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死ねない私は、竜王様に囚われる  作者: ゆきだるま


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冬の国の熱気

次の日、雪那は毛皮のついた厚い外套を頭まですっぽり被り、白狐に連れられて城のバルコニーへ出た。


外へ出た瞬間、凍てつく空気が頬を刺し、思わず肩を縮めた。分厚い毛皮を羽織っているのに、吐いた息が白く滲み、指先までじわじわ冷えていく。


また、連れて来られた時のように誰かに抱えられて飛ぶのだろうか。そう思って身構えた時だった。


城の上空から、黒銀の馬車が降りてくる。


「……馬車?」


馬車を引いているのは、背に大きな翼を持つ白馬だった。翼を大きく羽ばたかせ、雪那達の前に着地する。


「雪那様、どうぞ中へ」


白狐に手を引かれ、中へ入る。扉が閉まった瞬間、外気が遮断され、雪那はほっと息を吐いた。座席へ腰を下ろしながら、辺りを見回す。


「羽雲は?」


「あの子は飛ぶのが好きですから」


窓の外を見ると、羽雲は既に上空を駆け回っていた。白い翼で雪を巻き上げながら、楽しそうに飛び跳ねている。その姿に、雪那の頬が少しだけ緩む。


直後、ふわりと身体が浮いた。


「……っ」


馬車が空へ浮かび上がる。けれど、不思議なほど揺れは少ない。静かな浮遊感だけが身体を包み込み、そのまま馬車はどんどん高度を上げていく。


やがて、麓へ降りる頃には、積もる雪も少なくなっていた。


馬車が完全に停止する。降りる支度を整え、扉を開けようとした白狐が、雪那へ向き直った。金色の瞳が静かに細められる。


「雪那様。貴方様の髪は、見る者が見れば価値が分かります」


雪那は反射的に、外套の内側で銀髪を押さえた。出発前、白狐が念入りに髪が出ないよう、後ろで結い上げてくれた、その意味。


「喉から手が出るほど欲しがる者もおります。決して私と羽雲から離れないでくださいませ。誰に声を掛けられても、ついて行ってはいけません」


穏やかな声だったが、その真剣な眼差しを受けて、雪那は小さく頷いた。


馬車を降りる。さく、と薄く積もった雪を踏み締めた途端に、賑やかな声が耳へ飛び込んできた。


そこは大きな活気ある市場だった。獣耳を持つ獣人。角の生えた妖魔。人と変わらぬ姿をした者もいる。様々な種族が入り混じり、通りは活気に満ちていた。


肉の焼ける香ばしい匂い、野菜を売る声。笑い声と、たまに混ざる怒声。


行き交う人々の熱気に、雪那は落ち着かない気持ちで周囲を見回した。こんな風に、人々が笑い、言葉を交わす場所へ来たことなど、ほとんどなかった。


「こちらは交易区です。ここで揃わない物はありません」


白狐が歩きながら言う。雪那はその隣を離れないよう、小さく歩幅を合わせた。


途中、人間の姿も見える。春の国では、妖魔は恐ろしい怪物として語られていた。けれどここでは、自然に溶け込み、店を開き、笑い、言葉を交わしている。その光景が不思議だった。


白狐は慣れたように店を周り、雪那が暮らして行く上で必要な物を次々と手に取る。


「こちらの布地の方が暖かいでしょう」


「はい、暖かいです」


「靴は窮屈ではありませんか?」


「だ、大丈夫です」


聞かれるたび、雪那は戸惑う。自分で物を選んだことなどなかった。何が欲しいのか。何を選べばいいのか。分からない。白狐の問いに答えるだけで精一杯だった。


一通り買い物を終えた頃には、雪那は初めての心地よい疲労感に包まれていた。白狐が飲み物を買いに行ってくれている間に、広場の端へ腰を下ろし、買ってもらった肉饅を両手で持つ。


ふわりと湯気が立ち上る。一口齧ると、熱い肉汁が口いっぱいに広がった。


「……おいしい」


羽雲がねだるように雪那の膝に頭を乗せてくるので、一口分を取り分けて、食べさせようとした。


「お姉さん」


幼い声が、後ろから掛けられる。口を開けていた羽雲が、ピクリと耳を立ち上げる。顔を上げると、小さな妖魔の子供が立っていた。にこにこと無邪気な顔で近付いてくる。


「とっても良い匂いがするね!」


雪那はぱちりと瞬き、良い匂いと言われたであろう、手元の肉饅を見る。


「そこの露店に…」


そう言って、肉饅を買った露店を指差した瞬間、羽雲の低い唸り声が響く。これ以上、近付くことは許さないとでも言うように、一瞬で前へ躍り出る。鋭い牙を覗かせ、妖魔を威嚇していた。


