冬空に射す光
コン、と控えめな音が響いた。
朝日が差し込む部屋の静寂を壊さないような、遠慮がちな音だった。
冬竜王は窓の外から視線を外さないまま答える。
「入れ」
扉がゆっくり開く。最初に顔を出したのは羽雲だった。白い身体が隙間から滑り込み、寝台の上にいる雪那を見つけた瞬間だった。
「うにゃん!!」
嬉しそうな声を上げ、一目散に駆け寄る。勢いよく寝台へ飛び乗り、そのまま雪那の頬をぺろぺろと舐め始めた。
「ふふ、おはよう、羽雲」
柔らかな声だった。羽雲は尻尾をぶんぶん振りながら雪那へ擦り寄る。
その様子を見ていた白狐の顔に、安堵が広がる。
昨夜、最悪の事態を想像しなかったわけではない。主が雪那を傷付けてしまったかもしれない。あるいは雪那が主を拒絶したかもしれない。
どちらであっても終わりだった。
けれど、今ここにいる雪那は穏やかに微笑んでいる。そして、その隣には、朝日に照らされた冬竜王がいた。
穏やかな表情だった。何百年仕えていても、一度も見たことのない顔だった。
白狐は息を呑む。氷雅も、獅子丸も。そして三人は、ほとんど同時にその場へ膝をついた。
長い、長い夜が、終わったのだと悟った。
「……本当に。本当に、良かったッ……!」
獅子丸が顔を覆う。大きな身体が震えていた。喉から搾り出したような声は掠れていた。
何度も、何年も、何百年も、眠れない主を見てきた。苦しむ姿を見てきた。
だからこそ、今の光景が信じられなかった。その隣で白狐も目元を押さえる。
「夜が……明けたのですね」
「あぁ」
冬竜王が答えたのは、たった一言。
けれど、長年支えてきた彼らにとって、それだけで十分だった。獅子丸はとうとう堪えきれずに大粒の涙を零した。
氷雅が静かに顔を上げる。視線の先にいるのは雪那だった。
視線に気付いた雪那が寝台の上で少し困ったように笑う。その小さな身体で、誰も出来なかったことを成し遂げた。
氷雅は深く頭を下げる。額が床に触れるほど深く。
「心からの感謝と敬意を、雪那様」
静かな声に、その場の空気が僅かに揺れる。特に、隣にいた白狐と獅子丸はまじまじと氷雅を見つめる。気位の高さは、側近一と言われる氷雅が、人間に頭を下げ、感謝を伝えた。
雪那が目を瞬いた。氷雅が、初めて自分の名を呼んだ。雪那は少しくすぐったそうに微笑む。
「私は、何も……」
獅子丸が目元を擦り、涙を拭い、呼吸を落ち着かせて、冬竜王に労るように声をかける。
「陛下……本当に、本当に長かったですな」
冬竜王は小さく鼻を鳴らす。だが否定はしなかった。その代わりに、すぐに現実的な声が落ちる。
「暫くは口外するな。隙を狙う輩が現れるかもしれん」
その言葉に三人は静かに頷いた。冬竜王が眠れるようになったと知られれば、その隙を狙おうとする輩は必ず現れる。
守らねばならない。今度は何としても。
氷雅が窓の外を見た。透き通るような青空。降り注ぐ朝日。
冬の国では有り得ない光景に、眩しそうに眼鏡の奥の瞳を細めた。
「この国で、まさか朝日を拝めるとは思いませんでした」
「わしもです。眩しいですなぁ、陛下」
その奇跡のような光景に、思わず笑みが溢れた。
冬竜王が、隣の雪那を見下ろすと、灰色の瞳が不思議そうに見返してくる。
「こいつのおかげだ」
真っ直ぐだった。迷いも誤魔化しもない。その言葉の意味が分からずに、雪那は首を傾げる。
冬竜王は説明することもなく、ただ手を伸ばし、銀色の髪を一度だけ撫でた。
そして寝台から立ち上がる。
「白狐」
「はい」
「こいつは休ませろ。治癒術式を使って疲れているはずだ。この部屋を使って構わん」
「承知いたしました」
白狐は深く頭を下げた。冬竜王が氷雅と獅子丸に目を向けると、二人は揃って立ち上がる。
「獅子丸、氷雅。昨日の報告だ。行くぞ」
それだけ言って、二人を連れてさっさと部屋を出ていく。
部屋に静寂が戻る。
白狐が、ゆっくり雪那へ近付き、そして深く頭を下げる。
「雪那様。本当に、本当にありがとうございます」
「白狐さん、私は本当に何もしていないんです。ただ、そばにいただけです」
白狐は首を振る。違う、違うのだ。ただ傍にいて、手を握る。眠るまで寄り添う。ただそれだけのことを、誰一人として出来なかった。
「主様の、あんな晴れやかな顔を、初めて見ました」
その瞬間、白狐は決めていた。雪那に、一生をかけて仕えると。冬竜王の夜を終わらせた人に、この恩を返したいと、そう思った。
「さぁ、お疲れでしょう」
涼やかな目元を和ませた、柔らかで晴れやかな笑顔が向けられる。
「湯浴みはどうされますか?食事もお持ちしましょう。今日はゆっくりお休みくださいませ」
あまりにも甲斐甲斐しく世話を焼こうとする白狐に、雪那は少し困ったように、そしてくすぐったそうに微笑んだ。
窓の外では朝日が輝いている。
長い夜は終わった。
冬の国にも。
冬竜王にも。
確かに新しい朝が訪れていた。




