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死ねない私は、竜王様に囚われる  作者: ゆきだるま


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壊された術師

目を開けると、見慣れない天井が視界に映った。


白銀の装飾が施された高い天井。重たそうな黒い天蓋。窓辺には氷の結晶みたいな模様が張り付き、外の冷気を閉じ込めている。


ぼんやりと瞬きをして、雪那はゆっくり身体を起こした。途端、吐いた息が白く染まる。


「……寒い」


小さく漏れた声が、静かな部屋へ溶けた。昨夜、渡された毛皮を羽織ったまま眠ったはずなのに、それでも寒い。指先がじんじんと痺れ、薄い寝衣越しに冷気が肌へ染み込んでくる。


窓の外では、昨日の吹雪は止んでいるらしい。けれど空は分厚い黒雲に覆われ、朝だというのに薄暗かった。


雪那は広すぎる寝台からそっと足を下ろす。ひやり、と冷気が裸足を這い上がった。


その時。


――コンコン。


静かなノック音が響く。


「はい」


扉が開き、白狐が部屋へ入ってきた。肩口で切り揃えられた黒髪を揺らした、美しい女性の姿。人間と変わらぬ外見だが、その金色の瞳だけが人外の気配を宿している。


「お目覚めですか」


「はい」


白狐の腕には、厚手の衣服と、朝食を乗せたお盆が抱えられていた。


「朝食をお持ちしました。あとお着替えも。その服ではまだ寒いでしょう」


差し出された服は、柔らかな毛織物で作られていた。深い藍色の上着には内側へ毛皮が縫い込まれ、靴も分厚い。見るからに暖かそうだ。


「ありがとうございます」


ありがたく雪那が服を受け取ると、白狐は暖炉の前へ歩いた。細く白い指先を静かに翳す。すると、掌の上に淡い青白い火が灯った。


揺れる火種はふわりと宙を滑り、そのまま暖炉の薪へ落ちる。ぱち、と音を立てて炎が広がった。赤い火がゆらゆらと揺れ始め、ようやく部屋へ少しだけ温もりが戻る。


着替えながら、雪那は小さく問いかけた。


「皆さんは……寒くないんですか?」


「私どもは皆、この寒さに慣れておりますので」


白狐が振り返り、和かに微笑む。着替え終わると、卓の上には、既に朝食が並べられていた。


温かな牛乳のスープ。焼きたての白パン。切り分けられた果物。湯気が静かに立ち上っている。


「冷める前にどうぞ」


白狐が丁寧に卓を整える。だが雪那は、席についたまま動かなかった。じっと不思議そうに白狐を見る。


「……どうされました?」


雪那は言おうか少し迷うように口を開閉させ、困ったように眉を下げて白狐を見上げる。


「私、まだ何もしていません」


「はい?」


「食べても……いいんですか?」


白狐が、一瞬だけ言葉を失う。その問いが、あまりにも自然だったから。役に立たなければ食事は与えられない。そんな考えが、当たり前みたいに染み付いている声音だった。


白狐は、浮かんだ違和感を、雪那に気付かれないよう、すぐに微笑みを作る。


「もちろんです」


「……そう、ですか。いただきます」


小さく呟いて、ようやくパンへ手を伸ばす。その姿を見ながら、白狐は胸の奥に奇妙な違和感を覚えていた。



食事を終えると、白狐は城の中を案内してくれた。広い廊下。氷柱のような装飾。高い天井。冷たい石壁。食堂、闘技場、応接室、浴室と順番に回って行く。


歩くたび、妖魔達の視線が雪那へ集まる。ざわ……と空気が揺れた。


「人間だ」


「おや珍しい」


「どうせまたすぐ逃げ出すだろう」


遠慮ない不躾な視線と言葉が雪那に集まるが、雪那は何も言わず、ただ白狐の後ろを歩いた。


その時、重い足音が近づいてきた。見上げた先にいたのは、雪那の三倍はありそうな巨大な獣人だった。獅子の頭を持つ巨躯。黄金色の鬣。腕は丸太みたいに太い。


