約束の先へ
天井から石片が落ち、地面が低く唸るように震え続けていた。春狼王の胸元で脈打つ王石の光は、先程よりも明らかに強くなっている。
「でも……私も王石を持っています」
「お前に宿る王石は、元は私の王石だ」
春狼王の胸元で光る王石と、全く同じ色の王石を雪那は衣の上から押さえる。
「崔冥が私の王石を砕き、人へ移した。同じ王石だからこそ、お前だけが壊せる」
「……私しか、いないんですね」
その言葉に、冬竜王が振り向く。雪那が、何を決意して、何を手放そうとしているのか、冬竜王は正しく理解していた。
冬竜王の大きな手が、雪那の手を握り締める。
「駄目だ」
「……冬竜王様」
紅い瞳が真っ直ぐ雪那を見つめる。その眼差しにあるのは怒りではない。痛みだった。
雪那がこれまで背負わされてきたもの、そしてこれから背負うものを、冬竜王は受け入れられない。
「お前は十分背負った。これ以上は、もういい」
春狼王の王石が砕ければ、元を同じくする雪那の王石もまた消える。そうなれば雪那に残される時間も僅かになる。それをここにいる誰もが理解していた。
だからこそ冬竜王は雪那の手を離さない。離してしまえば、本当に失ってしまう気がした。
雪那は唇を強く噛んだ。嫌だった。怖かった。
やっと生きたいと思えたのに。冬竜王と、もっと一緒にいたかった。もっと色んな景色を見たかった。
冬竜王の隣で、まだ知らない世界を見てみたかった。
あの日までの自分なら、こんなことで迷わなかった。死ぬ理由が出来たことに、喜んで命を差し出していたはずだ。
けれど今は違う。生きたい。もっと生きたい。
その願いが胸の奥から溢れてくる。喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
気付けば、涙が頬を伝う。
「っ……全部終わらせて、あなたの元へ帰ると、約束しましたね」
けれど、口から出たのは願いとは真逆の言葉。
冬竜王の氷の瞳が揺れた。雪那は泣きながら笑う。
「終わらせて、帰りましょう。一緒に」
地下空洞を埋める桜吹雪の中、冬竜王は涙で溶けそうな灰色の瞳を見つめる。
崔冥が二百年守った国がある。春狼王が、自らの力と引き換えに捧げてくれた安寧がある。
そして今、自分にしか出来ないことがある。
冬竜王の手には、雪那の震えが伝わっていた。
死への恐怖も、春狼王の王石を壊す恐怖も、全て呑み込み、それでも前を向く雪那の姿に、冬竜王はあの晩を思い出していた。
もう逃げたくないと、震えながらも決意を口にした夜を。
「……あぁ」
「私は、そのためにここへ来たんです」
崔冥に壊された身体、心、人生。冬竜王との出会い。春狼王と繋がった王石。全てがここへ繋がっていた気がした。
冬竜王は、雪那の選択を守るため、絡めていた指を静かに解く。
地下空洞の揺れは、今にも崩れ落ちそうなほど大きくなっている。
「雪那!!早くしろ!!その男の石を壊せば、この揺れも収まるんだろう!?」
武官達に囲まれた春の国の王が、パラパラと落ちてくる石片に塗れながら、情けない声を上げる。
雪那は、グッと拳を握り込む。安全な場所で、誰よりも春狼王の恩恵を受けていたはずの春の国の王に、燃えるような怒りが浮かぶ。
「陛下。このお方は、春の国をずっと守ってくださっていたんですよ」
「崔冥とその男が勝手にやっていたことだろう!!私には関係ない!!私に意見するな!!崔冥の操り人形如きが!!」
「貴様ら……」
地下空洞の温度が、一瞬で下がる。冬竜王の足元から冷気が広がり、石床が白く凍りついていく。
春の国の王が、心臓が押し潰されるような圧迫感に息を呑んだ。
「ひっ――」
「……お主たちは、この場には役不足じゃな」
冬竜王の冷気が届くより先に、誰よりも早く動いたのは、秋叡王だった。
冬竜王が怒りのままに武官達と春の国の王をまとめて氷漬けにするより早く、冷たい石の床に、手にしていた杖を叩きつける。
「な、なんだ!?床が光って……おい、やめろ!!お前達、私を守れ!!」
「全て終わるまで、眠っておれ。これ以上口を開けば、儂もそなたらを許すことが出来ん」
杖を中心に眩い光が地を這い、王と武官達を包み込む。
ガシャンと、意識を失った武官達が手にしていた武器が、床に落ちる音が地下空洞に響き渡る。折り重なるように膝をつき、次々と深い眠りにつく。
「秋叡王様……申し訳ありません」
「雪那が謝ることではない。さぁ、行け。もう時間がない」
こんな人間達に対しても、殺さず、眠らせてくれたことに、雪那は秋叡王に深く頭を下げた。




