと笑う。
氷雅が冬竜王の傍に膝をつき、感極まったように頭を下げる。
「雪那様、ご無事ですか?」
「白狐さん……はい、大丈夫です」
「良かった。ご無事で、本当に良かったです」
白狐は涼しげな目元を綻ばせ、雪那の無事と、血の契りを交わしたことを心から祝福する。
「雪那、よくやり遂げたな」
「秋叡王様、来てくださり、本当にありがとうございました……ですが、春狼王様を、救うことは出来ませんでした」
秋叡王が杖をつきながら、雪那と冬竜王に歩み寄る。
春狼王を救えなかったことを心の底から悔やみ、深い喪失感に苛まれる雪那を安心させるように微笑む。
「いいや。春狼王は救われた。お前さんのおかげで、あやつはようやっと終わりを迎えられた」
「……はい」
「あれしか方法はなかった。お前さんの選んだ方法が、最善じゃった。だから、悔やむな。春狼王もそれを望まん」
雪那の胸に残る唯一の傷を、秋叡王は慈しむように包み込んだ。
秋叡王も冬竜王も、他の誰にも、あれ以上の終わりを春狼王に贈ることは出来なかった。




