秋の夜
秋叡王と氷雅が去った後、白狐も羽雲を連れて部屋を出て行き、部屋には静かな空気だけが残った。
雪那はふう、と息を吐きながら上体を柔らかな寝台へ預けた。薬草のおかげだろうか。身体の芯がぽかぽかと温かい。
「疲れたか」
「いいえ。大丈夫です」
冬竜王が寝台に腰掛け、雪那を覗き込む。紅い双眸と目が合う。
触れたい、と思った。何故だろう。自分でも分からない。けれど、そのまま心に従うように手を伸ばし、冬竜王の頬へ触れた。
冷たい。薬草で熱を持った雪那の指先とは対照的な温度だった。
冬竜王は避けるわけでも、振り払うわけでもなく、ただ黙って雪那に触れられている。
「なんだ?」
「……分かりません」
ただ、触れたかった。冷たい肌に触れていると、不思議と安心する。冬竜王がここにいると実感出来る。
雪那が名残惜しそうに手を離そうとすると、その指先が離れる前に、するりと長い指に絡め取られる。
「……っ、あ……」
そのまま絡めた手を軽く引かれ、気付けば身体ごと冬竜王に抱き止められていた。見上げれば、長い黒髪が檻のように降り注いでいた。
そして、引かれた指先へ、柔らかな感触が落ちる。
雪那は目を瞬いた。冬竜王の唇が、自分の指へ触れている。
「え……?」
唇まで冷たいのだな、と一瞬だけぼんやり思う。だが理解した途端、一気に顔へ熱が集まった。
「と、冬竜王様……?」
「なんだ」
上擦る声が恥ずかしくて、動揺を隠せない雪那な、冬竜王は平然とした顔で答える。指先に、冬竜王の息が触れてくすぐったい。
「お前が先に触れただろう。俺が触れてはいけないのか?」
雪那は言葉に詰まる。触れてはいけないわけではいし、嫌でもない。嫌ではないのだが、落ち着かなくて、どうしていいか分からない。
心臓が早鐘を打ち、絡められた指が熱い。
そっと冬竜王を見上げると、纏う空気が、以前とは違う気がした。何が変わったのかは分からない。
けれど、見えない距離が一つなくなったようだった。
絡められた指を握り返していいのかも分からない。けれど離されたくもない。
そんな雪那の心を見透かしたように、冬竜王は耳元へ顔を寄せた。
「宮殿を見て回りたいのは分かるが、もう少し身体を休めてからにしろ」
吐息が耳へ触れた。びくり、と肩が跳ねる。耳が熱い。薬草のせいだけではない。
「わ、分かりました……」
心臓はますます暴れていた。窓から差し込む午後の光が二人を照らす。
雪那は、恐る恐る絡められた指を握り返すと、冬竜王の瞳が僅かに綻ぶ。
ふわりと身体が後ろに傾き、気付けばそのまま寝台に押し倒されていた。
雪那の銀髪が寝台へ広がり、その上へ黒髪が流れ落ちる。二色の髪が寝台の上で絡み合った。
「あ、あの?」
雪那は目を瞬いた。驚いてはいる。けれど、その姿は無防備で、警戒心もない。ただ不思議そうに冬竜王を見上げる。
その姿を、冬竜王は絡めた手を寝台へ縫い留めたまま見つめ、深く息を吐いた。
まるで胸の奥へ溜まり続けていたものを吐き出すように。一瞬だけ、その瞳に過った熱は、すぐに見えなくなってしまった。
そして、そのまま雪那の隣へ横になると、細い身体を抱き寄せた。
「寝るぞ」
「え?」
冬竜王は目を閉じたまま雪那の腰に腕を回し、頭に顔を寄せる。
「お前が意識を失ってから、まともに寝ていない」
「……眠れなかったんですか?」
「お前は俺を何だと思っている」
そう言いながらも、冬竜王は抱く腕を緩めない。
今までなら、数日眠らなくても何の影響もなかった。眠れなくても構わなかった。それが普通だった。
けれど、一度知ってしまった。雪那がいない夜がどれほど長いか。失うかもしれない恐怖がどれほど重いか。
だから、雪那が無事に目を覚ました今、冬竜王はようやく眠気を受け入れる。
雪那はふふ、と小さく笑った。そして冬竜王の胸へ額を寄せると、規則正しい鼓動が聞こえる。
その音が心地良かった。抱き締める腕が僅かに強くなる。
窓の外では秋風が静かに木々を揺らしていた。
雪那の髪から微かに香る薬草の匂い。胸元に感じる確かな体温。それを確かめるように抱き寄せながら。
その日、冬竜王は久しぶりに深い眠りへ落ちた。




