観察結果
研究室には重苦しい空気が流れていた。
春の国の王石との共鳴を断つために必要かもしれない方法。簡単に答えを出せる話ではない。
雪那は膝の上で手を握り締めたまま、俯いていた。
どうしたらいいのか分からない。王石がなくなれば、自分は自由になれるのだろうか。
けれど同時に、治癒術を失うかもしれない。その言葉が、胸の奥に棘のように刺さったままだった。
その時だった。
研究室の外が急に騒がしくなる。どたどたと慌ただしい足音が近付き、勢いよく扉が開いた。
「暁杜様!!」
若い研究者が真っ青な顔で文字通り飛び込んできた。
「大変です!!」
「おや。騒がしいですねぇ。何です?」
「新しい術式が暴走しました!!」
暁杜が盛大に顔を覆う。氷雅は慣れたように眼鏡を指で押し上げるが、雪那と白狐は物騒な言葉に顔を見合わせた。
「すみません!!止まりません!!」
「あー……どの術式です?」
「第四演算式です!!」
「あぁ、それはあなた達では処理できないでしょうねぇ」
暁杜は椅子から立ち上がり、縋るような顔で見上げてくる若い研究者の横を通り過ぎる。
「皆さん、申し訳ありません。このままだと塔が破壊されてしまいそうなので、様子を見てきます」
「私も手伝いましょう」
ぴょんぴょんと跳ねる髪を気まずそうに指で掻き、暁杜は研究室から出て行こうとする。氷雅が立ち上がり、その後を追う。
「おや、助かります」
「研究塔ごと吹き飛ばされたら困りますからね」
「そこまではいきませんよ!!きっと!!」
「あなたの希望的観測は信用出来ませんし、前科もありますよね?」
全く説得力のない言葉に、白狐も仕方なさそうに立ち上がる。
「私もお役に立てるなら」
「ありがとうございます」
そうして三人は連れ立って研究室を出て行った。
扉が閉まり、静寂が戻る。
けれど雪那の胸の中は静かではなかった。
暁杜の出した選択肢が、ぐるぐると脳内を駆け巡る。今はまだ、答えを出したくない。考えたくない。
雪那は後ろめたい気持ちを隠すように顔を上げ、横にいる冬竜王に声をかける。
「……私たちも行きますか?」
冬竜王は静かに雪那を見返した。雪那の後ろめたさも、考えも、胸の内を見透かしているようだった。
けれど、何も言わず、ただ立ち上がる。
「行くぞ」
それだけだった。何も追求されないことに、雪那は少しだけ肩の力を抜いた。
二人も研究室を後にする。研究塔の奥へ進むほど、騒ぎは大きくなっていた。
「そっち押さえて!!」
「駄目です!!」
「術式が増えてる!!」
廊下を抜けた先、広い実験区画は大混乱だった。
空中には巨大な魔法陣が幾重にも浮かんでいる。暴走した術式から放たれた魔力が刃となり、四方八方へ飛び散っていた。
研究者達が必死に術式を解除している。
「まずいですねぇ!!」
暁杜が術式を展開し、逃げ惑う研究者たちを守りながら、暴走する術式の解除にあたる。氷雅も白狐も補助に入っている。
複雑な術式なのか、解除に手間取っているように見える。
そして、空間の中央にある一際大きな術式が激しく明滅した。
「――危ない!!伏せろ!!」
暁杜の声が響いた。
次の瞬間、巨大な術式から無数の水刃が放たれる。暴風のような勢いだった。
研究者達が悲鳴を上げる。
そのうちの一つが、真っ直ぐ雪那へ向かっていた。
避けなければ。けれど、身体が動かない。今は治癒術も使えない。怪我をしたら。
もし。そんな考えが頭を過った瞬間。
強い力で腕を引かれ、視界が揺れる。次の瞬間には硬い胸板へ背中がぶつかっていた。
「っ」
冬竜王が片腕で雪那を抱き寄せ、もう片方の腕を高く掲げた。
空間を覆うほどの巨大な氷壁が展開される。
轟音と共に、暴走した術式と正面から激突した。
そして、凍てつく冷気が空間を支配する。研究塔全体を覆うほどの絶対的な冷気。
空中に浮かぶ術式が次々と凍り付いていく。
一つ。また一つ。青白い光を宿したまま、ぱきり、と音を立てて砕けた。
無数の氷片がきらきらと光を反射しながら空中を舞う。まるで雪のように降り落ちるそれは、幻想的な光景だった。
逃げ惑っていた研究者達も、術式を解除していた者達も。誰もが動きを止めて見上げていた。
凍り付いた世界の中心に立つ黒衣の王。その腕の中に雪那はいた。
「怪我はないな」
「は、はい……ありがとうございます」
凍りついた雪の結晶と共に、低い声が降ってくる。雪那ははっと我に返った。
冬竜王の紅い瞳が雪那を見つめた。頭から足先まで、怪我がないか確認するように。
無事を確認すると、冬竜王の肩から僅かに力が抜けた。
「いやぁ、ありがとうございます!」
暁杜が駆け寄ってくる。その目は何故か爛々と輝いていた。
「流石ですね!!術式の相殺も展開速度も完璧です!!衝撃も熱も残していない!!素晴らしい!!ぜひ研究にご協力を!!」
「断る」
勢いを殺すように冬竜王が冷たく言い放つ。暁杜はなおもめげずに詰め寄る。
「髪の毛一本くらい」
「断る」
「血液でも」
「断る。不始末は自分達で片付けろ」
その言葉に、暁杜はついに諦めて頭を下げる。
「返す言葉もありません」
「本当に」
氷雅がため息を吐いた。周囲の研究者達も暁杜に続いて次々と頭を下げる。
「助かりました!!」
「ありがとうございます!!」
「本当に危なかった……」
冬竜王は盛大にため息を吐いた。そして、雪那を庇っていた腕を離そうとする。
小さな手が、離れることを拒むように黒衣を掴む。冬竜王が目を瞬かせた。
雪那自身も気付いていない無意識の動きだった。
胸の奥に残る不安。治癒術式を失うかもしれない未来。もしそうなった時、自分は冬竜王の隣にいていいのだろうか。
そんな考えが、ずっと胸の奥から離れなかった。
雪那は自分の行動に気付き、慌てて手を離そうとする。
「っ、申し訳ありません……!」
離そうとした手首を、大きな手が掴んだ。雪那はそのまま冬竜王を見上げる。
「え……?」
「離さなくていい」
雪那の胸がどくりと鳴る。
「だが、そんな顔で我慢するなら、最初から素直に縋ってこい」
「……っ」
顔が熱くなる。何も言えない。雪那が口にしていない胸の内まで全部見抜かれている気がした。
「好きにしろと言っただろう」
雪那は唇を噛んだ。そして、掴まれたままの手首を動かして、もう一度その黒衣ごと、逞しい腕に掴まる。
その光景を見ていた暁杜は口笛を吹きそうなくらいご機嫌に口元を緩めた。
「あ、なるほど。そういうことでしたかぁ」
「何だ」
「いえ。非常に興味深い観察結果が得られました!!」
「凍らせてやろうか?」
「失礼しました」
暁杜は意味ありげに雪那と冬竜王を見比べる。冬竜王は不愉快そうに眉間に皺を寄せるが、暁杜は笑顔を崩すことはなかった。