「白狐。何だ、その人間は」


「主様が、春の国から連れて来られた方です」


獣人の金色の目が、雪那を上から下まで値踏みするように見た。何故こんな人間を、と言いたげな視線だった。白狐が一礼して歩き出そうとした瞬間。


「待て」


獣人の大きな手が、雪那の手首を掴む。


次の瞬間。


――ポキ。


嫌に軽い音が響いた。雪那の肩が外れたのだろう。掴まれていた腕が、ぶらりと力なく垂れ下がる。


周囲が凍りついた。


「貴様ッ!!」


白狐が怒気を露わにして、獣人へ攻撃しようとした瞬間。その声を遮るように、雪那が静かに言った。


「白狐さん、大丈夫です」


外れていない方の手を、そっと肩へかざす。淡い光が掌から零れ落ちた。


すると、鈍い音を立てて、外れた骨が元の位置へ戻る音がして、垂れていた腕が元へ戻っていく。


あまりにも速かった。獣人が目を見開く。周囲にいて様子を見ていた妖魔達もざわめいた。


「今の……」


「一瞬で……?」


雪那は何事もなかったかのように乱れた袖を整えた。白狐もその光景に言葉を失っていたが、慌てて雪那の腕を確認する。


「雪那様、痛みは!? 大丈夫ですか!?」


「はい」


平然と答えるその姿に、痛みに顔を歪める様子すらないその異様さに、白狐の背筋に、ぞくりとした違和感が走った。


いくら治癒術式が使えるとはいえ、痛みはあるはずだ。なのに、この人間は、まるで最初から、“痛み”というものを失っているみたいに。


「騒がしい」


低く、冷えた声が響いた。その場の空気が一瞬で張り詰める。


妖魔達が一斉に跪いた。廊下の奥から、冬竜王が歩いてくる。黒衣を翻し、燃えるような紅眼がゆっくり細められた。


「何だ」


「申し訳ありません。少々揉め事が」


白狐が即座に頭を下げた。事情を聞いた冬竜王は、無言のまま雪那へ近づいた。


そして、その腕を掴む。何の説明も無く、鋭い爪を白い肌へ突き差した。


ぶつり、と皮膚が裂ける。肘を伝い、鮮血が床へ滴り落ちた。周囲が息を呑む。


だが、爪が抜かれた瞬間、傷口がみるみる塞がっていく。裂けた皮膚が再生し、何事もなかったように戻っていく光景を見ながら、冬竜王は静かに呟いた。


「無意識のうちに自己再生しているのか」


だが、本当に気になったのは別だった。


「……お前、痛覚を遮断しているな?」


雪那は、突然の流血に顔色一つ変えることなく、ただ静かに首を横へ振った。


「正確には、遮断ではありません。消失しています」


その返答に、冬竜王の柳眉へ皺が寄る。脳裏に、春の国での光景が蘇った。


『随分丁寧に育てたものだ』


冬竜王がそう言った時、周囲にいた人間達は、思い当たる節があるように顔を顰めていた。


つまり、この女を、歪に壊してきたのは、春の国の人間達だ。


冬竜王は低く舌打ちした。ここまで壊しておきながら、最後には生贄として差し出した。


人間という生き物の醜悪さに、今更ながら呆れる。弱者が壊れること自体には興味はない。人間が愚かで醜いことも知っている。


だが、ここまで徹底して、“便利な道具”として育て上げた異常さには、さすがに胸糞が悪かった。


冬竜王は深く息を吐いた。


「聞け」


低い支配者の声が廊下へ響く。その場が水を打ったように静まり返る。


「この人間は、俺の所有物だ。徒に傷付けることは許さん」


獣人が息を呑み、周囲の妖魔達も跪いたまま視線を伏せる。誰も口を開かなかった。それが絶対の命令だと、全員理解したからだ。


雪那だけが、静かに冬竜王を見上げていた。その背中は、冷たく、傲慢で、誰も寄せ付けない威圧感があった。


けれどそれは、雪那が人生で初めて、誰かに守られた瞬間だった。冬竜王はそんな視線を気にも留めず、踵を返す。


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