「羽雲?」


「雪那様」


後ろから白狐の声が落ちた。飲み物を手に戻ってきた白狐は、状況を見るなり眉を寄せ、羽雲に並ぶように雪那と妖魔の子どもの間に立つ。


「こいつは、人を攫って食べるのが好きな妖魔です。見た目に騙されてはいけません」


雪那の身体がぴたりと固まった。妖魔の子供はこの状況でも悪びれもせず笑う。


「えー。折角上物を食べられると思ったんだけどなぁ」


「私が誰だか、分かっていますね?」


「ふふ、冬竜王様の侍従に逆らうような命知らずではありませーん」


おどけているようなのに、その目はギラリと嫌な光を帯びていて、その視線に、雪那の背筋がぞくりと冷えた。


妖魔は肩を竦め、そのまま人混みへ消えていく。


馬車の中で白狐に言われた言葉を、ようやく理解した。妖魔を知らない。危険を知らない。だから、自分は簡単に騙される。折角白狐が説明してくれていたのに。


「……羽雲、白狐さん。迷惑を掛けて、ごめんなさい」


自分の不甲斐なさに、声が小さくなる。羽雲と白狐がいなければ、簡単に攫われて食べられていた。


「私、何も分かっていなくて……」


折角、雪那のために時間を割いて連れてきてくれたのに。事前に危険だと教えてくれていたのに。


春の国で、何度も浴びせられた声が脳裏を過り、膝の上で握り締めた手が震える。


『まだ術式を安定させられないのか』


『お前のせいで人が大勢死ぬんだ』


ぎゅっと握り締めていた雪那の拳を、白狐が両手で包み込む。ひやりとした指先だった。けれど、不思議と優しい温度だった。


「雪那様。知らないことは、これから知っていけば良いのです」


白狐の優しい声に、胸の奥を軋ませていた記憶が、振り払われる。


「初めて挑戦することは、失敗して当然です。同じ失敗を繰り返さなければ、それで良いのですよ」


真っ直ぐ自分を見つめる金の瞳に、雪那の心が揺れる。


横から、ぐい、と重みが押し付けられた。羽雲が、大きな頭を雪那の腕へ擦り付けながら、ぐいぐいと押してくる。


「……羽雲?」


「羽雲は、きちんと役目を果たしましたので。褒めて差し上げてくださいませ」


羽雲が尻尾を大きく振る。まるで、褒めろ、と言っているみたいで、雪那は目を瞬いた。


「……ありがとう、羽雲」


ふわふわの毛並みを撫でると、途端に羽雲の尻尾がぶんぶんと勢いよく揺れ、さらに頭を押し付け羽雲は満足そうに目を細めた。


その様子に、白狐がくすりと笑う。張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。白狐が立ち上がり雪那の腕を引く。


「最後に、何か一つお好きなものを選んでくださいませ」


「……好きなもの?」


「はい。雪那様の欲しいもので構いません」


雪那はその言葉に、活気ある市場を見回す。綺麗な硝子細工。色鮮やかな布。甘い香りの菓子。焼き立てのパン。


色々なものが並んでいるのに、何を見ればいいのか分からない。欲しい、という感覚が曖昧だった。今までずっと、欲しがることなど、許されてこなかったから。


「まずは、見て回りましょうか」


「はい」


雪那は、白狐に手を引かれたまま小さく歩き出す。人混みを歩き、露店を何度も覗き、そしてとある店の前で足を止めた。


露店に並んでいたのは、飾り紐だった。色とりどりの美しい意匠の飾り紐が並ぶ中、雪那はそっと一つ手に取る。


「……助けてくれた、羽雲に」


それは、紅色と白色で編まれた飾り紐だった。羽雲の本当の主人の瞳とよく似た、鮮やかな紅。


「とても似合うと思いますよ」


「でも、私お金を…」


「主様から沢山預かってきましたので、ご心配なさらずに」


戸惑う雪那を横目に、白狐が店主にお金を渡す。羽雲は首に巻かれた飾り紐に、嬉しそうに尻尾を振った。




帰りの御車の中は静かだった。行きと違い、羽雲は雪那の膝へ頭を乗せ、そのまま眠ってしまっている。


窓の外では、夕暮れの雪原が流れていく。雪那はぼんやりと外を眺めた。


初めて、人の営みに触れた。市場は賑やかで、吐く息が白いことを忘れるほど熱気に満ちていた。極寒の中食べた肉饅の美味しさを、羽雲と白狐の優しさを、忘れたくないと思った。


その全部を思い返しながら、雪那は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。


幼い姿の妖魔に向けられた、あのぎらつく視線は恐ろしかったが、それ以上に、別の感情が胸を満たす。


「白狐さん、今日は、ありがとうございました」


「いかがでしたか?冬の国は」


「……素敵なところでした」


楽しい。そんな感情を、自分がまだ抱けるのだと、雪那は初めて知った。


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